京都エッセイ(11)みどり
僕は緑色が好きだ。
いつ好きになったかと聞かれたら、すぐに思い出せる。
小学校低学年の頃だ。
『友達ノート』というのを知っているだろうか。好きな食べ物やドラマなんかを書く欄がたくさんある紙切れがが束になっているものだ。それをちぎって仲良くなりたい子に書いてもらう。
よくわかるという人は平成初期か、昭和終わりくらいの人だろうか。令和生まれ、平成終わり生まれくらいだろう。今の時代でいうとなんだろうか、プロフィールを紙で交換し合うといった感じ?
周りはみんなその紙をもらっていた。
幼かった僕は仲間外れにされたみたいな気持ちで、早く早くと待っていた。
ついにそのときがやってきた。名前や好きな食べ物などを書き殴るようにして連ねていく。好きな人ランキングみたいなところは書けなかったけど、できたらでいいよと手渡してくれた女の子は言ってくれたので飛ばした。
好きな色、という欄で立ち止まる。
僕の好きな色ってなんだろう?
疑問が生まれる。食べ物は美味しいかどうか、人は遊んでくれるか優しいかなど、判別対象はあるが、色にはない。なぜそれが好きかなんて考えたこともなかった。
理由! という文字とにらめっこしていたら待ってくれていた女子はもう他の子と話し始めている。ちらちらとこちらを気にしてくれる様子に焦った僕は『みどり』と書いた。女の子の後方にあった山の色を咄嗟に書いたのである。
そこで僕は緑色好きということを決定づけられてしまった気がする。
私物に緑が多くなった。ランドセルは黒以外が良かったというのもあって元々深緑を選んでいたのも説得力になった。
それから二十年以上僕は緑が一番好きだ。洗脳されたように緑のものが目に入ると、手に取ってしまう。カラーリングに緑がないことに憤りを覚えてしまう。初めて買ってもらったケータイはiPhone5Cの緑で、一緒に買ってもらったカバーは緑が見えなくなるから、早々に外した。多色のボールペンでは緑があるものしか買わない。大学では衣服まで上下緑にしていたのでグリーンマンと呼ばれたこともある。
京都での緑の話をする
僕は『糺の森』という場所が好きだ。下鴨神社に行く道の緑がある場所のことを言い、森見登美彦先生の『有頂天家族』という作品では狸一家が暮らしている設定の場所。
苔むす石、笹の葉船でも途中で難破してしまいそうなほどの深さの小川、そして目に飛び込んでくる木々の緑、緑、緑。和の庭園みたいな雰囲気と、木々で影になっているところが涼しいこともあって、よくそこで時間を潰していた。
学生の頃は大学で嫌なことがあると行き、休みの日もデートや遊ぶ場所として利用し、やはり一人でも多くいた。就職してからは近いところで働いていたのもあって、たまに行ってもいた。
今でも時折、あの森が恋しくなる。あまりにも恋しすぎて『森』という小説を書いてしまうくらいには恋しい。
いや本当に恋しい理由は、今住んでいる名古屋に緑が少ないからだ。緑化問題に力を入れろよ! と他力本願になってしまうのはよくない。
なのでこれはもう僕自身が緑と化すしかない。
というわけで僕は今日もなるべく多くの緑を身につけているし、使っている。
緑だなぁと思ったらそれは僕かもしれません。
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