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QuestReading[3] スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町

「スローシティ」と「均質化」という言葉の組み合わせにひかれてQuestReading。

書名:スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町
著者:島村菜津
出版社:光文社
出版年:2013年

東京と名古屋に違いはあるか。

もちろん違いはある。ただ、街を構成するビルや風景、お店や産業にどれだけの違いが意図されているのだろうか。

我が家は家族で、よくショッピングモールに出かける。家から20分で行ける普段遣いの施設もあるし、遠出をした際に立ち寄る施設もある。どの施設にも、大きなスーパーマーケットのフロアがあり、ファストファッションのテナントが入り、書店・メガネ屋・おもちゃ売場が画一的な構成で並んでいる。確かに便利で安心だが、そこに現れているのは、スローシティとは対極のスピードと効率化を追求し、無計画に肥大化した大きなハコなんだと思う。

本書に描かれている様々なスローシティでは、それぞれの風景をデザインし、様々な仕掛けによって、街のブランディングが行われている。
それは、単に古い何かに固執しひたすらに伝統を守っているのではなく、技術にも目を向け、決して変化を拒否しているわけではない。

トスカーナ州のケースでは、州外から来た人の着眼点を活かし、郊外のベットタウンに成り下がらないようにしている。
ウンブリア州のケースでは、技術を尽くした地下駐車場を作ることで、街の風景を壊すことなく車社会との共存を果たしている。
エミリア・ロマーシャ州のケースでは、都市計画法を制定し、ショッピングセンターを誘致することなく、街全体をショッピングセンターとなるよう街をデザインしている。

これらの街の仕掛け人たちは、「守るべきコト」「変えられるコト」「拒否するコト」をよく理解している。そのうえで、「無いものねだりではなく有るもの探し」で、街の魅力を高めようしている。そして、それぞれの街に「世界に誇れるものがあるはずだ」との信念を持っている。

本書の事例をもう少し読み解くと、「第一次産業」や「第二次産業」にまつわるものが街の文化や風景と掛け合った時に、大きな力を発揮するようだ。
具体的には、トスカーナ州はブドウの生産業を軸にして、観光業や加工業に産業を拡大しているし、フリウリ・ヴェネティア・ジュリア州は、生ハムという名産を武器に、お祭りによる集客や工場生産に取り組んでいる。

私も、自然が豊かで、人口が1万人にも満たない小さな田舎町に生まれた。子どものころ、コンビニやスーパーができると、町は大騒ぎで、発展していくことがとても嬉しかった。そして、このまま未来になれば、Simcityのゲームようにどんどん人口が増え、新宿や名古屋にも負けない街になるんじゃないかと感じることもあった。
ただ、それは街のアイデンティティを壊し、画一的になることを無意識に認め、無計画な均質化へドライブをかける発想に何の疑いもなく毒されていたようだ。
本当は、子どもの目でも見える、今まで住んできた人がつないできた、世界に誇れる、守るべきものがそこにはあり、発展に拒否すべきこともあったはずだった。

田舎の変貌や両親の姿を思い描きながらこの本を読むと、イタリアの地方を巡りたいという気持ちにならざるを得ない。そして、今、住んでいるこの町の誇れるものを愛してあげたいとも思う。

免責:
本を精読しているわけではありませんので、すべての内容が正確とは限りません。詳細は、実際の本でご確認ください。

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