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#教科書に載せたい建築の名文 ――饒舌抄|吉田五十八

吉田五十八(よしだ・いそや)という建築家を知っていますか?
日本の伝統建築である数寄屋建築の近代化に貢献した、などと紹介される建築家です。
そう言われると現代の建築とは関係がないように思ってしまいそうですが、日本の現代建築に大きな影響を与えた重要な建築家のひとりです。

こんにちは、ロンロ・ボナペティです。
今回は建築家として「日本」と向き合い続けた吉田五十八が残した言葉をご紹介したいと思います。

吉田五十八は1894年に生まれ、東京美術大学卒業後ヨーロッパへ遊学した後、帰国後の1926年から1974年に亡くなるまで、設計に従事しました。
日本のモダニズム建築の発展を牽引した前川國男、坂倉準三、吉村順三といった面々より一回り上の世代です。
ル・コルビュジエに師事した前川や坂倉、フランク・ロイド・ライトの流れを汲む吉村らが西洋で発展したモダニズム建築を日本に定着させることに取り組んだとするならば、吉田は日本古来の建築のなかに、「近代性」を見出しさらに時代の美意識に見合うものに洗練させていったという感じでしょうか。

吉田は数寄屋建築においてさまざまな手法を展開しましたが、どれも見え掛かり上の印象がミニマルに、スッキリとしたデザインになるよう心を砕いています。
装飾過多の歴史主義建築から脱却しようと幾何学による美を追求したモダニズム建築の動きと重なりますね。
厚く・太くよりも薄く・細く。
日本のモダニズム全盛の時代に、吉田のように日本建築に取り組んだ建築家がいたからこそ、今日の現代建築に違和感なく日本的な要素が同居できているのではないかな、という気もします。
その建築の特徴はディテールによく表れています。

そんな吉田は、日本という国の文化や建築をどのように見つめていたのでしょうか。
以下は随筆集『饒舌抄』のうちの一遍「続々 饒舌抄」に記された言葉です。

日本の建築に味合ひのある、いい意味の間抜けさ、ユーモアな点があって欲しいと思ふ。日本の建築家のデザインはあまりにまじめすぎやしないか、笑ひのない建築でありはしないか

日本人は生真面目すぎる、もっとユーモアがあって良いのではないか――
そうした言説はさまざまなところで耳にしますが、50年も日本の伝統建築と向き合い続けた吉田が言うとその重みを感じます。
続く文章では友人から「日本建築はデザインする処がない」とぼやかれたエピソードが語られます。
それを受け吉田は、日本建築のなにを変えて良いのか、なにを変えてはいけないのかを理解するために、もっと日本建築を研究しなくてはいけない、そして「もつと日本建築の常道の上に立つ変化が望ましい」と説いています。
単にユーモアを持ってデザインしろ、というのではなく、ユーモアを持ち込むためには研究しなくてはいけないよ、と結ぶあたりが数寄屋建築の大家だからこそ語ることのできる経験に基づいた金言でしょう。
それが若者に向けてのアドバイスではなく、自身への戒めが込もっているところに、非常に好感がもてます。

本書は吉田がさまざまな媒体に寄稿した随筆をまとめたもの。
建築雑誌に掲載されたものも含まれますが、その多くは広く芸術や暮らし、文化を扱ったものなど一般に向けて書かれたものです。
そのためどれも建築の知識がなくとも読みやすい言葉で綴られています。
だれでも共感できるような日々の気付きから入っていき、最後は吉田が建築家として抱えている問題意識に着地する、そんな軽妙な展開がとても心地良いです。

たとえば先の一遍の冒頭は、日本へ遠征で訪れたアメリカの社会人野球チームと日本人のチームとの試合の様子からはじまります。
日本人のチームが「まかり間違えば腹をも切り兼ねない」態度で試合に望んでいたのに対し、アメリカ人のチームは「野球そのものをエンジョーイ」している、その様子を見て国民性の違いから上記の考察に入っていく。
そのような短い随筆をはじめ、同時代の建築家との対談録など46篇が収録されています。
単に世相を切る年寄りの説教などではなく、読者に寄り添う視点で共に歩むべき道を指し示してくれる。
発行から30年以上経った2016年に、一般書を多くあつかう中公文庫から復刻されたことからも、本書が時代を越える普遍性を有していることがお分かりいただけることと思います。

本書を読むと、日本文化のなにが変化し、なにが変化せずに受け継がれてきたのかを伺い知ることができます。
建築に限らずなにかを生み出すことに携わる人にとっては、ヒントに満ちた一冊ではないでしょうか。
皆さんのおすすめも、ぜひハッシュタグ #教科書に載せたい建築の名文 を付けて教えてください!


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