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【古代のマーク・マンダースを見に】永遠の都 ローマ展 東京都美術館

タイトルにピンと来た方は現代美術方面も興味ある方だろう。

私自身は現代美術・ファッションきっかけに美術館に通い始め、時代を遡り近代→中世の日本美術中心と少しずつ守備範囲を拡張している。

なので歴史的な正しい時系列&元ネタの出典とは別に、自分が見た時間軸を基準に記憶を遡って考えたり、がどうしてもある。
そんな中で今回の展示を見ようと思ったきっかけから話は始まる。

【この展覧会を見に行こうと思ったきっかけ】

今回このローマ展はイタリアのカピトリーノ美術館の所蔵中心に、初来日となるビーナス像が大変注目されている。
が、プレスリリースを読んだ際、「何だこのマーク・マンダース感は?」と思った写真があった。

2021年に開催された「マーク・マンダースの不在」展(東京都現代美術館)を思い出したのだ。なかなか衝撃の展覧会だった。
重量に対する疑いや作成の過程、搬入経路がひたすら気になったものだ。

2021年「マーク・マンダースの不在」展 
東京都現代美術館
でかい


2021年当時の社会情勢の影響で展覧会閉幕後に作品返却が進められず、コレクション展示室で特別延長展示が行われた。そのタイトルが「マーク・マンダースの保管」だったのは思わず吹き出した。
「保管」て。身も蓋もないじゃないか。
そして美術手帖「読者が選ぶ2021年のベスト展覧会」の1位になっていた。

さてマーク・マンダースは現代なんだけども、古代にもこういうニュアンスの作品があるのか!と思った今回のローマ展。
もちろんコンセプトも方向性も全く違うのは理解している。
共通項は大きさなのだけども、ちょっと面白そうだ。普段はあまり興味関心を抱かない分野になるのだが、会場で大きさを体感してみたい!と思い見学してきた。

【お目当ての巨像と対面】


面白かった。
ローマの「美の基本・基準」のような彫刻達の展示室を経て階を進んだ先に現れる


ドーーーーン


公式サイトのダウンロード&SNS使用OKの画像より

とした彫刻達。
あー!これこれ!
なんだろう、バグかな?と思うように部屋全体の遠近感がおかしくなる大きさ。人間が小さく見える。
まさしく、マーク・マンダースの展示を見た時のあの感覚だ。
なんだか色も近い。

ちょっと「エイドリアーーン!!」って叫びが遠くに聞こえる

今回来日していたのは巨像群は複製品になるのだが、
「コンスタンティヌス帝の巨像の頭部」に関しては複製品自体の作成が1930年の品。複製されてから100年弱ぐらいになっている。
近代の技術で複製するのにも、この大きさだと今と違う苦労があったのだろうな。

大きい像といえば朝倉彫塑館のあの座ったリンカーンみたいな像もでかかったなぁ…

奈良の大仏様も頭部だけだと、目の前で見たらいかほどの大きさか…

などいろいろ思い浮かんだ。

【なんで石膏デッサンが美大芸大受験科目なのか】

今回のローマ展の最終章に石膏デッサンさわりの部分、ヒントがちらっと現れて目からウロコだった。芸大よりも前に存在した工部美術学校の話。

1876年に日本最初の美術教育機関として工学寮美術校(のちの工部美術学校)が設置され、国外から指導者たちが招聘されると、イタリア各地の施設が所有していた古代彫刻にもとづく石膏像が指導教材として日本に持ち込まれました。そのなかにはカピトリーノ美術館の石膏像も含まれていました。

公式サイトより


向かって右が小栗令裕作「欧州婦人アリアンヌ半身」(1879)


ここが発端か!!
私も一応ウン十年前に美術・芸術大学の受験を経験したことがある。
美術予備校のカリキュラムの中に石膏デッサンはもちろんあり、はっきり言って大嫌いだった。苦手だった。
近年、石膏ボーイズというアニメーションが放送された際に忘れていた憎い顔たちが面白おかしくフォーカスされていた。
さて、ではなぜ石膏を描かされていたのか。
発端はわかったが「なぜなのか?」は純粋な疑問として残ったのでこのあたりの文献や論文を読んでみようと思う。↓

【不純な動機万歳】

見に行くきっかけがこれでいいのか、と思いつつ最後にはやっぱり発見や「そうだったのか!」と思う体験をできると動機は不純でも本物を見に足を運ぶって自分にとってはかけがえのない行動だ。
そんなことを考えながら焼き鳥を味わい酎ハイを飲んで帰った金曜日の夜。
今回も夜間開館にはお世話になりました。

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