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【ゆらめく海藻】マティス 自由なフォルム 国立新美術館


今回はニース市マティス美術館から多くの作品がきている。彫刻に関してはオルセーから。時々、ポンピドゥーセンター。

なので、2023年に都美術館で開催されたマティス展とはやや毛色が違っていて面白い。
あの時はポンピドゥーセンター所蔵品が中心だった。
昨年と今年、互いの展示を補完出来たような「2部構成だったかな」という気持ち。

もちろん、今回も作品の変遷、特に初期の作品もしっかり展示してあるので、都美術館で見れなかった方もこの展示だけ見ても充分楽しめるはずだ。
前半展示は撮影禁止エリアなので見てからのお楽しみとなると思う。
メディアのプレスも後半クローズアップが多いので、正直私は前半の来日作品に驚いた。

私の「サザエさん」ことジャネットもポンピドゥーの彫刻とは一味違う作品が来日していた。
これ、もしかすると日本にいながらマティスのジャネット全シリーズコンプリートできる日も近いのかもしれない!!!




さて、今回は主に後半の展示から気になった作品いくつか。

ブルーヌード

アンリ・マティス《ブルー・ヌード IV》1952年
切り紙絵、103 × 74cm、オルセー美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)



ピクトのようだ。
今回のメインビジュアル。

遠目で見てパッと女性の形、と認識していたのにじっと見ていると、どんどん人の形から離れていく。不思議な感覚に陥る。
形が分解されて紙一枚一枚になっていく。
これだけ簡素な表現なのに人、女性と認識出来たのはなぜだったのだろう。
街中に溢れる人型のピクトの様に見え始めてしまった。簡素だけど動きが分かる。無駄な物がない。

切り絵

切り絵はマティスの手首の動きが伝わるというか…ちぎったのとも違う。千切るは指の動きだ。ハサミで切る即ち「手首の動き→形」と感じられるのだ。
絵を描くのは真似できないけれど、ハサミで同じ形を真似て切ってみて、と言われたら近しい感覚を得る事ができるのだろうか?
今度、自宅にある折り紙で実験してみたい。展示作品を見ながら手をチョキチョキ動かしながら、見てみる。

漢字が乗っても合うのだなぁと思った文藝春秋の表紙。



切り絵の手法は、マティス自身が体調を崩した後に発見した表現手段なのだろうけど「また描ける!」と創作意欲に繋がったのだろう。
しかし構成の良さ。色彩感覚。
平面構成の課題とかの参考に出来たんだろうな。

海藻モチーフ

これ前回のマティス展でも解説があり、「ンフッ」と笑ったのだが、海藻がモチーフである。
何というか…東洋人以外でも海藻って馴染みがあるのね、と驚いたのだ。

昆布かわかめか
海藻類のフォルム…


日本は欧米と比べると海藻によるヨウ素摂取が断トツ高い地域である。以下参照。


と、いうのを読んだことがあり、
「そうか、西洋圏では海藻食べないのかー」と思っていたのだ。
しかしマティス。海辺で過ごすことも多い人だったからだろうか。フランスの海辺の海藻はマティス的なんだろうか。ワカメなのか昆布なのかひじきのか。
マティスのフォルムを見ると…ワカメか昆布かなぁ…フランスの昆布…なんかもうそれだけで急に洒落乙感。

そう言えば風刺画で有名なビゴーがフランスに戻った際、千葉の稲毛海岸が懐かしくて描いたと言われている絵が千葉市美の所蔵品にあったな。この時も
(稲毛とフランス…)
と思ったけれど、案外海辺の風景って近しい物があるのかもしれない。

海藻を切り取った思い出

しかしこの切絵の海藻、なぜか懐かしみというか、腕に覚えがある気がする。
腕に覚え…というか、ええと、こういう形に紙を切った経験がある、と言えば良いのか。

最後の方に海藻モチーフステンドグラスの展示があり、その色味を見て急に腑に落ちた。

水族館的な…


子供の頃、箱を利用して「水族館」を作った思い出はないだろうか?子供の工作、夏休みの常套手段としてよく選ばれる。
箱の内側を青く塗りつぶし、魚をつくり糸で吊り下げゆらゆら〜と動くように。
海の箱庭。リアルさを演出するために岩や海藻を添えてみたり。
その時にウニョウニョと切り抜いた海藻の事を思い出した。

私もマティスだった。きっと。


マティス展は見てて何だか自然とニコニコしてしまう。そして身に覚えがある、工作やお絵描きが楽しかった頃の記憶を呼び起こしてくれる。

そんな作品が多いと思う。
そんな作品群と遭遇できて嬉しい金曜日。
明日はお休みだ。

広々とした展示空間作りが合う国立新美術館
上祭服だけどどことなく和服の様な
広い空間に気持ちよく展示されてます。

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