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【連載小説】スモール・アワーズ・オブ・モーニング(3)第三章 よく考えたほうがいいわ

(第2章からの続き)

「もっと、日本語で喋りながら、続けて」、うわずった声が懇願する。

「うん、きめこまかに、、ぐんぐんと力強く、これだよ、日本男子の愛し方はな。お、うぅっ」

「、、じ、じつは、、ファイザーという、製薬会社、の、青い錠剤の支援、あっての硬いぃ、だけど、、」

場末のモーテルのベッドがぎしぎし言う。

「お願い、笑わせない、、ほかのこと続けて喋って、、日本語で喋って」

「ファ、ファイザーは、今から、5年後くらいに、うっ、パンデミックのワクチン開発でも名が、あー、知られることに、、これ未来の、予言」

「だめ、そういう教授みたいな、、まじめな喋りだめ、、えっちなのをもっと」

「だ、だんなじゃ、だめなんだろ、サチコ。き、金髪の男じゃ物足りないんだろ。。やっぱり、おまえのDNAに記憶されてるのは、こっちなんだろ。。」

マルは突然、甲高いうわずった声で何故か村西とおる監督調になる。

「、、いままさに、わたくしは、サチコさん、あなたの、DNAを犯しているところなのです。。

さあ、縄文、弥生の太古から、何億回と繰り返されて、、あなたのそのお体に刻み込まれてきた、、記憶の鎖を、わたくしのメッセンジャーRNAが貫いていく、、

RNAとDNAのラブ、合体、記憶の結合、らせんとらせんが絡まりついて、そしてそれはおごそかで、、ぶゅてぃふるで、、まーべらす、、遠い宇宙から降って戻ってくる太古の記憶、、そして、それは、、うぅっ」

と、マルは果てた。
 



パフォーマンスの予定がないまま、2週間、3週間と時間だけすぎていった。

あまり盛り上がりなく、毎週土曜日に集まっては、昼下がりの屋上で我らがブラザース・イン・ブルーは練習を続けていた。

教授ことギターのダニーはちょっと渋い顔をしていたが、サチがキーボードではいることに合意。イントロとかキーボードが目立つアレンジは避けて、バッキングに徹してもらうならという感じだった。少しづつ、月に3、4曲のペースでレパートリーのブルース曲は増えていった。



青天の霹靂。

そう、この北緯1度の熱帯の島シンガポールでは時々、青空なのにゴロゴロという遠雷が聞こえたりする。雲ひとつ無い青空に雷の音が響く。しばらくすると、それは暗い雨雲となって激しい雨と雷をもたらす、その予兆なのだが。

皆がびっくりしたことに、9月のある日、トランペットのシンガポール人のジョーが練習に頭を丸めた格好でリハに来て言う。

「(みんな、来月から兵役に行くことになった。半年早まった。2年間。配属は陸軍歩兵隊、基地勤務。なんで、バンドもうできなくなった)」

「赤紙が来たんじゃしょうがないな」とトシ。

皆もなごりを惜しみながら、ジョーの刈り上げたばかりの坊主頭をなでまわす。

「やっとこいつも童貞卒業かな」と無責任にマルは独り言を言う。周りの日本人は、にやっとする。サチも笑う。ちょっと日本語がわかるシューもにやっとする。シューがわかったのかどうかは不明。

シンイチは、そうかうちの息子もあと数年でこれが来るのかと一抹の罪悪感に。俺が永住権を取ったばっかりに義務が生じたんだからなと。

教授が言う。「(そう言えばひとつアナウンスがあるんだ。女性シンガーでアレサ・フランクリンとか歌わせると最高の古い知り合いがいるんだけど、先週バーでばったりあって近況話していたら、ぜひ我々のバンドをバックにアレサ歌いたいっていうんだよ)」

「それさ、これさ、あれさよな」と意味ないダジャレが小声で漏れたが、誰も反応せず。

「(それで、ブルースブラザーズの映画の Think 、ユード・ベター・シンクをやることにして、彼女を迎え入れたいんだがどうだろうか?あの曲、映画でも大事な位置づけ。ミュージシャンが日々のしがらみを吹っ切って音楽やる、苦悩と家族の葛藤。ブルース・ブラザースバンドそのものには女性ボーカルはいないが、他の曲でもバックコーラスいれてくれたりするし、アレサのチェーンズ・オブ・フールズとかやってもいいし)」

「ノー・オブジェクション!」全会一致ですぐ決まる。

かくして、父親がイギリス人、母親がインド系シンガポール人の、シンガポール人、厳密に言うと、西欧とアジアの混血ユーレイジアン・シンガポール人である、歌姫アネッサがバンドに加わることになる。

「(じゃあ、来週の練習来れないかきいてみるよ)」と教授。

トシは密かに、むむ、また女性メンバーか、マルの女難の相がまた高まってきたなあ、大丈夫かなあと、ペントハウスからの視界の遠くに見えてきたどす黒い雲を見ながら思った。

