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産むデザインと育てるデザイン。

2015年に国連で採択された「SDGs(持続可能な開発目標)」。日本の企業もさかんに「サステナビリティ」を掲げるようになりました。「サステナブルデザイン(Sustainable Design)」における「デザイン」の指すところは「ビジョンを描いて計画・実行していく」ということでしょうか。とにかくこれからの世の中は「持続可能性(つづいていくこと)」が強い価値観になっていくようです。若者のエコ意識の高まりもすごいです。

経済を振り返ると、1950-70年代は日本で「高度経済成長期」と呼ばれる時代でした。1964年の東京オリンピック、1970年の万博など、経済成長の波に乗るように「デザイン」という言葉が回りはじめました。1980年-90年はマスメディアやカルチャーと企業の強い結びつきにより、デザインが新しい空気を生み出す道具になりました。バブル期には、CI(企業ロゴ刷新)ブームが起こり、広告でお金を湯水のように使い、いくつもの斬新な表現が生まれました。

経済成長期は、古い考え方を壊して新しいものをどんどん作る「スクラップ&ビルド」の風向きが強かったように思われます。日々新しいブランドや製品、メディアが生まれ、新しいものに飢えた消費者の目に引っかかる広告をバンバン打ちます。広告代理店やデザイン会社の懐はうるおい、企業の成長に並走して拡大し続けました。

令和の今、成長期のスクラップ&ビルドな考え方は徐々に肩身がせまくなり、「今あるものを大切に、育てていく」ということに強く関心が向いています。サステナビリティの浸透は世界的なものですが、大幅な人口減少を控え、大きな経済成長が期待できない日本にとっては、国民の価値観がオフェンスからディフェンスと移っていくのはより自然なことでしょう。

価値観の変化や社会構造の変化は、それらを背負うデザインという行為にも大きく影響します。これまでは生み出された成果物=モノのデザインに注目が集まっていましたが、その注目がコト(デザインをよりよく運用することや、それを通じたユーザーの体験)に遷移している、と感じます。サステナブルな社会では「壊して作る人」以上に「適正に運用したり展開する人」、つまり「産むデザイン」にくらべて「育てるデザイン」の重要度が格段にあがってくると思うのです。

企業ロゴだと「次々と新しいロゴを作る」ということから「1つのロゴを企業価値と結びつけて長く適切に運用する」ことへの重心の移動です。前者がデザイナーの役割で、クライアントの役割というように考えられてきたようにも思いますが、実は後者(ロゴを正しく運用や展開していくこと)にもデザインへの理解が少なからず必要です。だったら、自社にデザイン職を配置して、中の人として長期的、横断的な理解を持つデザイナーを雇用しようと考える企業も少なくないでしょう。デザイン職の配置は、その企業に関わるデザインの内製化をうながします。そのため、量産的に外の依頼を受けていたデザイン制作会社の一部は、不利な状況に追い込まれるかもしれません。

もちろん餅は餅屋ですから、きちんと専門性を担保できる優秀なデザイン会社は生き残るでしょう。しかし会社の「中の人」であり、長期的にその会社の中身を知っているデザイナーは「育てるデザイン」において軍配があがります。デザインの価値が社会に浸透し、その重要性が広まれば、どの企業にも「デザインに理解のある人を置きたい」という需要はより高まるかもしれません。「インハウスデザイナー」人口は、サステナブルな社会と相関してこれから拡大していくという仮説を勝手に持っています。

デザインの道に進みたい学生にとっては、デザイナーとして働く場所が広告代理店やデザイン会社だけでない可能性が広がりますし、そもそも名刺に「デザイナー」という肩書きがなくても、デザインを体系的に学んだことが、会計に強い、法律に強い、情報処理に強いなどのように、社会で強みを出せる1つの専門的属性になってくるかもしれません。

アウトソーシングがこれで無くなるという単純なことではないと思います。先に述べたように真のエキスパートの力は必要です。しかし、日本企業は古くから「メンバーシップ型」の労働、つまり社内横断的な理解がある社員を大切にする、ということを重視してきました。このことも「デザイン属性の社員をメンバーシップにする」という動きを後押しするのではないかも考えています。

一方でデザイン会社はどうすれば生き残れるのか、ということについて考えてみたいと思います。一つは内製ではとても得られないような高い専門性を持ち続けること。もう一つは、企業の中の人並みに理解のある長期的な関係性を築き、単一のモノづくりではなく、経営から考えたモノやコトの総合的なアウトプットと運用ができるようになることです。コンサルティング的な立ち位置と言い換えることもできるでしょう。

数多くの仕事を大量・無差別に受け、スクラップ&ビルド的に仕事をこなすのではなく、丁寧に長くつきあえる、限られたお客様との関係を続けていくサステナブルな関係、これを今、地方都市など東京以外の諸地域のデザイナーの活動に強く見ることができます。東京以外の地域のデザイン活動がさらに輝けば、今デザインを学ぶ学生たちがUターン就職の場として候補に入れたくなるのではないでしょうか。

もちろん時代に対応して必要とされるものは変わるわけですから、「産むデザイン」も「育てるデザイン」も大事だと思います。それらが良いバランスをもって連携し、良い社会が生まれていくと良いなと思っています。これにあわせて、いろいろな形でデザインという職能が社会に求められるようになり、それぞれ志す人たちが自分にふさわしい場所が見つけられることを望んでいます。

デザイン制作会社やデザイナーという肩書きは、もしかすると日本においては減るかもしれません(グラフィックデザイナーはとくに!)。しかしデザインの属性を習得し、デザインを理解した上で適切に運用していく「メタデザイナーを含めた全体人口」は今後きっと増えていく、そんな希望的観測を持っています。

ちょっと先(もしや今すでに?)の未来予測の話でした。
(長文、お読みいただきありがとうございました。)




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