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第六話 「恵まれているのだから」の呪文はもう効かない

母を生きることが、私を生きることに置き換わっている・・・

そのことに気づいた私はどうしても今のままの自分ではいられなかった。

もちろん母することで、それまでの自分の人生では想像し得なかったほど、たくさんの贈り物を受けとっていた。けれども、人一倍「母する人生」を歩んできた生きてきた母親の寂しそうな姿を思うと、私はそのままただ育休が終わるのを待つことはできなかったのだ。

娘は8ヶ月。育休はまだ数ヶ月残っていた。それなのに産休前に見た、先輩管理職の働く姿の残像に翻弄され「できて当たり前」の幻のプレッシャーを自分にかけては苦しくなる。復帰後を思って憂鬱になり、どうすることもできない自分への苛立ちや憤りを感じることの繰り返し。

働くことを通じて、私はなにを叶えたかったのだろう。そして私はどんな人たちに、どうお役に立てるのだろう。

私の天職って何?

会社に復帰して、私は今一度、働く意義や目的を見いだせるのか。それを見出すことができたとして、それだけの働きができるのか?想像してもわからないことに私は苛立ち、焦り、葛藤していた。

以前の私だったら、どんなに仕事が過酷でも、収入、環境、家族。これ以上ないくらい「恵まれているのだから」の呪文ひとつで済んでいたはずだ。覚悟を決めて転職したその日から、ここ以外に我が身を置く場所なんてない、そう信じて疑わずひた走ってきた。

実際、チームで仕事をするのが楽しくて、会社に行くのが楽しみでたまらない日々もあった。部下の成長が、自分のこと以上に嬉しいという場面もたくさんあった。そんな風に楽しく働き、成長の実感や、やりがいが感じられる、そんな環境をつくりたくて、管理職になろうと決めたはずだった。

私が一番嬉しかったのはなんだっただろう。自分の仕事がうまくいったときなんて「ほっとする」くらいのものだった。そんなことより、関わった誰かや部下たちが、楽しそうに仕事をしていたり、目の前で笑顔になっているときの方がその何倍も嬉しかった。

けれども、私が産前配属されていた部署の仕事は過酷、というよりダークすぎた。目を疑うようなトップダウンのタスク。時間をどれだけ費やしても成果につながる実感が得られない。おまけに上層部の鶴の一声や、アングラの根回しでコトが進む。これだけいのちの時間を費やしてきて、一体自分たちは何をしていたのか?正直、管理職になった私でも、目を疑いたくなるような場面になんども遭遇していた。

あまりにも理不尽でブラックすぎる世界。何が正義なのかわからない。いつ、何時、シナリオがバッサリ変更されるかもわからない状態で、どうやって部下たちを励ましてやることができよう。まるで、おおかみ少年のような気分だった。過酷すぎる環境で明らかに部下は疲弊している。そんな部下たちを目の前にしながら、タスクを交渉して変えてあげることも、苦戦する部下を救ってやることもできない、自分の不甲斐なさを痛烈に感じる日々だった。

「恵まれているのだから」という呪文がすっかり神通力を失っていたのは、娘を授かるよりもずっと前からだったのだ。

すべての人にとって生きる原動力になるはずの「笑顔」が、そこにはほとんどなかった。その過酷な環境を笑い飛ばせるほどの肝っ玉も、力量も、私には備わっていなかった。部下たちには本当に申し訳なかった。

満面の笑顔で笑いかけてきて、生きる喜びに溢れる娘を見ながら、私の仕事に対する「やる気」のプラグは明らかに次の「接続先」を見失っていた。果たして職場に戻って、つなぐ先を再び見出せるのだろうか。でもどうやって?

明らかに、今のままではダメだと叫ぶ声がする。どこかが「違う」と言っている。だけど、今の私には今の私のまま「会社に戻る」という選択肢しかない。この選択こそが、唯一の選択であり、最良、最善だと思わなければならない。そんな自分であることが苦しくて、嫌でイヤでたまらなかった。

育休は終わってもいない。復帰後がどうなるかなんて、復帰してみなけりゃ誰にもわからない。

そんなことわかってる。

わかっていても、この幻のような不安を自ら作り出しては溺れるのを、どうにかしてやめたかった。

生き方、働き方、他の何も見ることなく、本当に「これでいい」と自信をもって言える私ではなかった。今のまま戻るだけでは、行き止まりが見えているような気がした。

少しでもいいから、違う世界を、可能性を覗いてみたい。

そう思った私が飛び込んだのが、とあるコーチングの学びだった。マネージャー研修などで、何度か受けていたコーチング。上司が答えを教えるのではなく、相手の内にある答えに気づき促し、

「答えは、その人自身が持っている」

そんなアプローチに魅かれて、いつか専門的に学びたいと思っていたからだ。でも、当時は今のようにオンライン受講なんてものはなかった。かつて会社の研修で受けた某企業のプログラムは、場所的にも、時間的にも、8ヶ月の子供を抱えた状態では、とても受けられそうになかった。

とにかく何もせずにはいられなかった私が、これなら受けられそうだと選択したコーチングは、私がそれまでに体験したり学んだことのあるコーチングとは異なる、少しばかり不思議なアプローチをするものだった。

今思えば、あれはコーチングというよりは「対話」「ダイアローグ」に近いものだったと思う。それでも、心理学や潜在意識のこと、思考の現実化、ポジティブとネガティブの扱いなど、それまでとは違う物事や意識の捉え方に触れながら、久しぶりに純粋に「学ぶ」ことの楽しさに触れることができた。学ぶことで、何か新しいものを身につけることで、新鮮な空気を取り込んで、呼吸するたびに生まれ変われているような気がした。

まだ8ヶ月で授乳中の娘を抱え、保育園の一時保育やファミリーサポートをフル活用し、4時間受講してダッシュで帰る。そんなことを繰り返していた。そうまでして、今の自分から脱したい、とりとめのない不安から逃れたい一心だったのだ。

一歩踏み出せば、何か変わるかもしれない。まだ見たことのない新しい世界が開かれるかもしれない。この頃の私は、ただそう信じていたかった。 


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