「(ジョーの代わりのトランペットも探さないとな。ホーンが2本になってしまった。まあ、ギグの目処はいまのところないがなあ)」と教授。
 


遠雷と遠くの黒い雲は、あっという間に湿った風とともに広がり、屋上の上の空をすっぽり覆った。

「ヒロシ、はやく電源抜いて、アンプを屋根の下に」

みなで急いで楽器とPAを屋根下に避難させたが、風を伴う大粒の強い雨が襲ってきて、モニタースピーカーやアンプの一部が濡れてしまった。

「電気、日本と違って240ボルトだから、感電したら死ぬぞ」とトシ。

それも怖いが、雷が落ちて即死も怖い。

雨宿りしながらだべって、当然ビールも飲み始めて、雨のおさまるのをまったが、なかなか強い雨は止まない。

「おいおい、スコールっていうのはザーッときてパッと終わるんじゃないのか。異常気象なんだか、やたら降るな」マルがぼやく。

しかたなく、皆が帰りの準備を始めたなかで、マルがトシに言う。「今日あいてるか?ちょっと相談事ある。飲みに行く?」

「いいともー」とトシ。
 


ダウンタウンの川沿いのボートキーの混み合ったパブのカウンター席で。

「。。。ってなわけなんだよ。どうしたらいい?」と言ってビールをあおるマル。

「え、またかよ。おまえなあ。どうしたらって言われても、どうしようもないだろ。だめだよ、それ。仏の顔も三度、っていうだろ。ロシェル、烈火のごとく怒るぞ。おまえ、命ないかもしれないぞ」

「。。。もっといいアドバイスはないのか、友達だろ。なったものはしょうがない。サチが悩み事があるっているから、聞いてやってたら、そうなったんだよ。自然に。うん、あれは自然だった。世界を夢見て、日本を飛び出して、ずっと突っ走ってきたら、ふと寂しくなった。外国にひとり居る自分、異国人に囲まれている自分。俺にも経験ある」

「そのお悩み相談と、浮気しちゃうのとは別だろが。お前の悪いクセ。もうお前との付き合いは40年近いが、これ、絵を描いたようなだめパターン。周りが傷ついて終わるやつ」

「まいったなあ。ミッション・フロム・ガットで迷える子羊を救ったとかならんかな。みんなに感謝されて、後腐れなくとか」

 

「シンさん、これなんですかね。カリスマ教育問題作家グローバル人材エキスパートがアドバイスするシンガポール留学」と2人だけの小さなオフィスで、パソコンの画面をみていたマサシが言う。

「なに、また新種の競合?リンク送ってよ。最近多いんだよな、中高から海外留学で英語ペラペラになりましょうとかいうやつ」

「たしかこの人、昔、国際機関でばりばり働いて、今は教育問題の評論家としてテレビにいろいろでている人ですよ。子供の頃から英語やテーブルマナーとかディベートで国際人として訓練しないから日本はだめなんだとかいってるやつ」

「たしかにこいつYouTubeの動画でみたことある。たいしたこと言っていないんだが、ルックスもいいし、お母さん達に人気あるんだよな。自分がオックスフォードでてます、というのを売りにしている」

「そうそう、英語を喋るのも大したことなくて、ひどいおおげさなイギリスなまりで、相手の言うことろくに聞かないで自分の言いたいこと喋るだけなんだが、自分を演出するのがうまいというか、うまく場をもりたててくれる相手としか対談しなかったり」

「たしかグローバル人材育成プロジェクトXとかいう本がベストセラーで、なんだか有料で留学コンサルする会社をたちあげて、親子ツアーとかやるみたいですよ」

「おいおい、それってもろ競合じゃん。まずいな。うちも、そのまま日本にいたらグローバル人材になれませんよの、脅かしトークの営業に切り替えようか。。。財布の紐をゆるめてもらうには、時には客にびびってもらうのも大事かもなあ」

「ペットフードのマーケティングでは、顧客はペットじゃなくて、ペットの飼い主だ、とか言いますからね。子供本人のことよりも、財布の紐をにぎる親たちになにがアピールするかですよねえ」

「うん、信条に反する部分もあるが、俺たちみたいな弱小業者が生き残るには、客を何件動員してなんぼだからな。死活問題だぞ、マサシ。よし、緊急事態宣言、こいつ仮想敵国、なにか反撃キャンペーン考えよう」
 


ぎしぎしぎし。モーテルのベッドをきしませて、初老のおやじと、30代の自由奔放な女との逢瀬は続いていた。

美大卒つながり、外国あこがれつながり、下半身の動機からの国際化つながり、ふとおとずれた望郷つながり。類は友を呼び、慰め合う。




シンガポールは熱帯モンスーン気候。別名、四季の無い弱い乾季のある熱帯雨林気候。

年中湿気があって暑いが、10月をすぎた頃、雨が毎日しとしと降る日もある、雨季にはいる。

灼熱の太陽は分厚い湿気の塊の巨大な雲のドームにはばまれて、地上まで届く頃には、日本の初夏くらいの日差しまで弱まっている。

どんよりと曇った空、ひっきりなしに降る雨。温帯地域の塞ぎ込む暗さはないが、100%近い湿気に狂ってしまいそうになる。

南太平洋の孤島の長雨が人を狂わせるのを書いたのはサマセット・モームであったか。

偶然だが、サチは、シンガポールの銀座であるオーチャードのサマセットという地下鉄の駅の近くに家があった。

サマセット駅の出口から歩いて10分ほどの高層のコンドミニアムの上層階に、旦那のフランス人と犬と住んでいた。

サチは、駅のホームで地下鉄を待ちながら、傘からしたたってくる雨水をみて、そういえば大学の英語の授業で、雨が続いて気が狂ってしまうという話を読んだっけと思い出していた。この湿気たまらないわねと思い、あのイギリス人の先生は不細工だったなと先生の顔を思い出しながら。
 


どんよりと分厚い、熱帯の湿気たっぷりの雲がすっぽり覆う空の下で、また、週末の練習にメンバーのみんなが集ってきていた。

「(残念ながらボーカルのアレサ、じゃなくてアネッサはちょっと野暮用が続いて、今月は来れないらしい。来月以降かな。まあ当面はギグの予定もないし、とりあえず練習に注力しよう。アレサの曲も練習しておかないと)」ダニー教授が言う。

