見出し画像

戦争被害者を二度殺してはならぬ。日本人にとって原爆は遠い存在になってしまったのだろうか

多くの日本人にとって夏は鎮魂の季節だ。
古くから続くお盆に加えて戦争関連の行事、さらには集中豪雨など気象災害の慰霊も行われているが、その扱いは年々小さくなっている。

原爆番組はNHK頼りという現状

 平成の終わり頃までは8月に入ると原爆や戦争に関する番組が数多く放送されていたが、近年では広島や長崎以外だと番組を見つけること自体が難しくなってきている。

民放は言うに及ばずだが、公共放送であるNHKすら関連番組の量が減り続けており、今年に限って言えば記念式典を除くと2時間も無かった(注:地上波の総合テレビ)。

47都道府県をカバーする放送局ということから夏の高校野球を報じなければならないという事情は分かるが、夜の時間帯や教育(Eテレ)で詳しく取り上げることはできたのではないだろうか。

 しかしながら、これはNHKの問題というよりも受け手である視聴者のニーズも多分に影響していると考えられる。今年2月に起こったウクライナ紛争の生々しい映像は衝撃的で、一部の視聴者からは見ることで精神的なダメージを受けたという声も上がっているそうだ。

それでも日本のテレビ局はウクライナの被害を報じる際に遺体へモザイク加工をするなど配慮をしているが、原爆の番組はモザイク処理もなく、よりグロテスクな映像を目の当たりにすることになる。

民放は広告収入を重視するので視聴者からのリアクションや数字(視聴率)を気にするのは当然だが、受信料収入で成り立っているNHKが同様の判断をしたのであれば著しい問題と言わざるを得ない。

ただ、昔と違ってデリケートな人や様々な病気・症状が生み出されている状況を踏まえると、事実であっても伝えることが躊躇われ、自然と遠い存在になってしまうのかもしれない。

原爆の当事者とその他との分断

 毎年8月6日(長崎は9日)になるとツイッター上に「広島(長崎)にとって大切な日」というツイートが多く投稿される。

確かに原爆を投下された現地の人と他の都道府県に住んでいる私たちとは感覚が違うのかもしれないが、過度に強調されると当事者とよそ者という壁と分断を生み出しかねない。

もちろん、ツイートしている側にはそんな意図は無いのだろうが、事態が深刻になると「自分は関係ない」という意識が生まれ、教科書にあるような他国で起こった歴史上の出来事のような感覚になってしまう恐れがある。

 8月に入ると広島の日と長崎の日、御巣鷹山の日航機墜落事故、さらには終戦の日など慰霊の日が続くが、今を生きる私たちにとって過去の悲劇は最も参考にすべき教材だ。

私たちが慰霊を通じて過去の悲劇を顧みて、将来にわたって過ちを繰り返さないことこそが大事であり、それを忘れたときに鬼籍に入った多くの先人たちは「ただの屍」になってしまうのだろう。

まずは御礼を。拙文を読んで頂き、ありがとうございます。 サポートに関しては無理をなさらず、御自身のコップからあふれそうになった分があれば枯れ木に撒いて下さい。