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【小説】ユア・アイリッシュ・パブ インバウンド繁盛記

「しんちゃん、それ、大きな間違い。外人はさ、1年、暗~い空の街で、毎日嫌々働きながら、今年の3週間の休暇はどこへ行こうかなとそれだけをおもって生きてるわけよ。で、タイのビーチとかに行くんだけど、今年は、職場のダニエル夫婦が行ったらえらくよかったという日本に行ってみようかとなるわけ。でもね、休暇でくるから、スシ、テンプラ、サケ、イザカヤ、だけじゃだめなんだよ」。

白あご髭と鼻髭をたくわえた初老のおやじが、中年後期の髪がちょと薄くなりかけてきた男にむかって、諭すように言う。

「でもマルさん、やっぱ京都来たら、寺まわったり、京懐石みたいの食ったり、日本酒飲んだり、でしょ。アイリッシュ・パブにはやつら来ないでしょ」。ぬるくなってきた瓶ビールをくっと飲みほして、中年のほうが聞く。

「しんいち、お前、何年海外住んできたの。俺、30年。お前も20年とかだろ。わかってやれよ、やつらのやりたいことを。休暇でくるんだぞ。時差とかもあるし、平日の午後とか飲みたくなったら、やつらはパブをさがすんだよ」。

これが、それから3年近くにわたる、壮大な、京都アイリッシュ・パブ・プロジェクトの始まりだった。

マルは、美大出身のイラストレーターくずれの広告宣伝マン。大手広告代理店勤務のとき駐在したメルボルンでブロンドの奥さんと出会い、いろいろあって、会社を独立。流れ着いたシンガポールで、奥さんと始めた小さな広告代理店は最初は客もつかず鳴かず飛ばすだったが、アジア危機の後、2000年代にはいってから、日系企業でシンガポールで事業展開したいクライエントを捉えて、ビジネスは上向きに。奥さんロシェルが書く英語のコピーライトにマルのイラストがけっこう受けて、商売は繁盛した。そんな彼もシンガポールで還暦を迎え、いろいろあって(ここらへん省略)、2018年から日本にもどってきた。

しんいちは、マルのシンガポールでのアマチュア・バンド仲間。多国籍混合大編成のブルース・ブラザーズ・コピー・バンドを3年ほど一緒にやっていた。しんいちは、ゼネコンの海外駐在を繰返して、若い頃は南米にもいたし、ヨーロッパにもいたが、今は、シンガポールで早5年。日本に頻繁に出張する仕事があって、日本に帰ったマルとはバンド活動を懐かしみながら飲むのが出張のお決まりとなって半年。そんなある日、マルの口からでてきたのがこのパブのアイデアだった。

マルの頭の中では、映画ブルース・ブラザーズでジョン・ベルーシ扮するジェイクが神の啓示?を受けて「バンド再結成!」と叫んだみたいに、「パブ開店!」が新たな神からのミッションになってしまったようで、さっそく、しんいちはバンドの元メンバーにひとりひとり協力を打診する旅を開始。といっても映画ほどドラマチックではなくて、SNSで「京都パブ」というスレッドたてただけだが。

「パブっていうのはな、」ほろ酔いのマルの講釈が始まる。

「必ず、1階にあって、ちょっとしたテラスとか、あるいは前の石畳の道に、天気がいい日にゃ、テーブルと椅子がだせないと行けない。これ絶対。アイリッシュ・パブの原則みたいなもん」

まだまだ続く。「ビールも生が最低でも3種類か5種類くらいあって、ギネスはマスト。重厚なきれいに磨かれた木の長いカウンターがあって、店の奥にはスポーツ中継の大型TV、そこにはゆったりできるソファもあって、そして週末夜にはそこでちょっとしたライブ演奏ができるようにドラムセットとアンプを置く。マルの頭のなかで、妄想のように、パブの姿が膨らんでいく。

元バンド仲間も、結構単純に、いいねいいね、と盛り上がり、マルと仲がいい京都出身のシェフが場所探しを、場所がきまった暁には店内内装設計を建築士のトシが、店番として白羽の矢がたったのはバーテン経験もある寿司職人ナガト、資金動員物資動員はよろず屋のしんいちがと担当が決まっていく。

