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聖徳太子はマルチな信仰の対象!?〜『日本宗教のクセ』

◆内田樹、釈徹宗著『日本宗教のクセ』
出版社:ミシマ社
発売時期:2023年8月

内田樹と釈徹宗の対談集。テーマは日本の宗教です。あらゆる信仰が習合する点にその特徴を見出すのはごく一般的な認識ですが、内田の発言はおしなべて雑駁で、得意の与太話芸も本書では空転気味。
とくにひどいのは、最終盤で釈が内田に対して総まとめ的に質問する場面。

「日本人は無宗教だ」について、あるいは「日本人は、クリスマスも祝って、お寺で除夜の鐘も撞いて、神社へ初詣も行って、宗教についていい加減過ぎる」などという見方について、どうなふうに思われますか?(p236)

内田の回答にはズッコケました。

う〜ん、僕は「日本人は」と括るよりも「日本人にもいろいろあります」という立場ですね(笑)。(p236)

いやいや、それまでさんざん「日本は」「日本人は」という大きな主語で語っておきながら、今さらそんな返し方をするとは、あほらし屋の鐘が鳴ります。

一方、この分野では専門家である釈の発言にはところどころ学ぶべき点がありました。とりわけ面白いのが、日本の習合信仰が如実に現れている例として聖徳太子信仰の歴史的変遷を概説くだり。ざっと要約すると以下のようになります。

……四天王寺は聖徳太子の発願によって建立された日本最初の官寺だと考えられている。救世観音がお祀りされているが、聖徳太子はこの救世観音の化身だとする信仰がある。聖徳太子信仰は、かなり早い時期からさまざまな伝承に彩られており、多様な展開が生まれた。

日本の仏教の祖だと考える立場から、太子は日本の釈迦だとする信仰が発生する。あるいは、太子は勝鬘の生まれ変わりであるとする信仰や、中国の慧思という高僧の生まれ変わりであるとする信仰は、すでに奈良時代にはあった。勝鬘はインドの女性在家仏教者で、『勝鬘経』ではこの人が大乗仏教の教えを説くお話がつづられている。太子はこのお経を重視して、自ら講義したと言われている。慧思は天台大師・智顗の師で、中国仏教の巨人のひとり。鑑真が日本に来ることになったのも、「日本の聖徳太子という人は、我が国の慧思禅師の生まれ変わりと聞く。だから私は日本へ行かねばならない」といった理由があったと言われている。

平安時代になると、観音菩薩の化身だとする信仰が強くなったらしい。観音菩薩はさまざまに変化するので、如意輪観音や馬頭観音などバリエーション豊富だが、太子信仰では特に救世観音が重視される。これは仏教経典には出てこない観音で、聖徳太子信仰独特の観音様だと言えよう。

また、太子は物部氏をほろぼした英雄だとして、軍神としても信仰されている。中世になると、吉田神道などでは太子を神道の祖であると考えるようになる。
もう少し時代が下ってくると、相沢正志斎が言ったように「太子は仏教を日本に土着させた、とんでもない悪人だ」といった批判も出てくる。林羅山なども厳しく批判している。そこから廃仏毀釈の標的となった。その一方では、大工、鋳物師、鍛冶屋、左官屋といった職人、特に建築関係において太子が強く信仰される。建築関係者の太子講などの形で現在でも続いている。これは四天王寺を作った金剛組の系譜に連なる信仰の形だ。

さらに近代になってくると、岡倉天心やフェノロサたちのように日本文化を高く評価する動きから、聖徳太子はさまざまな文化を生み出した人物として注目された。同時に、大国と対等の外交をした人物ということで外交の元祖として祀られる。また、憲法制定をした人物として、憲法の元祖としても祀られる。これは近代独特の太子信仰と言えよう。それに、太子の「承詔必謹」という言葉から天皇絶対主義者の信仰を集めることにもなった。
戦後は、「和をもって尊し」の言葉から、和の精神をもった平等主義者・民主主義者と評される……といった具合です。

この話を受けて、内田が思わず釈に「太子信仰」を書くことを勧めているのは読者の声を代弁するものでしょう。紙幣の肖像にまでなった聖徳太子はまさに日本の宗教性の象徴的存在といえるのではないでしょうか。というわけで、この概説に触れただけでも本書を読んだ甲斐があったと思います。

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