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生きてる意味なんて分かるわけがない

FF14を一緒にやっている友人が、メンタルを病みました。
日に日に元気をなくしていくその友人から尋ねられた事がありました。
「俺は何の為に生きているのか」と。

ぶっちゃけ、何の為に生きてるかとか考えた事がありませんでした。
うまい飯や酒をかっくらってるときに冗談として
「いやー、俺はこの為に生きてるっつっても過言じゃねえな!」
と言ったりはしますが、基本的に割と刹那的で、俺は何の為に生まれたのかとか何をして生きるのかとか考えたりしません。それ考えるとアンパンマンってすげーよな。
まあ俺が刹那的ってのは尤もな話です、刹那的でなければお先まっくらな警備業界に15年も居続けたりもしませんわ。
しかしかれこれ3年、FF14で極コンテンツや零式を一緒に回ったマブダチの本気の悩みです。ほったらかすのも気が引ける。
そこで俺も思考停止していた土留色の脳みそを若干動かして考えたりしました。

そもそもなんですけど、使命を帯びて生まれた子供なんてそうそうおらんって事です。
お前はこれから◯◯家を背負うために生まれてきたのだって感じの旧家的な使命を帯びて生まれる事はあるでしょうが。
まるで人狼ゲームのように、さあ始まるザマスよと言うときにロールを渡されて生まれる事はないです。
ジャンヌ・ダルクだって天啓を受けたのは12歳。俺がいた大学の英語の教授が神の国を日本にこさえなさいと啓示を受けたのはそれより更に年食ってからです。
まあ、それが本当に天からのお告げであったのか、ビタッとハマる天性の才能と天職を指して天啓が降りたと表現したのかは別ですが、「俺はこれの為に生まれたんだ」なんて言えるような経験はそうそうあったもんじゃない。

しかし、年寄りと結構話す機会があるだけにわかる事なんですが、「俺はこの為に生まれたんだ」と言う人はあんまいないんですが、「俺はこのために生きた人生だったのかもな」と言う人は結構います。
人生も終わりに差し掛かり、これ以上新しい展開も望めない。
映画で言ったらスタッフロールが流れつつあるような年齢に差し掛かって自分の人生を振り返る。
すると、長い人生のところどころでめっちゃ頑張った事とか、思ったよりうまくいった事とかが転がってる。当然クソみたいな出来事や何もなかった時間のほうが多いんでしょうけど。
谷川の泥を浚って砂金を探すように人生を総括すると、そういう「自分の人生で良かった事を探すとしたらコレだな」ってのが見えてくる。
それを評して「俺はこの為に生きて来たんだな」と言う言葉が出てくるんじゃないかなと思います。
まあでも、食っちゃ寝で苦労せず生きていたり自分探しばっかりやってるようでは
「俺は食っちゃ寝するだけの人生だったな」とか、
「俺は自分探しするばかりで自分を持てない人間だったな」とかで終わりそうですけども。
それはなんというか、あまりにもさみしい。

人生はインディアンポーカーみたいな物です。自分の手札は見えない。人の評価で判断するしかない。
そんな中で自分一人で自分を探したところで、自分なんか分かる訳がない。
生きている理由なんて探したところで、そんな物が見つかる訳がない。
社会の中で生きて、苦しんで、楽しんで、そろそろお迎えが来るぞって時にようやく見つかるボーナスのような物。それが生きた意味です。
満期も迎えてないのに還付金がもらえると思ってんじゃないだろうね?

莫逆の友よ。うっかりミスの目立つけど憎めない我が愛すべき親友よ。
生きる意味なんて分からんよ。俺にだって分からん。
みんなで楽しく生きて、苦しいときに歯を食いしばって。
泣きたいときには大いに泣いて、食って飲んでクソして寝て。
いつか「俺が生きた意味はこれだったんだ」ってのが分かったら、俺にも教えてくれ。
そして願わくば、そこに俺の影が多少なりとも残っていますように。

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