あまり意味のない情報だが、バンドでは、マルがベース、トシがドラム、ナガトがギター、しんいちはトランペットだった。その他、オージーとシンガポール人のツイン・ボーカル、ポーランド人のリードギター、フランス人のサックス、マレー人のトロンボーン、中国人のキーボードと結構多国籍なバンドだった。

マルはシンガポールで一時期、日本食レストランの一角を仕切って、Little Barというのを経営していたことがあった。そのときのバーテンがナガト。そのバーはその後オーストラリアの飲食グループに買収されている。

さらに意味のない情報としては、トシはマルの美大の同級生で、バンドを組んで40年。トシは酔ってくると、壊れてしまったレコードみたいに、何度も何度も、マルと始めて出会った日のことを語る。

美大はいって、まじめに勉強しようと思って、親にも不良みたいのとは付き合うなよと言われていたある日、授業前の教室に入ってきた髪の毛を金髪にそめたカウボーイブーツのあやしい奴が教壇にたって言ったんだよ。「おい、ここにハマダっていうやついないか?こっちはドラマーをさがしている。ドラムできるやつがいるって聞いてきた。いたら、放課後軽音研の部室に来い」と。その場では身を隠したが、結局、午後に部室に行く。以来、ずっと40年いっしょにバンドやってるんよ、とトシ。周りはあまりにも何度も何度も聞いた話なので、それってそれぞれの息子を若き日の役者としてつかって映像化してYouTubeでも載せてえな、と。

トシも建築士として、アフリカやアジアでビル設計したりするなかで、外人の奥さんと2度結婚、いまはまた独身。外人好きの2人ではあるが、かなり酔っぱらった時に、しんいちが聞いたことがあった。

「やっぱり若い頃から金髪一筋だったんですか?」

マルがろれつの回らない声で応える。

「あたりまえよ。俺はね、15のときにロミオとジュリエットのオリビア・ハッセーをみてね、なんてかわいい娘なんだろうと恋に落ちたわけよ。それからずっとさ」

「あれ、オリビア・ハッセーってブロンドでしたっけ。黒髪だったような」

「いいのいいの、そういう細かいことは。以来、海外にでて、かわいい娘と付き合ってかっこいい車のるのが夢で、それ一筋で、もう還暦突破よ」


金髪好きのマルのインバウンド・パブ理論は、一応、理路整然としていた。

外人は休暇で日本にやってくる、もちろん、寺や神社にも行くし、スシ・サケ・テンプラも食べるし、おもてなしたっぷりの日本人には感激するのも全面否定するものではない。しかし、しかしながら、時差もあって朝起きて遅い朝食たべて、昼過ぎにちょっと冷たいビールでも飲みながらのんびりしたいなと思って、ホテルのフロントに聞くと、それでしたら、ホテルのカフェテリアか、お店はまだ開いていないから缶ビールを買ってお飲みになったらといわれる。休暇なので、毎日のように観光名所のノルマをこなすのはめんどくさくなってくる。それで、平日の午後2時とか3時に生ビールをゆっくり飲みたくてしょうがなくなってくる。開いている店があれば、それもアイリッシュ・パブがあれば、遠くても、タクシーに乗ってでも行くはずである。

マル理論はそこだけでとまらない。海外に住んだことのない日本人経営者だと、それじゃ留学経験のあって英語がしゃべれる日本人の女の子をお店でやとって英語対応にしよう、とか考える。マルは、「お店は金髪の娘にきまってるでしょ」

「ワーキング・ホリディできている、オーストラリアの娘を雇うんだよ。それしかない。それで外人おやじは、ほっとして店にはいってくるよ。でもこれって人種的なあれがどうのではなくて、ほっとした気持ちにさせるセッティングというか、おやじも1人で旅してたりしたら、話もしたくなるし、それで、どこから来たの、日本にはどのくらいと話がはずんだりするだろ?それでパイントのビールと、いつも食べ慣れてる味のバーガーやフィシュアンドチップがでてきたら、これはやつらにとって天国よ」

さて、さすが the Mission from God、神の啓示ではじまったプロジェクだけあって、しばらくして、ぴったりの物件が見つかり、一気にプロジェクトは動意をみせる。お菓子屋だった一軒建ての店舗で道路に面していて、道路から4メートルくらいテラスのスペースがあって2階建てのこぢんまりした物件。晴れた日にはテラスでゆっくりできる!

