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自分を誤魔化さない関わりに繋げていく

先週は久しぶりに、不登校関係で繋がった学区内の親同士で集合🙋

今は定期的にはやらず、誰かが話したいピークに声がかかったり、偶然立ち話した延長で「やろっか」となるお気楽な集まり。

自転車や徒歩で行く気軽さ、子どもに留守番してもらって小1時間だけ話す、抜けるも自由、お互い様の場で私も行きやすい。これは人が多い&不登校多い地域だから成り立つのかもしれない。(今はあえて、人の多い地域で過ごしてる。子ども時代に過疎地域で苦労したため)

仕事してる人ももちろんいるけど、半数以上は平日の日中に集まれてしまう。
日中は仕事がしにくい…という切ない理由もある。

夫がいる場合は夫とも協力を…とか、もちろん理想はたくさんあれど、1番子どもが心を落ち着けるのが母なのであれば、チームとして意思疎通して上下関係を作らず、家族とは役割分担をしていくこともひとつの大切な手段になる。

そして子育てだけではなく、少しずつ介護も入ってくる世代。

外部に支えを作ろう、はサラッと言うにはかなり疲れる工程が多かったりもして。
孤立化していくのはけっこう簡単だなと思う。

少しでも話せると、共感が欲しい時は癒しになったり、
燻っている感情があるときは客観的になれたりする。

感情的な怒りや悲しみやイライラは、留めていては進めない…というか、子どもがいるとそこに留まり続けてらんないというのが正直あるから、なる早で整えて目線を上げていく。これは不登校に限らないかなと思うけど、やはり自助会(ピア的な場)があると、ここが早いなーと感じています。

ほんとは自助会なんていらない社会がいいけど。。

現状、例えば子どもが昼夜逆転デフォルトだけどそっからどーしてるー?みたいな話をなかなか「問題視ではなく状況説明的にサラッと相談し合う」が出来る場って、、ない(笑)

あと私達の共通点は、「後ろ盾がいない」ということだろうと思う。体験してきていない複雑な日常を、代わりがいないからこそ「自分意志はなくても」やるしかない、続けているというのがある。

ただ、受け入れられるとラクになるし、大きな学びや親子ともに成長したり、喜びに気づけていくけど、やはりまず受け入れるまでがたいへん。

批判されない安心の環境で、違和感をポロポロと口にできる関係性があると健全さが保ちやすい。
子ども達もそれは同じかなーという場面は何度か出会っていて、例えば学校であった嫌なことを似た立場同士とか、否定されないとわかる大人には言えたりする(親でも第三者でも)。

そんな誰かとの環境(遊びながらでも静かな場所でも、ドライブ中とかでも勉強しながらでも、何でもいいんだけど)がある中で、時間をちゃんとかけて葛藤や消化ができると、
「見下されないように取り繕いたい外向きの時期」を越えて、
「自分が納得してたら、まぁいいか…」という視点を持って動く段階に、年齢問わずに入っていけるように見えます。

核家族化したワンオペが普通な現代だとそれがやりにくかったり、じゃあコミュニティに入っておこうとか、対策を…と動くにしても、すでに忙しい中ではどんどん足し算的になってしまう。

だからこそもっと、引き算的に、、といつも思う。

シンプルな会話や温度のある関わりって、それだけでお互いの承認になります。重ねるごとに自分を誤魔化さなくなる。
誰かに「イイね」してもらわなくても、満ち足りるようになるといちばんいいかもね(^^)




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