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【短編小説】頭骨駆動のレースにアンフェタミンはいらない

出走までもう時間がない。

ぼくは頭骨駆動の最終チェックに入る。この愛すべき頭骨駆動は4段式エンジンを搭載していて、たった今測ったリアクションタイムは0.3秒。悪くない。悪くないどころか最高だ!
鶏骨滑走社の最新鋭の模造頭蓋に比べたらたしかに黄ばんでいるいるけれど、それでも標準スペックより高い水準だし、あとは脳縦士の腕でどうにでもなる。それになによりオリジナルヘッズの一つでもある。

「今からする質問に答えてください。みじめな星辰とみじめな芝生は、どちらが傾向的に恋慕してます?」

ぼくが頭骨駆動のコンデションを確認するために必須の質問項目を、むき出しの巨大な脳みそに向かって言うと、もともとすみれ色だった頭骨駆動の脳みそが反応して赤緑色の、匂いのきつい直流脳言語で応答した。
ぼくは一滴もこぼさず受け止め(このレシーブ能力は、研修生時代から常に1番だった。あの中村より上だった)舌で分析する。
星辰への恋慕47%、芝生への恋慕45%、その他8%。うん、悪くない。多少、星を砕いておこう。そうすればレース本番、理想的な反重力状態を発揮してくれるだろう。

質問を怠ったせいでレース中に生身で、地上1kmの高さに吹き飛ばされたきり戻ってこない脳縦士を何人も見てきた。ただでさえ崩れた恋慕平衡をたてなおすのは難しいのに、さらに脳縦しながらなんて絶対ムリだ。
そもそもササキ名誉脳縦士によって書かかれた教則本にも、風向きや天候ではなく恋慕平衡こそが最も考慮すべき環境変数であると、一章分を割いて書き記されている。ぼくのバイブルだ。

そのとき、メンテナンスルームに備え付けの老いさらばえた壁電話がジジジと、気難しそうに鈴を鳴らした。頭骨駆動から染み出してくる正体不明の脳汁で汚れた手をコットンタオルで拭き取ってから、電話に出た。胸の高鳴りが予期した通り、こんなタイミングで電話してくる人物は一人しか思いつかない、ウ子さんだ。

「教えておいてあげるけど、すごい数の観客だよ。きみ、緊張して手足が縮んじゃってんじゃない? それとも、脳中枢の砂漠化が加速してたり?」

ウ子さんの声はいつものように落ち着いていて、大人の余裕がある。
耳鼻科で初めて会ったときから変わらない絶対的な魅力。痩せ犬の骨で作ったスツールにお尻をのせ、まろやかな体のラインをワンピース状の白衣に浮かび上がらせながら「今日はどうしたの?」と優しい声で聞いてくれたあのときから今にいたる一年、まだほんの僅かしか関係は進展していなかった。ぼくはいつまでたってもウ子さんの一般患者に過ぎない。

いや、だから今日こそは絶対にウ子さんを感心させたい。反重力慣れした屈強な脳縦士たちの集うレースで優勝すれば、ウ子さんの僕を見る目も変わるはずだ。鼻水ぐずぐずの病人の端くれから、誰もがその残像を追う輝かしきスピードスター。

「応援の言葉がほしいならあげる。これできみの砂漠に雨を降ったら、私はさながらペンギン。このジョークの意味はね・・・・・・」

続く言葉は電話ごしの爆発的な歓声に吹き飛ばされて聞き取れず、そのまま電話は切れてしまった。脳縦士と頭骨駆動、一心同体のスピード狂たちの入場がすでに始まっていた。

メンテナンスルームの外は高層ビルの立ち並ぶ大都会。
おびただしい量の人間たちが高層ビルの窓から手を振って、ジャングルの獣みたいに叫んでいる。助けを呼んでいるわけではなくてたぶん応援。外に身を乗り出しすぎていて、落っこちてしまいそうでひやひやしてしまうくらいだ。でも、ぼくを応援してくれている人は誰ひとりいないだろうから、落っこちて死んだって構いやしないか。
地上にいるのは、脳縦士の他には若干名の脳外科医(脳縦士は必ず脳外科医をチームに入れる)だけ。レースの巻き添えを防止するために政府によって外出禁止令、つまり興行性の緊急事態宣言が出されている。

出走直前、リラックスのためのブラームスが流れる。ぼくはブラームスに感心していなかったので、大好きなビートルズのミッシェルを脳内再生。マッカートニー氏がアイ・ラヴ・ユーと並べ立てるのと同時に、昼の空に花火が打ち上げられた。まだ昼なので火薬の入っていない桜玉。それは空中高く割れて、地上に桜の花びらを舞い散らせる。視界がピンク色に様変り。マナーの悪い観客の醜い顔つきも、桜のベールの向こうに隠される。

スピード狂たちは頭骨駆動の前面のディスプレイに最短距離を表示させる。ルートはスタートと同時に公開。ゴール条件もこの瞬間に知ることになる。
今回のゴール条件は・・・・・・、一瞬の静寂、そして血統証付きのキマイラの咆哮を合図に、ついにレースはスタート、同時に自分たちの脳内世界に没入する・・・・・・。

