新_目白雑録_Fotor

「小さいこと」からネチネチと〜『新・目白雑録』

◆金井美恵子著『新・目白雑録』
出版社:平凡社
発売時期:2016年4月

金井美恵子といえば、小説作品にもその趣味嗜好が濃厚に刻まれているシネフィルぶりを想起しますが、時にフローベール的とも評されるエッセイにもその持ち味が存分に発揮されているように思われます。

本書では「その時々の時代の大文字のニュースや出来事の周辺で書かれた様々の小さな言説に対する苛立ち」にアイロニーをまぶして存分に金井節を炸裂させています。その執拗な絡み方とあいまって今時のSNS界隈では嫌われそうな芸風ですが、全方位に友好的で人を和ませる文章だけが読書の悦楽をもたらしてくれるというわけでもないでしょう。

いとうせいこうの『想像ラジオ』を皮肉っぽく寸評し、磯田道史が新聞に書いた書評文をやり玉にあげる。片山杜秀が『砂の器』に寄せた批評に対しては、松本清張の原作を読んでいないことを推測してやはり揶揄めいた論評を加えることになります。

映画『ローマの休日』のアン王女に扮した森村泰昌のセルフポートレイト作品を貶すあたりは当然ながらマニアックな考察を披瀝しています。森村の扮装はサマーウールのスカートで霜ふりのピンク。……が、そもそも『ローマの休日』はモノクロ映画なのだから、カラー写真なのはおかしい。映画の中でヘップバーンが着たフレア・スカートはカシミアのグレーかブルーと考えるのが、50年代のファッションを考えれば「常識」だとツッコミを入れていきます。

お世辞にも名文とは言い難い文体で紡がれるクリティカルな言葉は読者によってはっきり好悪が分かれることでしょう。単なる言いがかりじゃないかと思われるような箇所もなくはないけれど、文化的な表層から始まったはずの森村批判からブランド人気の裏に潜む社会的貧困の問題にも話が及んだりするから油断なりません。

政治の質が劣化したあまり、小説家やアーティストまでが民主主義を唱導して「正論」を吐く時代になりました。東浩紀のいう「学級委員長」的な言説が目立つ時代と言い換えてもいいでしょうか。
そういう時代だからこそ、なおさら天の邪鬼の私は本書のような辛口の「雑録」にもエールをおくりたいと思うのです。

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