地下鉄の出口からは3分。周りは事務所が多いので夜の騒音の問題もあまりないだろう。外観はちょっと色を変えるくらいでそのまま使えるようなデザイン。もちろん、アイリッシュなので緑の外装にして、中は、マルの妄想どおり、木の長いカウンターと奥の小ステージを。トシがこつこつ設計していく。

しんいちと言えば、そういえば昔、特攻野郎AチームというTVシリーズがあって、やたらハンサムでモテモテのやつが「なんでも調達屋」で資金から武器から車から、任務に必要なものを揃えてしまうというのを思い出して、なんでも調達屋の役割にひとりでニンマリしていた。パブができた暁にはあいつみたいに自分も結構モテるのではないかなあと。

ここで紙面の都合上、時間をかなり早送り。マルの妄想にすぎなかったパブがある年の7月にやっとオープンすることになる。ちょっと誤算はあった。ちょっとした誤算はいつでも起こる。

ワーキング・ホリデーの外人を募集したら、結局、パブ初日に雇えたのは、フランス人の男と、髭もじゃのオーストラリア人。金髪美女ではなかったが、マルはまんざらでもない様子。フランス人は実家の稼業が飲食でバーガーに特殊なフランス料理ソースを提案したりと予期せぬ貢献をしてくれたし、オージーくんは図体がでかくて威圧感あるが、とてもいいヤツだった。

店は順調に門出、近所の在住の外国人や海外大好き日本人の常連も来てくれるようになって、ゆっくりとながら売上も積み上がっていった。桜のシーズンと、残暑が残る8月から涼しくなる10月末くらいの2つの集客ピークがあることもわかってきた。京都への外国人訪問パターンとぴったり連動していた。わざわざ検索して来てくれる客もいたし、たまたま前を通ってふらりとはいってくる客もいた。共通していたのは、みんな店に入るとほっとした表情になって、天気がよければテラス席が人気だったこと。

ちょっとしたトラブル、予期せぬハプニング、予測からおおはずれの結果、なども多々あったが、木のカウンターが少しづつ年季がはいっていくのといっしょに、店としての味が出てきた。

そんな店の隠し味として活躍してくれたのが、マル家の愛犬ソース。茶色の雑種犬だが、やたら人間に対して愛想がいい。時々、「PUB犬」として連れてくると、それが conversation piece 、話の種となって、会話が始まる。家にも同じような色のレトリーバーがいるんだとか、子供の頃飼っていた犬に似ているとか。ソースが店の前のテラスに気だるそうに寝転んでいると、なぜか前を通る客がはいってきた。Pubきっての営業マンであった。

ある木曜日の午後3時、20代かとみえるオーストラリアの若夫婦が、客一人いないパブにはいってくると、冷えたギネスを所望。ちょうど店番をしていたナガト(日本人が店番することも時にはあった)が話かけると、結婚したてでハネムーンでの京都旅行だという。ちょうど店内は、マルがこだわって自腹で買ったレコードのジュークボックスがあるのだが、そこから古い1930年代のスローなビックバンドジャズが流れていた。

ほろ酔いの二人は、そのジャズにあわせてゆっくりと踊りはじめた。きちんとしたダンスというよりも、チークダンスと時折ゆっくりとまわったりサイドに動いたりの、ゆるーいスローダンス。片手をつないだ新婦がくるりと回ると、それを笑顔で新郎がみている。ナガトがそれをビデオをとったので、後でみんながみるところとなったのだが、マルは「これなんだよ、これ。この空間を俺は提供したかったんだよ」と感涙。

もちろん、いい話ばかりの毎日ではない。けんか騒ぎになりそうになったこともあったし、無銭飲食被害もあった。それでも、かなりの多くの京都訪問外人客のちょっとした憩いの場になれたのは確かだろう。彼らは京都が与える東洋の神秘を堪能しながらも、普段遣いのパブと同じ落ち着ける場所にたどりつけて、ほっとした顔をしていた。「パブ難民を救済できた」とマルは、皆の前でどや顔であった。

