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QuestReading[16] 作詞入門 阿久式ヒット・ソングの技法

良い詞を求めていない、年間何十曲というヒットソングを創りだせるプロの作詞家が求められている。
『また逢う日まで』『津軽海峡・冬景色』『時の過ぎゆくままに』『あの鐘を鳴らすのはあなた』『ピンポンパン体操』これらはすべて同じ作詞家阿久悠さんによって作られたヒットソングである。昭和歌謡史を振り返るテレビの企画のようだが、職業作詞家がどんな考えを持っているのか知りたくて手に取ったQuestReading。

書名:作詞入門 阿久式ヒット・ソングの技法
著者:阿久悠
出版社:岩波書店
出版年:1972年刊行<文庫は2009年>

創作活動ではなく職業

阿久悠さんの作詞活動は、基本的に依頼がきてからはじまっていたそうだ。
こういう歌を作ろう、こういうメッセージを出そうは、歌い手に対する大まかな狙いを定めた後、その狙いに沿って作られていた。まさに、音楽を使ったブランディング、マーケティング活動といえる。
創作ではなく貢献に重きをおいていたので、歌い手のイメージを壊したり、休み明けの舞台復帰を後押ししたり、子供向けにおもちゃのような遊び心をふんだんに織り込んだり、逸材のスケールの大きさを辛抱強く維持したり、そういうエピソードが出てくる。
良い歌詞ではなく、必要な歌詞を生み出したプロの作詞家だったのだと思う。

克明なストーリーとカメラワーク

阿久悠さんの作詞法はまず「タイトル」から決めるのだという。どういう歌詞にするのかゴールを決めてしまう。
そして、歌詞で描く映像を思い浮かべ、克明なストーリーに仕上げるという。Yoasobiのヒット曲『夜に駆ける』が小説をベースに作られた歌として有名だが、阿久悠さんは同じような手法で年間膨大な歌詞を生み出していた。
歌詞のストーリーが長編で展開するものもあり、1つの場面を詳細に切り取る場合もあるという。
歌詞の中ではストーリーが小節や行ごと展開していく。一人称と思った歌詞から客観的な視点に切り替えることもある。1つのカメラで長回しをした歌詞で展開する曲に対し、多くのカメラがスイッチング展開するような展開も書ける。作詞にはタブーはないと考えて、新しい方程式を生み出せばよいと言う。
書き手として克明なストーリーがあっても、歌詞の捉え方は聞き手それぞれになる。阿久悠さんは違いが出ることを問題とは思ってないようで、一度書き上げた作詞を書き直すことはほとんどなかったそうである。
そのぐらい自信をもって、世界観が克明だったのだろう。

時代の飢餓感と掘り下げ力

ヒットソングと言われるものに男女の仲を取り上げた歌が多いが、出会いにせよ別れにせよふわっとしている歌詞が多いと指摘している。『また逢う日まで』の作詞エピソードで、男女がお互いを納得して別れる姿をあえて描いたという。それまでは、何か不満や問題、もしくは身勝手で、どちらかが相手を振るようなものばかりだったことに男女の仲の捉えが浅いと思ったそうだ。そこで、納得した別れ=また逢う日までという歌詞が書かれている。
作詞家は、その時代に満たされていないものを補う役割があるのだという。男女の仲にせよ、陽気さや強さ、金銭的欲望にせよ、本質を突き、克明なイメージな中で掘り下げ、アピールできることがヒットソングには大事だという。

作詞術

作詞入門という本であるが、持論や心構えの話が多く、作詞の技法について書かれている割合は少ない。他の詞のようなものとの違いは、メロディーが付くので、単調にならないとか、詞の展開の起承転結など、音楽的要素に気をつけるぐらいが強調されている。

それよりも、より多くの引き出しを持てるかどうからしい。
トレーニングとしては、勝手に「映画の主題歌」「CMソング」「ご当地ソング」を作ってみるとよいという。詞をやみくもに書くのではなく、対象を決め、狙いを定め、克明なイメージでタイトルをつける。習うより慣れよということだろう。

そして、知識の編集力として、日記を書くことも1つの習慣としてよいそうだ。ただ、日記はつれづれになるので、こちらも<タイトル>をきめて、コラムにして意見をまとめた方がよいという。

職業作詞家のように抽象化する力をつけたいと思っていた。
阿久悠さんに学んだのは、抽象化するまえに、克明に具体化することだった。そして、満たされないことを補うときに、ヒットソングにつながるフレーズが生まれてくるのだろう。
タイトルを決めたコラムは、人生の練習として取り組んでみたい。

免責:
本を精読しているわけではありませんので、すべての内容が正確とは限りません。詳細は、実際の本でご確認ください。

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