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地元エッセイ(11)Aqua Timezが自殺ストッパー

 異性から嫌われ、同性からはいじられる。親や教師、街の大人からは困った奴として扱われる。それを多感な時期の少年が何も思わないわけがなく。

 つまり僕は高校時代、病んでいた。非行に走るわけでも、自殺をするわけでもなく、ただただ訪れる不安に耐えるしかできなかった。誰に何を言ってもどうにもならない、かといって自分ではどうにもできない、逃げることがダサいからイヤだという、下手なプライドだけがこの世からおさらばできない理由だった。

 そのプライドを研ぎ澄まし、いたわり、諭してくれたものが本や音楽の言葉だった。

 小学生のとき、あさのあつこの『バッテリー』に出会い、自分の心を無視して物語に入り込む快感を覚えた。読み進めていくうちに自分の心とリンクする部分もあって、読後に自然と自分の悩みの答えに気づくこともあった。

 中学校のときに太宰治の『人間失格』に救われた、これは自分のことだと思わせられた。こんなに暗くつらい物語なのに、僕のつらさを分かってくれるのは、この本の中にしかないと思わせられた。

 高校生のときはひたすら自分の心を救ってくれる言葉探しをした。本や音楽の歌詞から、自分とピッタリ合う表現を探し当てる、心の状態を表す医師のようでも、気持ちの様を探す辞書のようでもあった時間だけが、孤独と嫌ではない向き合い方をできる時間だった。

 それでも、耐えきれなくなったことがある。こんなにつらいのに、空が快晴で青空なこと、遠くに見える山々が表情ひとつ変えずでんと鎮座していることが無性に腹がたった。本来不可侵であるはずの自然の、不可侵さにすら敵意を感じるほどに僕は疲れていたのだと思う。飛び立てはしない空に、柵のように広がる山々は、何もできない自分をありありと表していた。

 死のう、と思った。

 それで山に登った。

 そこまで高い山ではなかった。普通に1時間もかからず登れる山の頂上。そこに吹く風は地上とほとんど変わらない。

 景色は良かった。あいつの家もあいつの家もあいつの家も、自分の家も見えた。ここで大声を出して、今から死ぬことを伝えたら......みんな止めに来てくれるだろうか。お前なんていらないと言っているような目も、空気も変わって、必要としてくれるようになるだろうか。

 自分が人気者になる想像をすると、あまりにも似合わなくて、でもそれを本当に心の底から願っていたのもあって、似合わないことに悲しくなった。

 飛び降りたら確実に死ねるだろうなという崖に立つ。一時間足らずで登れる山だから、柵なんてものはない。ただ、なぜか景色を見渡す用にだろうか、切り株が置かれていた。そこに座り、途中で買ったジュースを飲む。

 最後に好きな本を読もうと『人間失格』を取り出す。表紙がすっかり廃れてしまっていた。何度開いたかわからない。付箋もいたるところに貼られていた。そこに何が書かれているのか、だいたい予想がつくくらいには読み込んだ。

 それでもその言葉に救われる。この感覚は間違いじゃないと、僕がおかしいのではなくて、僕以外がおかしいのだと思わせてくれる。救われて少し軽くなった心が、息継ぎするように次の言葉を見つけてくれる。それが前に付箋をしたところでも、そうではないなんでもない言葉でも、本の中に自分が息づいているような感覚が、僕を救い続けてくれる。

 読み終わると、幾分か心は軽くなっていた。でも死にたいと思った。『人間失格』の終わりが、堕ちに堕ちてしまった主人公を残念がる人々の描写があり、自分が死んだ後のみんなの反応が気になったのもある。

 どうせなら音楽も聴くか、と持っていた音楽プレイヤーを開く。当時はスマホではなく、中学生の頃に父親に買ってもらった中華製のMicroSDに音楽を保存して聴くタイプの安い音楽プレイヤーで、イヤホンは兄のお下がりで聴いていた。

 最後の歌、さしずめレクイエム。何を聴こうか。自分を救い続けてきた音楽のタイトルをなぞり、あれでもないこれでもないと考えた結果、全曲シャッフルを選んだ。

 流れ始めたのはAqua Timezの『長すぎた夜に』
 この曲は、ごくせんというドラマの主題歌だった『プルメリア〜花唄』のシングルのカップリング曲だ。僕の救われた曲リストには入ってない。

 はずれかな、と思ったが、どうせ最後だと全て聞くことにした。

 結果、それが僕の人生の中で、十本、いや五本指に入る名曲になる。

 僕の音楽プレイヤーには、Aqua Timezは有名な曲のシングルのいくつかが入っていただけだった。昔のカセットでいうA面の曲はよく聴いていて、救われたことも少なくなかったが、カップリングもこんなにいいのか、と思った。

 曲は切なげなピアノにラップを合わせたもの。しかしヒップホップな感じではない。つらつらと言葉を繋げていくような感じ。それは本を読んでいて内側に言葉が入ってくる感覚に似ていた。だからだろうか、言われる言葉一つ一つが胸にスッと入ってきた。抽象的で、でも孤独であることがわかる歌詞と、それをどうにかして伝えようとしている優しいもがきのような声、それらがサビに入ったとき、少しだけ明るくなる。まるで夜明けのようだった。

「さぁ行こう」とサビで繰り返されるたび、心の中の闇が晴れていく。それどころか、一筋の光をくれる。

 僕の中の自殺願望が解けていくのが分かった。それが嫌ではなかった。消えるのとも説得されるのとも違う。ただ優しく、そばに座り込んでくれるような感じがした。

 それから通学、休日のお出かけ、通勤にいたるまで、今もなお、たくさんの音楽に、本に、言葉に救われ続けている。

 自分も誰かを救えるような言葉を届けたい、この思いをいつか叶えたいものである。


長すぎた夜に/Aqua Timez

すみれ色の夜/Little Parade

long slow distance/Little Parade

本当にありがとうございます。

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