救済といえば、こんなこともあった。ある夏の、大型台風が関西を直撃した週末。既に風をともなう雨で傘が役たたずになりはじめていた夕方、ビニールのレインコートを着てるもののびしょ濡れになったおばさんが店の入り口で聞いてくる。東欧だかあちらのほうのアクセントの英語で、今晩開いているか?食事はできるか?と。何人なのかときくと20人と。もちろん、開いていて、バーフードはふんだんにあることを伝えるとじゃあお願いと。多分、ほかが台風で店を締めていて、ホテルの近所の我がパブにお声がかかったということか。

食材を準備して、待った。ワーホリのベルギー人とオランダ人は台風で家に帰れなくなると問題だから(1人は自転車で通ってきていたし)、そこで返して、待つ。午後7時、まだ来ない。しかたないので、マルたちは飲み始める。8時、まだこない。「マルさん、あれガセでしたかね。台風も結構はげしくなってきたし」「まあまあ、飲んで待ってよう」

9時すぎ、横殴りの強風雨の中、彼らはやってきた。びしょ濡れになりながら20人。話してみると、ロシアからだという。あのおばさんはツアーガイドのロシア人だった。年齢の幅は20代から70歳くらいとあったが、今回は日本で3週間旅行中だという。どちらかというと静かな、上品なグループだった。でも、さすがロシア人、酒量はなかなか。

一通り食事が終わったところで、マルが、カラオケでも歌ってもらおうかと。おばさんに話すと、私達は歌なんてそんなと拒絶するので、なにか歌ってもらいたい曲あればと聞くと、はずかしげになにかをくちずさむ。よく聞くと、昭和の歌姫ピーナッツの「恋のバカンス」だった。知ってますよと、マルとナガトがデュエットで歌うことに。

なんと、こういうのは国によって曲は異なるもののけっこうある話で、恋のバカンスがロシアでもカバーされてヒット曲だった。気持ち悪く日本人オヤジ2人が歌うのに大歓声、踊りだすのもでてきた。これが、ロシア人のパーティボタンを押してしまったらしく、そこからが大カラオケ大会となる。

YouTubeで検索したロシア語の歌を踊りながら歌いまくる、踊りまくる。ナガトは曲の検索を手伝ったが、ロシア語の入力はおばさん担当。数曲、なぜか不思議な文字で表示される曲があったので、これはどこの?と聞くと、やっとわかったのは、彼らはロシア在住のユダヤ教のロシア人グループで、それはヘブライ語だったということ。どうりで裕福そうで上品な感じだったとへんになっとくしたナガトだったが、ロシアン・ナイト、大いに盛り上がって、ビア・サーバーが空っぽになるまで酒も出て、皆が外へ出てホテルと向かった頃は、激しかった嵐も峠を越して小雨になっていた。

将来、何十年も先に、歴史を書く人が振り返ると、この平成の終わりの頃の時期に、日本でインバウンド・ブームというのが起きたと、背景は為替がドル円で100円くらいと比較的安定した時期で、30年デフレが続いた日本の物価が相対的に訪問者からすると安かったこと、そして、政府が2020年オリンピックを誘致して積極的に外国人訪問客の受け入れを進めていたからとか記述するのかもしれない(オリンピックが幻とならないことを節に祈るが)。インバウンドの現場にいた者たちからしたら、とくにパブやバーは、2019年ワールドカップ・ラグビー開催という「神風」が吹いたことを書いてほしいと思うだろう。

ラグビーワールドカップ

それは、予期されていたが、怒涛のような勢いでおしよせてきた。進路が予報されていた大型台風の上陸のように。

コアなラグビーファンは、ワールドカップ開催とともに世界旅行をする。どちらかというと、あまり興味のなかった東洋の日本も、ワールドカップがあるから初来日。1ヶ月以上続くゲームを長期滞在しながら楽しむ筋金入のファンたちが、ヨーロッパやオセアニアから大挙して来たのである。そして、彼らのビール消費量は半端でない。

チケット購入済みの試合は日本中動いて見に行くが、全部の試合を観るわけでなく、それで初めて来た日本の観光名所も行く。京都にも来るが、滞在中試合があるとやはり彼らはパブで盛り上がって観たい。我々は彼らに不可欠なインフラになる。