「(じゃあ、"Think"、とりあえずオリジナルのキーでやってみよう)」

シンクの歌詞は辛辣である。アホな旦那の頭の中なんて、肝っ玉かあさんには全部つつぬけである。

「、、、考えて、よく考えるべきね、
あなたがなにを私にしようとしているのか
私はカウンセラーでも医者でもないけど、
そんなにIQがなくても、わかるのよ、
あなたが私になにをしようとしているのか、、、」(抄訳)

映画だと、バンドを辞めて結婚して食堂をやっているギター弾きのマーフィをジェイクとエルウッドがバンド再結成に誘いに来て、それに応じて店を出ていこうとする旦那に、奥さんのアレサが、あんたなに考えてんのと歌い出す。ウェイトレスの女たちも、シンク!、と踊りだす。

すると最初の転調のところで、ダイナーで調理していたサックスのルー・マリーノがサックスで転調の宣言のようなロングトーンを吹いてから、アレサの唄への合いの手をいれだす。サックスのルーはどっちの味方なんだかわからないが、だんだん、「おかみさん、あなたの言い分もよくわかりますよ」ってな高音のフレーズのオブリガートも繰り出してくる。

バンド、バンドと無茶苦茶な男たちと比べると、サックスはアレサの苦悩に寄り添っているようなところもある。ちょっとだが。ジェイクとエルウッドも最後にはいやいや女たちの踊りに参加したりする。女性陣がみんなでラインダンス踊って「フリーダム、フリーダム」と連呼するクライマックスの後で、アレサから旦那への一言、 シンク!で唄は終わる。
 


ぎしぎしぎし。

場末のホテルで、初老のおやじと三十路の二人の美大卒の逢瀬は続いていた。

マルがぽろりと、「日本古来の伝統では四十八手というのがあってな」と言ったばかりに、会うたびにそれを試すという展開になってしまった。この描写、あほらしいので省略(それともX指定にして書いてみようか)。まあ、適宜ご想像を。それがこの物語のクライマックスへの伏線には直接的にはならないものの、「懲りずにそして飽きずに続く二人の不倫」というのをこの中盤で配置しておく意味はあるんだが。

ご存じない方には、ウィキペディア情報だが、「四十八手」は江戸時代にさかのぼり、48種類のセックスの体位ということで、相撲の決まり手に引っかけて命名されたもの、らしい。

古代インドの『カーマスートラ』では、64手が紹介されている、なんていう情報もある。動物に比べたら人類はクリエーティブである。でも、スタンプラリーみたいに全部達成したからといって、賞品がでたり、二人の永遠の愛が成就したり、ということはぜんぜん無いらしい。

マルも、二度駄目だった結婚生活の後で出会った、優しく思いやりのある現在の妻ロシェルは大好きだったし、シンガポールで生まれた可愛い娘をいっしょに育てるのが、自分のめちゃくちゃだったそれまでの人生とは異質の、家族の暖かさを感じさせてくれるもので大切にしたいと思っていた。これが人生のゴールだったのかなあとも思う。でも、それと浮気は別なんだよな、これ、オレの病気なんだよな、とも思った。

サチのほうも、外人一筋!と思って駆け抜けてきた人生で、ぽかっと空いたところにマルのちょっとエッチな可笑しさ、同胞人としてのぬくもりがぴたっとはまってしまって、なんなのこれ?自分の人生の番外編みたいな展開、と思っていた。でも、ずるずると、そう、48手終わるまで、とか自分に言い聞かせながらも、密会は続いていた。
 


教授ダニーは悩んでいた。

このバンド、いろんな国の奴がいて楽しいんだが、バンドのレベルがいまいち、なかなか上達しない。肝心のリズムはゆるいし、音の締まりがいまひとつ足りない。このままじゃだめだなあと。

実は、古い友人のシンガポール人のミュージシャンのダニー・ラムがイベント企画会社をやっていて、半年後の来年に、シンガポールで初の「ビアー・フェス」があるんだが、そこにブルースバンドほしいんだがと声をかけてもらっていた。イベントは世界のビール会社100社以上参加する大イベントで、ステージが3つあって同時に、違う種類の生音楽演奏があるというのが売りだという。

今、自分がやっているのはこのブラザーズ・イン・ブルースだけなんだが、このバンドでその大イベントにいけるのか。それとも、別のもう少し小さめのバンドを新たに結成すべきなのか。自分にとっても音楽人生で最大のイベントになるかもしれない。

ブラザーズ・イン・ブルースのほうであるが、兵役で抜けたシンガポール人トランペットのジョーの代わりはすぐに見つかりそうだった。

フランス人が4人でやっているポップスバンドがあって、そのボーカルに声をかけたら、彼のバンドにトランペットがいると。さらに、そのバンドにはバリトンサックスのフランス人もいるので、今度、その二人が練習にやってくることになった。

フランス人のブルースってどうなんだろう。まあ、自分のポーランド系ユダヤ人のオーストラリア人のブルース、日本人のブルース、シンガポール人のブルース、もはや国籍じゃなくて、ミュージシャンそれぞれのハートの有り様なんだよな、とダニーは思った。
 



「人間って、簡単に死んじゃうものなんだな」

「シンさん、どうしたんですか急に」とマサシがパソコン作業の手を止めて聞く。

「さっきフェイスブックで、仲がよかったアメリカ人が急死したのを知った。東京在住で奥さんが日本人なんだが、学生時代からの知り合いで、彼の二人の娘もよく知っている。なにやら急性の呼吸器系の病気で昨夜急死したらしい」

「いくつだったんですか?」

「まだ49歳。去年東京いったときに家でBBQしてくれて、元気いっぱいの顔をみたばっかりだったのに」

「なんかSARSみたいなへんな病気が流行り始めてると聞きますね。あのマルさんも酔っ払って最近、陰謀説みたいな、将来大感染が起きて人類半減みたいなこと言ってるけど、なんだか、気味悪いですね」

