#教科書に載せたい建築の名文 ――近代愚作論|八田利也

みなさんが「建築」を文化として意識したのは、いつですか?
いま現在建築業界で働いている人の多くは、大学に入ってから、もしくは仕事として選んでから初めて意識したという人もいるかもしれません。
あるいは何の気なしにこのnoteを開くまで考えたこともなかった、という方がいたら、ぜひこの先も読んでみてほしいですね。

こんにちは、ロンロ・ボナペティです。
僕は日頃から建築の面白さや、建築に興味をもつことがいろんな好奇心の幅を広げてくれるよ、ということをnoteで発信しています。
そして常々、もし義務教育に建築を取り入れたら、日本はもっと豊かな国になるのではないか、そんな妄想をしています。

その理由については一旦置いておくとして、以下の文章を読んでください。

建築家諸君! せっせと愚作をつくりたまえ。愚作こそ傑作の裏返しであり、あるいは傑作へのもっとも確かな道である。愚作を意識してこそ建築家は主体性を確保し、現代の悪条件に抵抗する賢明な手段となる

これは『現代建築愚作論』(八田利也、彰国社、1961年)に掲載された「近代愚作論」のなかの一節です。
近代愚作論は当時の建築家へのエールとして書かれたもの。
八田は歴史的に傑作とされる姫路城や法隆寺、また数々の近代建築家の名作を引き合いに出しつつ実はそれらの建築には致命的な欠陥が含まれていること、しかしだからこそ傑作になり得たことを指摘しています。
そして読者たる建築家に向けて、失敗を恐れず愚作をつくり続けることが、傑作への道なのだと説いています。

たとえば姫路城には建てられた当初構造的な欠陥がありましたが、それは大工の怠慢によるものでは決してなく、「いままで民家や堂宇のなかでうけつがれてきたあらゆる技術を自家薬籠中のものとし、その上に全く新しい技術を考えだし、しかもその上建築以外の他の技術を綜合し、しかもなお欠陥を露呈したのである」と。
そうした創意に満ちた挑戦がその時代においては愚作となる建築を生み出してしまったものの、後世から振り返ると傑作と呼べるものになり得ているのだと。
実際、当時の技術で実現可能な構造を前提にしていたら姫路城の美しいプロポーションは生まれなかったでしょう。(現在では補強されたそうです)

これは現代に生きるわれわれこそ噛み締めておきたい言葉ではないでしょうか。
建築というのはクライアントがいて、さらにはそれを使う人たちがいて初めて成立しているものですから、プロとしては本来欠陥などあってはならないはず。
けれども挑戦することを恐れて安全な建築だけをつくり続けたとしても、歴史に残るような傑作は生まれないのだと。
そしてそうした積み重ねによって、現代建築は現代建築たり得ているのであり、愚作なしには建築の進化などありえないと、そのように指摘されています。

昨今、高度に発達し失敗が許されない閉塞感が漂う日本社会に抗うように、「行動」を促す言説が飛び交っているように感じます。
50年前の八田と同じ問題意識によるものと考えると、いかに日本社会が変わっていないかということの表れともいえるのかもしれません。
そして少し古めかしくも感じる力強い言葉の数々は、現代のお行儀の良い文字文化とは異なる趣があり、それほどこだわりもなく安全策を選んでしまおうとするわれわれを鼓舞する、そんな魅力を放っています。
建築に限らず、変化の目まぐるしい現代においてはどんな分野でも同じ気概が求められるのではないでしょうか。
ぜひとも高校の国語の教科書にでも載せて、これからの日本社会を担う若者に届けたいものです。

八田利也というのは建築史家:伊藤ていじ、建築家:磯崎新、都市計画家:川上秀光が架空の人物を装って使用していたペンネームで、本書には八田が執筆した8つのテキストが収録されています。
僕は編集者として出版業界に携わるなかで、良書とはどんな本のことを指すのだろうとよく考えるのですが、ひとつ「長く売れ続けている本は良い本だ」という仮設を立てています。
売れている=読者のニーズに答えているものが必ずしも良いとも限らないし、良い本が必ずしも売れるわけでもない。
けれども長く売れ続ける本にはなにかしら時代を超えて人びとに気づきを与える普遍性をはらんでいて、ある種の良書といえるのではないでしょうか。

本書は市場の小さな建築系出版業界においても長く売れ続けてきた一冊です。
初版は1961年に発行され、1977年に12刷りが発行された後しばらく廃刊となったあと、2011年に復刻版が発行されています。
50年の歳月を経て復刊される建築書、それだけでもどんなことが書かれているのか、気になるという人も多いのではないでしょうか。

最後に、復刻版に寄せて収録された建築家・藤村龍至氏のテキストを紹介したいと思います。

本書を通読してみると、基本的に解説など不要であると思えてしまう。なぜなら、時代背景が異なるはずなのに、建築家を取り巻く問題が一九六一年当時と二〇一一年現在であまりにも似過ぎていて、そのまま読んで十分に説得力があり、しかも参考になるからである。

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教科書に載せたい建築の名文

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