それで京都の我らがパブも非常事態体制を敷いて、物資と戦闘要員を配備、満を持して戦いに望んだ。結果は、予想をはるかに上回る、すごい事に。試合中は立ち見となって、生ビールサーバーには長い列ができた。瓶や缶ビールならあるけど、といっても、彼ら彼女らはかたくなに生ビールを待った。待ちながら、他人とおしゃべりしたりして楽しそうであったが。

かなりテンションのあがる試合展開のもあったが、ひとたび終わると、悪酔いして暴れるやつは皆無。まあ、紋切り型の名言だが、サッカーはジェントルマンのゲームを野蛮人が戦うスポーツだが、ラグビーは野蛮人のゲームをジェントルマンが戦うスポーツだ、というのも言い得て妙。激しい展開に大いにもりあがって、がぶがぶビールを飲んで、終わると爽やかに勘定して帰っていった。

最後の南ア・イングランド決勝戦。南アの勝利で多いに盛り上がり、大柄な黒人で日本語もぺらぺらのヨハネスブルグからの留学生がイギリス人たちとハグをかわすなか、マルはなぜか暗い顔をしていた。

かなり酔っていたこともあり、まだ客が数人残っていたが、時計が真夜中を過ぎたあたりで、マルは急にそこにいたメンバーでの経営会議開催を提案。変に、目がすわっている。

「おまえら、ラグビーで浮かれているけど、これってもう終わっちゃったんだよ。もう無いの。次を考えないと、ここ終わるよ。それ考えてないだろう」。酒で顔を赤くしたナガトは「マルさん、いいじゃないですか、今日のとこは楽しく盛り上がって。後で考えましょうよ」

「そんなんだからお前はだめなんだ!」とマルはテーブルを叩く。その音にびっくりした南ア人が心配そうにこちらをみる。「俺はずっとお前に成功してほしいとチャンスをあたえてきたのに、だめだなお前は。お前は死にものぐるいでやってるといえるのか」。けっこう酔っていて呂律があまり回っていない。

「なんだか、こうやって浮かれているのも今のうちだけのような気がするんだ。いい時に、次のことを考えて準備していかないとだめなんだよ。それくらいこの商売というのは厳しいんだよ。次はなにができるかナガト、言ってみろ。後手になったら終わりなんだよ」

Pub犬ソースも、心配そうにマルの足元にすりよってくる。飼い主が喧嘩してたり悲しんでると、この犬は心配してやってくるという。

最後の客も帰っていって、その日は店じまいとなった。真夜中、ホテルへと歩く。もう11月で、外はかなり寒くなってきていた。

もう冬なんだなと、シンガポールから出張できていた、しんいちは思った。冬は、着実に来ていた。夏の興奮が続いた秋がまだ終わっていないと思っていたが、外の夜の空気はひんやりと冷たかった。

人生の後半戦のさらに終わりのほう、もしかしたら延長戦になって延長回でのゲームだったのかもしれない。還暦すぎたおやじが、狂い咲きのような情熱でPubを作ろうとおもいたち、あとの決して若くはないオヤジたちも賛同して、動いていったプロジェクトだった。神からのミッションなんだという、おかしな思い込みと掛け声と共に。

後日談

この後、コロナ禍で、そもそも国境をまたいでこれなくなった外人旅行客を主たる客とする飲食がどうなったかについては、敢えて書こうともおもわないし、いま、振り返ってみると、この11月の夜のマルの本能的な危機感がすべてを予測していたのかもしれないとも思う。

2020年7月、日本出張もできなくなったしんいち達は日本のマルたちとZoom電話会議で飲んだ。

「Zoomだけど、いちおう、おひさしぶり、かんぱーい」

オンラインながら、宴もたけなわになった頃、しんいちは聞いてみた。

「マルさん、今思うと、あのラグビー決勝戦の後でマルさんが言っていたこと、あれこわいくらい当たってましたね。コロナを予見したような」

「え、俺なんかいったっけ?」

「えぇ、覚えてない!?」

「決勝戦の日はさ、盛り上がったよなあ。楽しくてかなり飲みすぎて、こまかいこと覚えてないんだよ。なになに?」

そうだ、マルは飲みすぎると記憶がとぶんだったと、しんいちは今更ながら思い出した。

「あ、別にいいです。なんかいろいろ言ってたんですよ。お説教的なこと」

「。。。まあ、それはさておき。では、また、乾杯でもしましょう」

#また乾杯しよう

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