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ホロコースト 1/3

少し過激な内容になるので、苦手な方は閉じてください。

始まりは、大学準備の文化学習ツアーで
ダッハウ強制収容所に訪れたときだった。

(2018年9月19日 ダッハウ強制収容所門)
Arbeit macht Frei: "自由のために働け"

(9月19日 ダッハウ強制収容所①)

(9月19日 ダッハウ強制収容所前モニュメント)

(9月19日 ダッハウ強制収容所内の火葬場)
後にこれでは足らず、増設され、それでも足らず1日も休まず動かされていたと言われている。

( 9月19日 ダッハウ強制収容所②)

(9月19日 ダッハウ強制収容所の独房)
独房ではパンの切れ端と水を数日に1回程度でしか与えられていなかった。

(9月19日 ダッハウ強制収容所内の銅像)
誰もが下を向いて整列する中、ポケットに手を入れ、上を向く姿勢は希望を象徴した。

有名なバイエルン出身の独裁者アドルフヒトラーが、
最初に作らせた強制収容所がダッハウ強制収容所である。ここには主に当時の政治犯、戦争捕虜、そしてユダヤ人や異教徒が収容された。

記念館では短い映像も見ることができる。中には小さい子もいたが、刺激が強いため未成年にはオススメしていない。

映像は、当時収容所を解放した連合軍の撮った物と思われる。その映像の中では、ミイラを思わせる人の死体が、ゴミ山のように無造作に積まれ押し込まれている部屋や、外に裸で転がされている死体、組み木のように積まれた死体、連合軍によって助けられたが栄養失調で死体のような体をした人が流れてきた。

何十、何百、何千人いただろう。
腕が千切られたり、足を折られたりなんかしていない。そんな手間さえかけられていない。
枯れ木のような体が集まっていただけである。

彼らには、収容所に入る前まで人生があった。

家族のいる医者がいた。ある日突然、職を奪われ、家族を奪われ、尊厳を奪われ、命を奪われた。

僕は強制収容所で行われたこれらを、現代の"殺人"とは違うと考える。
"殺人"は被害者に対して向き合っている。理解はできなくても、本人には殺意と目的がある。

だが、強制収容所にはそれがない。殺してやろうと明確な殺意を持って行っていたわけではない。

ここで行われたのは、ただの分別と再利用と投棄だったのではないだろうか。

負の遺産を見て、感じて、考えるために、
自分の足を伸ばせる範囲で、歴史を辿ることにした。

2019年12月15日
なおと

#留学 #ミュンヘン #ドイツ #海外 #ホロコースト #ダッハウ強制収容所 #人の命 #倫理 #学習ツアー #歴史 #写真 #自分への挑戦

2019年4月12日 僕は、自分の誕生日の夜、ポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所行きのバスに乗った。

ホロコースト 2/3
https://note.com/rootrootroot/n/nfaf356b06ac0
ホロコースト 3/3
https://note.com/rootrootroot/n/nd7bf74561105

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