「マイケルはほんとにいい奴だった。太っちょで、親日家で、最近は薄くなってきた頭髪を全部剃ってスキンヘッドだったんだが、人種を超越してどんなやつとも仲良くなれる、不思議な奴。あいつがいるとなごむ。ああいうのをほんとの国際人って言うんだろうな。太っちょマイケルがガハハと笑ったら、国境紛争も吹き飛ぶ」

「そういう人、いますよね。ムードメーカーみたいな」

「アメリカの留学先での同級生だったんだが、同級生で飲み屋にいくと、やっぱり白人系のやつとかカラードのやつとか、それぞれともすればかたまりがちなんだが、マイケルの周りはいろんな奴がいて、笑って盛り上がってたね。人生、なんだろね、嫌なやつはのさばり、あんな、守護天使みたいないい奴がこんなに早く死ぬなんて」

「憎まれっ子が世間にはばかるやつですね。そういえば、シンさん。嫌な奴といえば、我々の新たな競合の元作家、なんだか新しくできたインターの広告塔みたいな動きをはじめて、やたらそこへの留学を勧めてますね。でもね、実は自分の2人の子供は、そのインターじゃなくて、あの老舗の30年くらい続いているインターのほうにいれてるんですよ。例の、インター校でアップル・ウォッチをジャングルの茂みに投げて同級生に取りにいったらやるよ、とかいった奴が長男だという噂もありますよ」

「あいつね。でもね、なんだか結構客が集まってるらしい。来月の学校訪問ツアーは満席で締め切ったとか聞いた。エリートのグローバル人材養成、とかいうのがウケてんのかなあ」
 



「(ハァーイ!)」大きな笑顔のアネッサ・ベーカーが、屋上の戸をあけてはいってくる。

ユーレイジアン、日本式に言うと西洋とアジアのハーフ、一見エキゾチックなラテンかアラブ美人という風貌。大柄な体にゆったりしたフレンチスリーブの真っ白のワンピースを着ている。日焼けした肩に、よく見ると、小さな青い色の花のタツゥーが見え隠れしている。

「(ペントハウスで演奏なんて最高ね、ルック・アット・ザ・ビュー!)」

外に広がるシンガポールのビル群を見渡して声をあげる。数語発しただけなのに、豊かな低音から澄んだ高音まで、幅広い音域を持った声だとわかる。

教授ダニーが驚いた顔をする。「(ヘーイ、アネッサ!来月まで無理なんだと思ってたよ!グレイト!グッツーハブユー)」

そしてみなに紹介する。「(みんな、これが噂の歌い手アネッサ。アネッサ、これがシンガポール唯一のブルース・ブラザーズ・コピーバンド、ブラザーズ・イン・ブルー)」

「(『たぶん唯一』ね。もしかしたらほかにあるかもしれないから)」とナガトが訂正をいれる。

さっそく、みながドラムセットとかPAのセットアップを始めると、下の部屋から、バンド犬がいつものように尻尾をふりながら上がってくる。すると、何故か、一直線にアネッサのところへ来る。

「(ハイ、ベィビー、ホッツユアネーム?)」

「(しょうゆ、オスのゴールデン・リトリーバー、3歳)」とマルが代わりに答える。

「(犬には犬好きの人間がわかるのよ。グッボーイ、ナイスツゥミーチュー、ユーライクミー、ドンチュー)」

「(アーハァ、黒いから醤油ね。うちにも2匹黒い犬がいるの。モングレルだけど。ショウユー、ベイビー。ショウミー、ユア・タミー)」とアネッサはしょうゆを仰向けに寝転がらせて、あらわになったしょうゆの腹をさすりながら言う。

「おい、しょうゆ。お前は童貞のくせに女性をみるとすぐこれだ」とマルが日本語で言って笑い、日本人の面々も笑う。

「(こいつまだバージン。犬も人間も女性が大好き)」とマル本人が翻訳する。
「(飼い主に似て)」とトシがつっこむ。みなが笑う。サチがちらっとマルを見る。
 
「(よーし、アネッサが来てくれたから、今日はアレサ・フランクリンっぽい唄ばっかりいってみよう)」教授が言う。

最初の曲は、『チェイン・オブ・フールズ』、直訳、馬鹿女の鎖。スローなマイナーのブルース。

「5年もあんたに騙されてきた、私は馬鹿な女よ
私はお馬鹿なあなたのチェーン(ネックレス)のひとつ
いいように騙されたのよね
でも、いつか、そのチェーンはぶちきれんのよ
それであんたに思い知らせてやるわよ」
というような(抄訳)、男に騙された女の恨み節。

アネッサのコブシのきいた唄に、シンイチたちホーンズが静かにマイナーなフレーズで絡む。余韻を残すように、フェイドアウトして終わる。
 
そして次は、もちろん、Think。あんた、なにをやらかそうとしてるのかお見通しなんだから、よく自分で考えて、ちゃーんと考えてみてよ。

アレサ、もとい、アネッサはアレサ・フランクリンそのものみたいだった。少なくともその場にいたみんながそう思った。ノッてきて、男性メンバーを指差ししながら、あんたね、よく考えてよ、と唄う。フリードム、の連呼では、振り付きで盛り上がってくれるので、手持ち無沙汰のナガトが醤油の足を引っ張って、一緒に振りに合わせようとしている。

