生きること、学ぶこと


(問い)地域大学が真に社会に向きあい、地域の中核となることとは?


昨日の岸田文雄首相の施政方針には、教育の問題への言及がなかった。経済政策が中心であり、厚みのない内容と感じた。

文科省は、この程、基金という枠組みを作り、「研究活動」への官製ファンド10兆円を計上して、グローバルでトップに立てる大学を作ることを推進しつつある。国際卓越研究大学の成功により、国の全体を牽引するトリクルダウン効果を狙っている。さらに、地域大学の研究支援基金(J-PEAKS)を設けて、地域の特色ある大学支援を行う。

ここで2つの問題を考えたいと思う。

一つは、トップ大学への大型資金提供の到達への道筋である。日本のトップクラスの大学の研究レベルは既に世界のトップとそんなに差はない。資金以外の要素があるのではないだろうか。この30年間大学の研究が新たな産業を起こすための起爆にはなっていないのは、国の政策アジェンダを後追いする研究テーマが圧倒的に多いと言うことからも想像できるように、独自のものが生まれていない。さらには、着手しても産業に育っていない。つまり大学と社会の連携ができていない。

もう一つの、地域大学の研究支援基金は重要な施策である。
日本では、トップ大学と地域大学の溝が大きいことが問題であり、地域の大学への包括的な支援策は、文科省としても積年の課題である。今回の岸田方針の地方創生に、このことが全く触れられていないのが残念である。地方創生は観光収入というのはあまりにも短絡している。

米国では、大学は、連邦政府の関与が少なく、地域への大学の直接の反応と対応として生まれることが多い。日本でも「地域環境やエネルギー」「農業と食」「高齢化と地域医療」などの問題は地域から派生していく問題である。つまり、地域大学や私学が一つでも世界と一緒に考えることができる研究を生み出すことが米国の地域大学のように重要なのである。トップ大学のようなリソースはなくても、選択してリーディング研究できる人材とテーマを作り出す環境整備が求められる。

ここで大学と社会の連携(大社連携)が重要になる。とりわけ、地域の大学にとっては地域社会との連携が基本である。大学は、教育―研究―地域貢献の三位一体と言われるが、米国の地域大学は、研究は地域の課題の中から見出しているのであり、地域貢献だけが独立した活動ではない。日本では、大学が横一線で同じテーマに取り組むという極めて歪んだ構造になっていないだろうか。

また、大学が本当に地域に向けて開かれていないこともある。地域のステークホルダーを大学経営に参加させるオープネスがこれからは必須である。社会から存在を認めてもらえるように、市場を形成できる力を持たないと未来への道はないという危機感を感じてほしい。

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