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8年前の中国、北京大生に

思い切りの決断

私が初めて中国に留学したのは2013年だ。

別に中国にルーツがあるわけでも、中国語が得意だったわけでもない。何より、中国に行ったこともなかった。

1年間の留学のため北京に降り立った、その日が初めての訪中だった。

北京では2012年、日本政府の尖閣諸島の国有化に反対する大規模な反日デモが起きた。私が訪中した13年という年も、反日感情は強く、デモの余韻が残っているのを感じた。また、PM2.5の空気汚染も深刻で、駐在員を派遣している日系企業では、社員や家族を日本に帰国させる、などといった動きも出始めていた頃だ。

私自身は大学で2度目の留学。既に4年生になっており、進路も決まっていない。

今思えば、なぜそこまで思い切れたのか。自分でもよくわからない。

中国語がわからない

私が交換留学したのは「北京大学」。エリートが集う中国の名門大学だ。選んだ留学コースは、一般の学部に入学し、単位取得を目指すダブル・ディグリープログラムというもの。厳しい環境を選んだ方が、より成長できるだろうという甘い考えだった。

大学の講義は1コマが3時間。休憩の10分間を除き、ひたすら教授がひとりで喋り続ける。グループワークや議論などという時間はあまりなく、ノンストップでお経を聞き続けないといけない。

案の定、私は教授の言っていることがさっぱりわからない。調子の良いとき聞き取れたといっても、理解度は内容の5%ほどだろうか。そもそも、日本で中国語を勉強していたとはいえ、いきなり現地の大学講義に出るのだから、レベルのギャップときたらない。

中国語と戦うどころか、毎日睡魔と戦っている。あぁ、こんなことなら語学を専門で学ぶ「語学コース」にすればよかったではないか。面接で「中国語、出来ます!」と自信満々に答えた自分が悔やまれる。

優秀すぎる学生

そもそも、北京大学の倍率は150倍だそうだ。そこら中に座っている学生は、一人一人が頂点を極めたスーパースターといっても過言ではない。田舎町から出てきたという友人Cは、その町から北京大に入学したのは自分が初めてだったと控えめに話した。

彼の入学が決まったとき、町は大いに盛り上がった。大勢の人に見送られて北京にやってきたと話す光景が目に浮かぶ。自分の将来だけではなく、村の将来も背負っている。そんな重い覚悟が彼の行動や発言から見え隠れしていたように思う。

中国の学生はとにかく朝が早い。なんといっても学生寮では夜10時にすべての電気が消えるため、強制的に寝るしかない。生活リズムは超規則的。とにかく、朝は太陽と共に目覚め、1限目の前に、ひと勉強し終えているという人が多い。

寮は小さな部屋にダブルベットが2つ、計4人が生活する。ベットの隣に小さな机が付いているのだが、自分のスペースはほんの限られた場所でしかない。

そんなことに文句も言わず、学生たちは勉強しつづける。図書館はいつも自習の学生でいっぱいだ。とにかくひたむきで勤勉な姿がとても印象的だった。

ありがとう漢字

さて、中国語がわからない私だ。講義では、これらのスーパースターたちに助けを求めた。耳では聞き取れないが、目では字面からなんとか授業内容を掴めるのでは。隣に座る学生を捕まえては、メモをとっているノートを覗き込ませてもらった。

共通語としての漢字に、これほど感謝したことはない。ノートいっぱいに埋められていく漢字を目で追いながら、教授の話していることを想像した。これで理解度は3割ほどまで達しただろうか。話についていけているとは言い難いが、大きな進歩だ。

「ノートみたいでしょ?」。自ら私の隣に座りに来てくれる友達もできた。なんていい子なんだ。卒業までの道のりは長い。果たしてやっていけるのだろうか。


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