パワフルな低音と、伸びやか高音の声が、夕暮れのシンガポールの空に広がっていった。

演奏しているみんなの顔にも、にやにやと笑顔が広がっていった。夕日が空をピンク色に染めていくかのように。サックスでアドリブで合いの手をいれていたシンイチも、俺ってこんなに上手かったけ?と勘違いするくらい、ノリノリの演奏になった。普段は演奏中にはめったに笑わない教授も嬉しそうな顔でギターを弾いている。しかし、たった1人のメンバーが加わっただけでバンドがこんなに変わるとは。
 
「(よーし、ぶっつけ本番だが、これもやってみよう。『フーズ・メイキング・ラブ』。これ、アップテンポで、楽しいよ)」と教授。

この唄は、もっともっと複雑な男女関係についてだった。女性から男性ではなくて、男友達が浮気性の友達に忠告するような内容。

「あんたの奥さんが誰と寝てると思う?あんたが他の女と浮気してるときにさ」。そんな、ショッキングな問いかけで始まる唄。ダブル不倫か。

アップテンポの曲に、リズムはもたつき、ホーンもうまく合いの手が決まらないが、キレッキレのアネッサの唄がそれを補ってあまりうる感じ。これはノリノリ、おもしろい曲だな。みんなが思う。

アネッサがはいれば、このバンドもどうにかなるかな。いや、むしろ、アネッサが唄ってくれるなら、もっとちゃんとした別のミュージシャンに声をかけたほうがいいかな。教授ダニーは、心の内でつぶやいていた。半年後だという大舞台のビヤー・フェスへの誘いにどう答えるか、まだ決めかねていた。
 


屋上の階下では、マルのおくさんロシェルが、14歳の娘マリサの英語の作文の宿題を手伝っていた。

「(おとうさん達、結構うるさいわねえ)」と言いながらも微笑んでいた。

「(ママ、いつもおとうさんには、やさしいね)」とマリサ。

ロシェルは、ブリスベン郊外のごく普通のオーストラリアの中流階級の家庭で育った。祖先の血筋こそ、父方母方は欧州の北や東だったりで、北欧やら東欧の複雑な背景ではあったが、ごく普通のプロテスタントのオーストラリア人と自身を思う両親のもと、あまり海外への関心はなく育った。

本を読むのが大好きで、小説をたくさん読んだが、古典も英文学やフランスあたりの作家が好きだった。日本とか、エキゾチックなほうは、あまり関心もなかったし、接点もなかった。シドニーの大学では文学部、英国の近代作家が専攻だった。なにか文章を書く仕事をするのが夢だった。ジャーナリストかなにか。

マルと知り合ったのは、職場だった。コピーライターとしての仕事を得たメルボルンの中堅の地場の広告代理店に、イラストレーターとして入ってきたのがマルだった。初めて出会う、日本人だった。正確には、親しい関係で初めて出会う。もちろん、日本人には大学でも、バイト先のレストランでも会ったことはあったので。

ある意味、ごく普通の職場恋愛の職場結婚ではあるが、ロシェルは、すべてが彼女の運命だったと思っている。会うべきときに、会うべくして会った相手と、するべくしてした結婚。それが、日本人だろうと中国人だろうとアメリカ人だろうとなんであろうと、それはあまり関係のない話だった。

結婚には二度失敗したと話すマルを、とても正直な人だと思った。マルは、相手のどういうところが自分に合わなかったのか、ちゃんと頭の整理をしている。それだけではなくて、自分のどこが駄目だったのか、それで相手を不幸にしてしまったのかについても、ちゃんと反省している。反省しているけれど、変えられないものは変えられないと開き直っているのも、正直に思えた。この人は私には隠し事はできない、大事なことについては。ちょっとしたウソはたくさんつきそうだけど、大事なことは隠さず話すし守る人。そう思った。

おもしろいことを言って自分を笑わせてくれて、優しいし、ハンサムだと思った。仕事のほうでも、文章書きとイラスト書きだから、いっしょに何かする相棒という感じ。付き合って3ヶ月、どちらともなく、わくわくするような話もでてきた。

アジアの時代が到来。シンガポールに進出してきている日本企業向けに、現地での英語での広告宣伝を請け負うのがこれから爆発的に伸びそうだと。これはいっちょうシンガポール行って起業してやってみよう、という夢のような話。自分が海外に行くなんて。会社を起こすなんて。

たしかに、いろいろ調べてみると1990年代にはいって東南アジアの高度成長で日本からどんどん企業進出があって、シンガポールのローカルの広告代理店がうまくそれを取り込めていない。これはとてつもないビジネス・チャンスだ、とマルが力説する。

それで、シンガポール移住と、起業と、結婚。すべてが同時に起こったのが2001年だった。そう言えば、その年の9月に同時多発テロがアメリカであったが、自分たちの人生にも、複数のことが同時に多発的に起こった年だった、と振り返ってロシェルは思う。そして移住したシンガポールで、翌年の2002年には娘を授かった。

マルも娘が生まれると、死にものぐるいで営業をして仕事をとってきては、徹夜でイラスト描いて、自分たちの会社だけに心底寝るのを惜しんで働いた。そして、だんだんと仕事が増えていった。

10年もすると、二人の会社は、従業員30人を抱える小さいながらも知られた事務所になった。それなりに得た収入からの貯金で、思い切ってペントハウスというか屋上がついたコンドミニアムも買った。すべてが、それなりに成功して、順調だった。


 

