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書評/『我が手の太陽』(石田夏穂著):能力減退に直面した時、過信とプライドがキャリアと人生のクライシスを招く……

 石田夏穂の二回目の芥川賞候補作となった本作は、技能の低下に直面した熟練溶接工が現実を受け入れられず苦悩する物語である。心身の衰えと共にキャリアが停滞した時に自尊心と社会性をどう保つのかという問題が作品の底流にある。

 主人公の伊東は、技術の高さを売りにしている配管工事会社のエース溶接工であった。太陽と同じ温度の炎を自らの手で制御して鉄を溶融させる時、こんな危険で困難な仕事をできるのは僅かな人間だけだと感じていた。ある日謎の検査員が現場に現れたのをきっかけに、伊東のキャリアは狂い始める。外目に完璧だった溶接線にまさかのフェール(不合格)判定を下されたのに続き、安全対策ルールを破り命綱をはずしたまま作業している所を元請に見つかり、一年間の溶接作業禁止の罰則を受けてしまう。鋼管を結合させる化学プラントでの「溶接」から、ただ柱を切断するビル解体現場での「溶断」への異動は伊東の自尊心を傷つけ、周りの作業員を見下す傲慢さを大きくした。

 伊東の屈辱感と焦りは多くの読者が共感できるものであろう。能力の衰えに伴い第三者からの評価が落ちることは、分野の違いこそあれ誰もがいつか経験することである。登った山が高ければ、転げ落ちるスピードも速いことも世の常だ。本書に散見される溶接に関する専門用語は一見読者を突き放すが、それは「自分の凄さは所詮世間の人にはわかってもらえない」という伊東の鬱憤の裏返しのようでもあり、技術的説明以上の効果を持っている。

 中盤以降は、会社の上司や同僚、職業健診を行う産業医が登場し、伊東を取り巻く社会にも光があてられる。作業中に発生する有害な金属蒸気と過酷な労働環境が健康と能力を蝕むことは、溶接工共通の問題だった。多くの溶接工が現場を離れる四十歳という年齢を間近に控えた伊東に、産業医や会社の上司は、高い技術を活かして管理職や検査官へキャリアチェンジすることを勧めるが、彼は溶接工としての一流の現場に拘る。同僚や先輩の生き様は、年齢の壁の越え方は人それぞれであるものの、いずれの選択においても自分を見つめる確かな目が大切であることを示唆する。「自分が仕事で相手にするものは自分自身、すなわち自分の力量、職能、価値だ」と豪語する伊東の目は確かなのか? その答えは、時々現場に現れては「またフェールするよ」と伊東に呟く謎の検査官の正体をどう捉えるかにもよるだろう。仕事は自分との勝負だと考える伊東でも、強い承認願望を持っている。人は誰もが社会的存在であることを実感する。

 技術もプロ意識も低い二流の現場に染まり一流の溶接現場に戻れなくなるのではないかと危機感を募らせる伊東は、かつて師匠と仰いだベテラン溶接工に、あるお願いをする。そこから最後までのクライマックスは、伊東の職人としての全てをかけた壮絶な闘いである。現実と幻の境目がぼやけるラストはショッキングで、その解釈を読者に委ねる余地を残している。

 本作は著者初の芥川賞候補作となった「我が友、スミス」と一対であるような印象を持った。旧作「我が友、スミス」は、人生の上り坂でボディービルを通じて自己を確立していく若き女性の奮闘と喜びを、ユーモアたっぷりに描いている。二作ともマニアックでストイックな主人公が登場するが、今作は人生の下り坂で、それまで築いてきたものを喪失する中年男の悲哀がテーマであり、当事者性、扱う分野(溶接)の専門性の高さ、話の重さにおいて、著者は旧作より遙かに高いハードルを超えている。これら二作の主人公ばりに挑戦を厭わない石田氏の今後に期待したい。

              

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