頭骨駆動の交感神経に正確なワンプッシュ。四段式エンジンの二段目が、早くもトップスピードをたたき出し、触発された三段目のエンジンがウォームアップ開始。
前方には、目視で4頭蓋、後方にはおよそ3から5の頭蓋。レーダー照射。後方は6か。・・・・・・なるほど。こっちのルートを選択した頭蓋が全体の約3割か。残りは地下道ルートを選択。
たしかに地下道のほうが今回のゴール地点__ドーナッツフィールドへの直線距離は短い。でもゴール条件は到着ではない。格式高いドーナッツフィールドに入場すること。地下道でのサメの襲撃を避けながらの飛行は汚染必至。泥んこの宇宙頭蓋じゃ、ドーナッツフィールドに入場できないだろうというのが、ぼくら側ルート選択者の戦略、急がば回れ。

そのとき、ぐらり、とぼくの頭骨駆動が揺れた。

前方異常なし。背面カメラを確認。背後から音を消して追ってきていた頭蓋が、不遜にもぼくの頭骨駆動を割ろうとしている!
くそ、一度割られてしまった頭蓋は、元素濃縮カルシウムを摂るまで決して治らない。つまり、頭蓋の損傷はそのままレースの脱落を意味する。幸い、ぼくの頭骨駆動は不意打ちによってその中身をまだ開示せず、秘匿性の安定を維持している。
急いで攻撃社者の頭蓋のシリアルコードを確認。天然物ではない。鶏骨滑走社製の模造頭蓋、しかも5段式。クソ金持ちめ。

幸い、模造頭蓋対策は万全だ。
というのも、模造頭蓋のオプションは大量に存在するとはいえすべて規格品。だから挙動を予測しやすい。本当に怖いのは天然頭蓋だ。エンジンスペックで舐めてかかると、規格外のオリジナル・オプションでまくられることがよくある。

ぼくはオプションを作動させる。後頭部から突き出す幻筒から、百羽うさぎのばらまき。このうさぎ、模造頭蓋の発する微弱な脳電波に触れと小さな槍のような水素爆発を起こすギミックになっている。地球一の硬度を持つ(宇宙から降ってきたのだから当然だが)宇宙頭蓋を参照して作られた模造頭蓋といえども、さすがにこの衝撃には耐えられない。

これは内緒だが、このうさぎにはサブエレメントを溶かし込んである。つまり、乱数で宇宙頭蓋の中枢である脳幹をクラッシュさせる。そうなれば、レース後も宇宙頭蓋はただのガラクタだ。回復不可能。スポーツマンシップなんかくそくらえ。金持ちは苦しませていい。
ぼくはウ子さんが喜ぶ顔さえ見れればそれでいいが、ついでに金持ちが苦しむ顔も見れればなお嬉しい。

後続はすべてうさぎの爆発に巻き込まれた模様。このレースでぼくに追いつくことは不可能だろう。
残る問題は前方集団。後続の処理をしている間に、距離をあけられてしまった。

そんな焦りにリンクするように、頭骨駆動3段目のエンジンがぷるぷると震えだす。そろそろ四段目の準備が完了。
でも、タイミングの悪いことに警報が鳴り響いた。警戒領域内に、敵意を持った頭骨駆動が侵入してきた。どこから来たんだ?
現在の時速は300km、判断にかけられる時間は一瞬しかない。

ぼくは直ちに脳メルティングを開始した。宇宙頭蓋、すなわち宇宙空間へ直通の入れ物である頭骨と、自らの脳をリンクさせることで、情報処理速度を格段に向上させて体感速度を遅延させるこの機能は、判断を先延ばしにすることができる。要は、思考時間を3分ほど増やせる。
膨大な可能性の海を自在に泳ぎ回り、一瞬で熟考する。

敵性の宇宙頭蓋はビルの影に隠れ、ぼくが最接近したところでなにかしら致命的な攻撃を与えようとしている。オーケー、なら手は一つ。ぼくは赤い脳内麻薬入り注射器の針を、脳のもっともえぐれたひだに突き刺す。
びくん、と波打ち、前方の敵に向かって頭骨駆動が脳粲を射出した。

脳漿に干渉された宇宙頭蓋は自己認識を失い、完全な無の世界へ移行。宇宙―外―存在となり、レースは続行は不可能。・・・・・・ちなみにこれが、ぼくの天然物の頭骨駆動が持つオリジナル・オプションである。

警戒警報解除。ぼくは4段目のエンジンを起動する。いわゆるトランペットエンジンだ。この音色を聞くと、人間の興奮は極限に達し、木々は勝手に揺れて後から風が吹き、川の流れは上りと下りのベクトルが完全に一致して静まり巨大な鏡になる。これは開花と呼ばれ、あらゆる存在の内在的な花が咲くことを意味しているとされる。宇宙的な力だ。