ぎしぎしぎし。

場末のホテルのベットで、体を妙にひねって絡まっている、初老の男と三十路の女。

「これ、四十八手の中の三十七番『くるわつなぎ』」

「かなりアクロバチックね。手はどうするの」

「この絵によれば、こっち。足はこっち」

ぎしぎしぎし。ふたりの体重で安普請の部屋自体が、きしむ。

「いぃ、ような、そうでもないような、微妙。でも新鮮。変態的」

「くるわで、くるわ~」

「笑わせない」

「あ、痛て!
ぎくり。やってしまった」

「え、マルちゃん、大丈夫?」

「うっ、あぃててて。これ救急車、呼ばないとまずいパターン」

かくして、サチの肩をかりながらロビーまで降りてきたマルは、サイレンをならしながら到着した救急車にのって病院に行くことになる。

いかにもラブホテルな場末のホテルに呼ばれた救急車。なんともカッコ悪い、平日の昼下がり。でも、ここシンガポールでは他人のことはあまり気にしていない、関心がない感じ。

病院でいつもの強力な痛み止めの注射を受けて激痛がおさまると、サチには帰ってもらう。

そして、連絡を受けたロシェルが駆けつけてくれる。ロシェルには、クライエントと打ち合わせ中のカフェテラスでぎくりと腰を痛めたと説明。マルの持病。これまでも何度かぎっくり腰をやっている。

 


「しかし、あの元作家にはまいったな。うちの客を根こそぎ持ってかれた感じだ」

「まいりましたね。来学年にむけて、今がかきいれ時ですよね。それがたった3件しか内談がないなんて」

「正直、きびしい。我社、創業来の最大の危機。既存のコンサルまで更新できなくなると、資金繰り厳しいな。マサシ、おまえの給料もでないぞ」

「え、それは困りますよ。彼女できたばかりだし、親が病気だったり」

「おまえも共同経営者だからな」

「え、オレ、雇われですよ。いつから共同なんて。知らないですよ」

「ばか、パートナーって名刺になってんだろ。共同経営者だ。運命共同体ってことだよ。ニーズありそうなところを虱潰しにあたってみるしかないだろ」
 


「(みんな、来週、練習の後に、大バーベキュー大会!噂のマル特製チキン・ウィングそしてジャパニーズ焼き肉。ユア・シグニフィカント・アザーズもウェルカムね。酒はいっぱいもってきてね)」とマルがアナウンスする。

「そのシグニフィカントってなんです?重要な、っていう意味でしたっけ」とヒロシ。

「旦那、奥さん、彼氏、彼女、っていうことよ。ポリティカリー・コレクトにはそういうわけ」とトシ。

「へええ。じゃ、彼女連れてきますよ。ムスリムなんで飲めないですけど、パーティ好きなんで」
 



ビンタン島というのは、シンガポールから高速フェリーで1時間程のところにあるインドネシア領の島だが、シンガポールより広い面積の北側のほうがリゾートとして開発されている。明らかにシンガポールの住人をターゲットにしたリゾート。サンゴ由来の白い砂浜のビーチに椰子の木が揺れていて、ゴルフ場もあり、シュノーケリングやパラセーリングなども楽しめる。

シンイチが月曜の朝にオフィスに行こうとすると、マサシからのメッセージがはいる。

急に彼女と1週間ビンタンで休暇をとりたいのでよろしく、とある。
会社存続の危機のときに何をいうか!と電話するが繋がらない。ローミングを切っているか、電話そのものの電源を切っている。

オフィスに着くと、既存顧客からの対応についてのクレームのメールやら、見込み客からの断りのメールがはいってきており、対応に時間をとられる。何度もマサシの携帯に電話するが、反応はない。

ったく、なんなんだあいつは。オレ、厄年はもう過ぎてるし、なんか運気の悪いことしたかな、とシンイチは思う。

先月の、留学時代の親友のアメリカ人の急死もショックだった。シンイチにとって、数人しかいない心を許せる悪友のひとり。会うと元気をもらえる友達。時々、大げさにも、神様というのが存在するとしたら、自分が迷ってあらぬ道に行かないように人生のガーディアン・エンジェル(守護天使)を何人か現世に送り込んでくれていて、マイケルはそのひとりなんだろうと思ったりしたこともあった。彼なき今、もはやトラブルは自分でがんばって対処しろというお告げか。
 



ぎしぎしぎし。ぺちゃぺちゃぺちゃ。ゆさゆさゆさ。

「もうアクロバティックなのはスキップね。まだ腰ぎくりだから。しっぽりのやつだけ」

「みて、これピクトグラム、いいでしょ?四十八手、わたし、全部、描いてみました」

「お!これは、オリンピック競技みたいな。技の要素を的確に単純化、そしてエロさがスポーティに昇華されている。才能だな。まるでグラフィック・アーティストが描いたみたいだな」

「はい、私、グラフィックの卒業。ちなみに、あんたも学科は同じでしょ」

「そうでした~。でもこれいいね、リオの次のオリンピックが東京に決まったらしいから、オレの知り合いの電通のディレクターに話してみる?競技ピクトグラム・アート。あ、さすがにこれが作品例じゃまずいよな」

あいもかわらず、ぎっくり腰騒動があった後も、雨季が終わり強烈に日差しが熱くなる乾季に入ろうとしている今でも、二人の逢瀬は続いていた。

サチにとっては、もはや不倫というよりも、セックスもするけれど、息抜きの場みたいになってきていた。

業界の先輩とケラケラ楽しく、仕事っぽい話もする。母国語で馬鹿言って笑い合うのが楽しいし、ずっと10年近くヨーロッパで張り合って生きてきた緊張から解放される。今でも家でのフランス人の旦那のウェットな束縛から解放される、憩いの時みたいになってきていた。心のバランスを保つカウンセラーセッションみたいな。これって、不倫じゃないんじゃない?と勝手に思い始めていた。

マルといえば、あまりなにも考えていなかった。自分より若い子としっぽりできてええなあ、オレってまだもてるな、まあこれどうにかなるだろう、くらいにしか考えていなかった。
 



