見出し画像

”死”を目的とする登山

……春の山を眺めるたび、思い出すことがあります。

2017年 春
某山 山頂

「そこに遭難者はいますかっ?!!!」

 救難ヘリのローターのエンジン音と、風を切る音の隙間を縫って、拡声器が叫んでいる。

 この山の頂上にいるのは、僕一人である。ヘリは山頂に張り付くように接近して飛行しながら、ドアを開けて、なおも叫び続けていた。呼びかけている相手は間違いなく僕だ。

 僕は大声で答えた。
「いませんっ! いませんっ!」
「見ませんでしたかあっ!?」
 僕は手を横に振る。乗員が謝意を表すように軽く手を上げると、救難ヘリは急旋回して尾根道の上空に沿って飛び去ってゆく。しかしまた戻ってくる。
 遭難者を発見できず、山の尾根に沿って、上空を何度も往復しているらしい。

 僕は、登頂したばかりでホッと一息ついたところだったが、人命がかかっている。足に力と気合を入れた。

 この山は尾根道が一本である。そして僕が登ってきた道には遭難者はいなかった。
「すると、遭難者は、隣の峰に続く尾根道にいるに違いない。ヤブだらけだから、遭難者がいても、上空からじゃ見つからないだろう」
 僕はそう判断し、休憩せず、隣の峰に続く尾根道に入った。

 僕は山道を走らない。僕が山道で走ったのは2度。距離5メートルで熊に遭遇したときと、この日だけだ。

 僕は尾根道を走った。比較的軽装だったのが幸いして身軽に走れた。途中、行き来する救難ヘリと何度かすれ違う。あちらも僕の動きを見ているようだった。そして、僕の上空で旋回し、戻って行く(つまり、一本道なので、僕が通過した地点~山頂の間には遭難者はいない、と判断して捜索範囲を狭めている)。
 気がつくと、ローター音が、ある一定の音量で続いている。とすると、救難ヘリはどこかでホバリング(空中で静止)しているに違いない。

 僕は少しホッとした。
「おっ! やっと遭難者をみつけたのかな? まぁ、ともかくよかった」

 もう急ぐ必要は無い。
僕はゆっくりと歩き始める。引き返すとまた頂上に戻らねばならないが、このまま進めば次の峰には下山道がある。僕は、どちらに進むほうが早く下山できるか考えた。
 水を飲むと気持ちが落ち着いて、冷静に計算できた。だいたい同じ位の距離である。
「進もう」
 同じ道を引き返すより、別の道を行こうと考えたのだ。

 しかし、今考えると、これが間違いだった。

※※※

 尾根道の向こうから人の声が聞こえる。見ると、遭難者がカゴのようなものに入れられて、救難ヘリに吊り上げられたところだった。山道には山岳救助隊員が数名残っている。

 僕が近付くと、全員の視線が僕に集まった。僕は聞いた。
「見つかりましたか?」
「はい、ご協力ありがとうございます。どちらの所属ですか?」
「は?」
 そのとき、僕ははじめて自分の服装に意識がいった。上下、旧日本陸軍の兵用九八式軍装である。ちなみに、それが暖かい日用の登山の格好だ。救難ヘリの方でも、僕の格好と行動を見てどこか別の救助隊員かと思っていたらしい。
(ああ、それでヘリから僕の行動を見てたのか……)
「一般の登山者です。遭難した方はご無事でしたか?」
「はぁ……」
 その言動を見て、もしや亡くなったのでは? と思った。しかし、凍死する季節でもないので、
「滑落ですか?」と聞く。
「いえ、そこにいました……」
僕は隊員の指差す先を、見る。

その場所にあったモノは、

酒。酒、酒……

大量のビールの缶、日本酒のビン、ウイスキー……
 遭難者は一人。ひとりである。でもたった一人が飲める量じゃない。しかし、飲んだのだろう。容器の蓋はみんなあいている。
 全てカラ。空缶、空き瓶だった。
「背広姿で、身分を証明するものは何一つ、持っていませんでした」
 救難ヘリが飛び去り、シンとした山道で、救助隊と僕は沈黙した。

 山岳救助隊の隊員たちも「軽装備で山に来るからだ」とか、「春とはいえ、山をナメるからこうなるんだ」など思いながら遭難者に近付いたに違いない。しかし、誰一人そんな事を言わない。屈強な男たちといえども言葉が出ない。

 彼らは『遭難死』した人間には慣れているはずだ。

 しかし、下界の自殺現場をそのまま山岳に持ってきたような状況と、『自殺しようとした人間』に衝撃を受けているようだった。

 そのとき、隊長らしき人に無線が入った。
「はい、これから戻ります。山頂にいた方と”現場”で合流。一般の登山者でした……」

 僕は立ち尽くす彼らに一礼すると、引き返した。距離があってもいい。早く戻れなくてもいい。山頂から戻ることにした。

 その光景は、あまりにも生々しい。目に焼きついている。

 以前住んでいた地域で、その選挙区の国会議員が自殺した状況を聞いたことがあった。それは、”室内に散乱している、大量の空き瓶(確かウイスキーだったと思う)”である。

 背広姿ならば、遭難者はホワイトカラーである。政治家もそうだ。いつも冷静に判断してしまう頭脳を、大量の酒で狂わさなければ出来ない行動。

 この遭難者に同情してしまう理由は、「身分を証明する物をもたない」と「山に入った」ことである。

 『死』よりも『消』を強く感じて”哀れすぎる”と思うのだ。


 自殺してあてこする相手さえいない。または、誰にも迷惑をかけず消滅してしまいたい、という気持ちがその現場に残っていた。

 生きていてほしいと思う。

 そして、山肌を這うように危険な飛行をした救難ヘリや山岳救助隊の苦労、また、見も知らぬ一般登山者の男が山で走ったことを、伝え聞いて欲しいのだ。

僕に声をかけた救難ヘリ 秋田しげと 撮影


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?