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ポスト資本主義の社会をみんなで考えよう〜『柄谷行人『力と交換様式』を読む』

◆柄谷行人ほか著『柄谷行人『力と交換様式』を読む』
出版社:文藝春秋
発売時期:2023年5月

柄谷行人が2022年に刊行した『力と交換様式』は、前世紀末から手がけてきた一連の仕事の集大成ともいうべき本です。本書はその書物に関する手引き的なものと言えます。

まず『力と交換様式』についておさらいしておきましょう。

マルクス主義においては、社会構成体の歴史は建築的な比喩で表現されてきました。生産様式が経済的な土台にあり、政治的・観念的な上部構造がそれによって規定されるという考え方です。柄谷は、社会構成体の歴史が経済的土台によって決定されるという史観に同意しつつも、その土台は生産様式だけでなく、むしろ交換様式にあると考えます。

交換様式には次の四つがあります。

 A:互酬(贈与と返礼)
 B:服従と保護(略取と再分配)
 C:商品交換(貨幣と商品)
 D:Aの高次元での回復

世界は紆余曲折を経て、交換様式Cが主流となる資本主義社会を成立させました。旧ソ連が崩壊し一人勝ちしたと思われた資本主義ですが、その後は様々な問題点を露呈しています。格差の拡大や環境破壊などです。そこで資本主義にとって代わる社会のあり方が以前にもまして議論されるようになりました。本書の文脈でいえば交換様式Dがそれに相当します。交換様式Dは交換様式Aを高次の次元で回復するものですが、現実には存在しません。一つの理念としてあるだけです。

ここで厄介なのは、Aを高次元で回復するDは「人間の意志あるいは企画によって到来するものではない」と柄谷が確言していることです。それはいわば「向こうから来る」と。フロイトの無意識の理論を援用した物言いですが、この認識に対しては拍子抜けする読者が一定程度いるのではないかと思います。少なくとも私には納得しがたい。あるいは難解と言い換えてもいいのですが。

前振りが長くなりました。さて本書は『力と交換様式』に関する柄谷本人の講演記録や質疑応答、他の論者による書評などから構成されています。雑誌の特集面のような作りです。

交換様式Dは「向こうからやってくる」という柄谷の命題に対しては、斎藤幸平が鋭いツッコミを入れていて、そのやりとりが本書の読みどころの一つだと思います。
東京大学で行なわれた講演会でコメンテイターを務めた斎藤は次にように述べています。

 ……私たちはDの出現をただ待っているだけではなく、そこに向かって何らかの形でアソシエートしていくという主体的な行為がやはり求められるのではないでしょうか。さまざまな社会運動や環境運動にコミットしている身としても、そのような能動性は手放せないと感じています。気候崩壊のときに、X的な何かが生まれるかもしれない。でも、それでは間に合わないわけですから、やはり破局を止めるためのアソシエーションをつくり、それが資本主義を超出するような運動になっていくべきではないか。そのようなDは、マルクスを扱う以上、コミュニズムであることは自明であり、私はそこに「脱成長」を付け加えたんです。(p59)

聴衆からも同様の質問が出たのに対して、柄谷は次のように答えています。

 Dが向こうから来ると私が言ったのは、何もしなくてもいいという意味ではありませんよ。むしろ大変な努力をして、それでもうまくいかない。でも耐えろ、ということです。だから明るくもないし、楽な道でもない。(p68)

「大変な努力」の末に「向こうからやって来る」というわけです。それなら理解できなくもありませんし、斎藤の意見とさほど隔たりがあるとも思えません。

それ以外では最終章に収められている五人の論者による書評が興味深い。何より書き手がバラエティに富んでいることが柄谷本の奥深さを示しています。臨床心理士の東畑開人、キリスト教神学に詳しい佐藤優、日本語文学研究者の渡邊英理……。それぞれの観点から『力と交換様式』を読み解いており、柄谷の「抽象力」の凄さがそのことからも理解できるのではないでしょうか。

余談ながら、本書でも触れられていますが、柄谷は2023年に哲学界のノーベル賞といわれるバーグルエン賞を受賞しました。「従来のマルクス主義の考えに大胆に挑戦して『生産様式』ではなく『交換様式』という独自の概念で歴史の展開を捉えた点」が海外からも評価されたのです。『力と交換様式』は受賞後の刊行ですが、まさに世界が注目しているテーマでの集大成的な書物をより多角的に読むという点でも本書は意義深いものと思われます。

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