ロシェルは今日も朝6時半に起きて、シンガポールの日本人学校に通うマリサの弁当を作る。

さすがに日本人みたいにキャラ弁は作らないが、マリサが好きなものを栄養を考えて、せっせと日々バリエーションを変えて作る。オージーと日本のフュージョンみたいなメニュー。今日はチキンのハーブ焼きにブロッコリー、レタスにトマト、そして日本的なものとしてマルから習ったソーセージのタコを添える。タコはちゃんと足は8本、目のところには穴をあけてゴマを詰める。
ロシェルの日本語はまだかなりベーシックではある。あまりこみいった話はわからないが、マリサの学校のPTA役員をかってでたのは、むしろそのほうが面倒なことに巻き込まれたくていいだろう、というマルのアドバイスもあってであった。

「あ、あのヒゲの旦那さんの奥さん」とPTAの母親たちには不思議な目でみられたのは最初だけで、すぐにロシェルは受け入れられた。物静かで、周りに気を使う優しい性格の人物というのが、すぐに伝わった。

「ロシェルさん、なんか日本人みたいね」なんて言われるようになる。そういう無神経な日本人の発言にも、ロシェルは静かに微笑んで返していた。マルは「どいつだ!そんな馬鹿なことを言うのは」と怒ったが、日本人からしたら褒め言葉のつもりだったかもしれないが。
 



「(ベースとドラム!リズムがずれてる、もたってる)」苛立った天然パーマで髭のダニーが口早に言う。「(ノー・ハートフィーリング。でも、うまくなるには誰かがプッシュしないといけないから、オレがその役をやっている。リズム大事だから。いまのひどいよ)」

「(トシ、お前はいつもオレを困らせる。困らせすぎてるかもしれません。困らせて40年?)」とマル。

教授ダニーは手厳しく「(マル、あんたもリズムがもたるよ。コードは頭に叩き込んで覚えて楽譜なんてみない)」

「(ドラムとは長い付き合いなんだったらもっとリズムが合うはずだろ)」

「(この曲、セルブロック・ナンバー9なんて、非常にシンプルなブルース。なんでリズムがくずれるんだよ)」

「(ダニエルさん、おっしゃるとおり。ワックス・イン、ワックス・アウト。地道に練習します)」とマルがおどけるが、教授の顔は真顔で笑っていない。

「マル、おまえ、いつもおれのドラム聞いてないよな。40年間いつも思っていたが」とトシも言うことは言う。「聞かないと合わせられない」

「(やっぱ、トランペット早くこないかな。トロンボーンとサックスだけじゃ寂しいな、迫力足りないよな)」シューもつぶやく。前週にあんなに盛り上げてくれた歌姫アネッサは忙しくて、来れても夜になってのバーベキューだけの参加。

。。。やっぱりこのバンド、だめかな。ホーンがたくさん集まってきたり、メンツが集まりゃいいってわけじゃなくて、リズムがびしっと決まらないと下手くそアマチュア・バンドってばれてしまうよな。これじゃ、人前では演奏できない。リズム・セクションが要なんだが、と教授ことギターのダニーは、ひとりで大きくため息をついた。
 



今のメンバーになって初めての屋上バーベキュー。

静かに海から吹いてくる夜風がきもちいい。たしかにマルが前日からマリネして仕込んであったチキンは自慢のレシピだけあって、美味い。スパイシーながらまろやかな味。大盤振る舞いオージー和牛やら、ベトナム養殖エビやら、マレーシア野菜やら、多国籍焼き物、そして、おびただしい数の缶ビールが開けられ、大量のラム・コークが消費された。

「みなさん、こちら、ヤスミンです。一応フィアンセ。日本語もちょっとできますよ」リズム・ギターのヒロシが、ショートカットにした髪の毛を赤毛っぽく染めた若い女の子を紹介する。

「みなさんはじめまして、ヤスミンです。インドネシア系のシンガポリアン。日本語はすこしできます。ヒロシさんとすんでいます」

「ヒロシさん、隅に置けないわね、こんな若くてきれいな娘みつけるなんて」とサチ。「(ヒロシ、ハンサムだから、ね)」とロシェルも冷やかす。

ボーカルのショーマン、ブルースは奥さんと3歳の息子を連れてきていた。奥さんは2人目予定でかなりお腹が大きい。よく聞くと、出身はカリフォルニアの中華系アメリカ人だという。ブロンドの息子はまったく人見知りせず、やたら可愛い。こうやっていろんな人種の人と物心付く前から交わっていたら、余計な人種偏見とかつかなくなるんだろうか、とシンイチはふと思った。3歳児の目には、白人も黒人もアジア人も、たんなる大人としか映っていないのだろうな。

例によって、宴たけなわになってくると、ひとり、ふたりと去っていく中で、コア?の日本人酔っぱらいが残って、しっぽりとだんだん深酒モードになっていく。モードというか、既に深酒ゾーン入りしている。
 
「おい、マル!あんたは、とんでもないよ。あんなやさしくていい奥さんがいるのに、ふらふら、ふらふらして」。酔って目が座った女がマルに言う。

「おぃおぃ、おまえにそう言われるかな」とマルは小声でサチをなだめようとするが、サチはかなり酔ってきている。酔うと絡むタイプらしい。

「サッちゃん飲み過ぎだよ。はい、水」とトシがグラスを渡そうとするが、サチはマルを睨みながら続ける。

「あんた、なんにも考えてないでしょ?なーんにも。かーぜもないのにぶーらぶら、とかいっちゃって。ちょっとは真面目に考えなくちゃ」

ヒロシが聞く。「サッちゃん、荒れてるね。旦那と喧嘩中?」

「だいたい日本人はね、外人との付き合い方苦手なのよ」サチは聞いていないで続ける。

「国際化とかいっちゃって、白人の前でペコペコして、やたらアールを巻き舌でアメリカ人みたいに発音するのが、グローバルだとか。まだまだ明治時代の島国コンプレックスのまんま」