この4段目をピークにして、頭骨駆動の地上への祝福は終わり、5段目からは呪いに変わる。5段目以降のエンジンの音色は宇宙のどす黒い怨嗟が込められている気がするから、ぼくは4段目までしか使わない。

さて、トランペットの音を聞きつけた前方集団が、次々にエンジンを開放し始める。でも、遅すぎる判断。
ぼくの頭骨駆動は彼らの背後に張り付いて、最高濃度の紫脳漿を相手の尻に当てていく。脳波を乱された宇宙頭蓋はコントロールを失って地上に墜落したり、ビルに激突。
その中に一つだけ天然頭蓋の3段式があり、ぼくの脳漿を幻筒から出した五十匹猫筵で防ぐと、瞬時に星辰への恋慕を高めて高度をとった。人知を超えたテクだ!星を食わせた?

3段式は宙返りしてぼくの背後を奪ってきた。
ひときわ大きな警報。リファレンスがエラーを表示している。相手が使おうとしているオプションが未確認なのだ。やけくその百羽うさぎの排出、でもほとんど効果がない。白うさぎたちの波をすり抜けて、敵の宇宙頭蓋がグロテスクな発射口をまっすぐぼくに向けている。

風が吹き始めた。ぼくの脳漿と同じ、脳波に影響を与えるタイプのオプションらしい。

一面の花畑。
ぼくの人の姿はない。
空には分厚い雲がかかって雨が降り出しそうな昼下がり。
あたりは薄暗くて心細い。
帰るべき場所の見当がつかないからだ。
ぼくはこの世界のことを何も知らない。
花を踏みながら丘を登ってくる足音が聞こえてきた。
この世界に暮らす人なら、
帰る場所は知らなくても
帰るべき方角は知っているかもしれない。
 すぐに甘い期待は打ち砕かれる。
 丘を登ってきたのはぼくだったのだ。
 この世界にはぼくしかいなかった。
ぼくしかいない世界でぼくは故郷を求めて
永遠にさまよい続けているのだ・・・・・・。

・・・・・・規律的な警告音がぼくを脳波混乱から引き戻した。

天然3段型のオリジナル・オプションのせいで、ぼくは意識を失っていたらしい。時計を確認するとスタートからすでに30分が経過している。20分近く意識を失っていたのだ!

遠くから歓声が聞こえてくる。でもぼくのいる場所は祭りの後のように静まり返っている。頭骨駆動を公共放送につないだ。
模造七段式と、天然5段式の宇宙頭蓋が、今まさにドーナッツフィールドの外周でデッドヒートを繰り広げていた。地下道からでもドーナッツフィールドに入れるなんて・・・・・・。

脱落者リストにぼくの頭骨駆動の識別番号があった。ぼくを潰した天然三段式も、すでに脱落者リストに載っている。

くそ!

ぼくは目の前の脳を思い切り殴った。ぐにゃりと嫌な感触がぼくの拳を伝わり、ぼくの手首は奇妙な方向に曲がる。激痛。自分で自分の手首を握ろうとするかのように、内側に折り曲がった僕の右手

痛みに気づかないふりをして頭骨駆動を降りる。住宅街の真ん中だった。スタート地点からかなり離れた郊外。きっと正気を失っていたときに、頭骨駆動が勝手に安全な場所を選んで着陸したのだろう。

電話が鳴る。
ウ子さんからの電話。ぼくは無視した。その場に座り込み、空を見上げた。桜の花びらが空を流れている。

「あーあ、きれいな空・・・・・」 

どれくらい見上げていただろうか。何もやる気が起きずその場に寝転んでいた。やがて、沈みかける太陽の光をきらきらと反射するものが空中に、小さな点として現れた。眩しくて目をそらすと、宇宙頭蓋のエンジン駆動音が聞こえてきた。もう一度空に目を戻して、すみれ色の空から降ってくる一人の人間を目の当たりにした。

ウ子さんはリュックサックタイプの模造宇宙頭蓋の自動恋慕調整を駆使して、ぼくの頭骨駆動の上に猫のように器用に着陸すると、長い髪をなびかせながらぼくを見下して閉口。

「まさか落ち込んでるの? 表面のでこぼこをならすみたいに、心の状態も整えたいところなのね?」

その言い方はあまりにデリカシーに欠くものだったし、骨折した右手首が痛かったこともあって、

「うるさい」

とぼくは口答えする。ウ子さんはぼくの態度に愛想を尽かしたっていいはずなのに、大人の笑みを浮かべて、

「ほら、帰るよ」

と言って、手折った造木の枝でぼくの右手首を固定してくれた。ぼくは短い悲鳴を上げた。

「チキンでも食べに行こうよ」

ウ子さんは短いスカートを翻してぼくの頭骨駆動に乗り込む。ぼくがワンハンドで脳縦して中央外交塔214階のチキン専門店に向かった。
宇宙の星々を生け捕りにできそうな立地のこのチキン専門店では、サイズノートも飲めるのだ。


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