「でも、けっこうよくなったんじゃないの。もう21世紀だぜ。そういうグローバル人材だのの仕事を日々していて思うが」シンイチが真顔で対応する。

「いろんな意味で、外国人と対等に、互角に張り合いながらも、ひとりの人間として交流している日本人は増えている。そして、尊敬される人間として一目おかれている日本人もけっこうでてきている」

「だめだめだめ、まだまだ。日本って、『美白』とか『透明感のある美貌』とか、そんなことがまかりとおっている社会よ。ポリティカリーインコレクトよ。そりゃ色素が薄けりゃ、白っぽいし、透明だわな。知らぬ間に言語にビルトインされている差別、劣等感。あたしが海外長くても、髪の毛はブリーチしないでこの黒髪でいるのは、あえて誇りをもっているからなのよ。色素で勝負しているのよ。色素を薄めたりしてないのよ」

「サッちゃん、北朝鮮から帰ってきたと思ったら、たまげたねぇ、こんどはヨーロッパ批判だべか」とトシが古いジョークを持ち出しておどけてみるが、誰も乗ってこない。

「わたしはね、もっと根本的なことを問題にしているの」

「多様性にあこがれて、多様性のある社会へと飛び出てきて、壁を越えたとおもったら、実はその差別構造のなかに取り込まれてしまって、あたかもそれがスタンダードかのように上から目線で言う」

「それって、デカプリオに憧れて欧米にでてきたら、デカプリオみたいなのと付き合って、結果としてデカプリオに憧れる昔の自分を下にみる、ということなのか?」訳のわからない質問をシンイチがする。

「そう、そのとおりよ。オリビア・ハッセーをものにしたと思ったとたんに、オリビアにあこがれていた昔の自分に対する優越感が起きて、同時に自分がその昔の自分とはなんにも変わっていないということに劣等感を感じる」

トシがまた割り込む。「んなら、どうしたらいいんべ。今月の漁協の月例会の話題にすっべか」。福井の漁協のロールプレイごっこに誰も乗ってこないが、ちょっと場がなごむ。案外、このメンバーの、このバンドの守護天使、ガーディアン・エンジェルはトシじいさんなのかなあ、実家が寺だしなあ、とシンイチは、最近亡くした親友のアメリカ人のことをちょっと思い出す。

「トシ、あんたは、なんだか言ってることがわけがわからない。あたしのいいたいことはまだ終わってないの。黙らせようとしても、あたしを止められないの。男たち、あんたら、シンクしてよ。沈むシンクじゃなくて考えるのシンクよ。もっと頭使って考えなさいよ」



 
まだ空が薄暗い早朝、携帯のメッセージのバイブが鳴って、シンイチは屋上のソファで目を覚ます。ひどい二日酔いの頭痛。

まだ朝の6時。屋上のソファと長椅子と床にひいたラグに、シンイチ以外の日本人5人が死んだように寝ていた。誰かが吐いたのか、ヘドの臭いがする。そのすえた臭いが、本来ならすがすがしい朝のそよ風を台無しにしている。

「シンさん、いろいろとお世話になりました。結婚することになった彼女とこれからのことを話しあった結果、日本に帰ることにしました。今月の給料は日割りで精算お願いできればと思います」とのメッセージ。ビンタン・リゾートに行って音信不通だった仕事のパートナーからの、あまりにも簡単な退職願いだった。

馬鹿言え、と、シンイチは、「仕事はどうするんだ?」と返信する。

「実は言いにくいんですが、あの競合の元作家から誘いがあって、日本で留学フェアのプロモ担当の仕事のオファーもらったんで、とりあえず日本でいろいろと動くことにしました。シンさんも、いつもチャンスは逃すなと言ってましたよね。こんな形となって恐縮ですが、同じ業界、またなにかご一緒することがあればと思っております。いろいろとお世話になりました」そして、絵文字でペコリとお辞儀がある。


しばらくたった、朝7時過ぎ。かなり西にあるのに日本と1時間しか時差がなく朝が遅いシンガポールでも普通なら朝日が差し始める時間であったが、今朝は空が不気味な黒い雲に覆われていて、まだ暗い。英国植民地時代は日本と2時間の時差、日本占領下の2年間は日本と時差なしとされるなど、時計まで支配国に翻弄されたこの島だが、何故かいまは北京と同じ時間帯にある。よって日の出は遅め。

朝早くまだ薄暗いのに、屋上の階下には、ドアのベルを鳴らす教授ダニーと歌姫アネッサの姿があった。ふたりともジョギングするような格好をしている。ミュージシャンにしては健康的である。
ベルに起きてきたロシェルが、パジャマ姿でドアを開ける。

「(ロシェル、朝早く、大変申し訳無い。昨日重かったから自分の真空管アンプを屋上に置いて帰ったんだけど、いまジョギングしてたら空の雲行きがえらく悪い。すぐに大雨が来そう。それでたまたまジョギング仲間のアネッサと公園で会ったので、帰り道に寄ったんだよ)」とダニー。

ロシェルはにっこり笑って、「(いいのよ、どうせ起きなくちゃと思っていたところ。ペントハウスのジャパニーズたちも起きなくちゃね。また夜通し飲んで寝込んじゃったみたい。どうぞあがって。これから、果物でも切って持ってあがるから)」
 


ダニーとアネッサが29階から螺旋階段をあがっていくと、まだ、だらりと寝ているマルたちが見えた。シンイチもマサシとメッセージを交わすとまた寝込んでしまったらしい。

ダニーは、はっとした。

一番大きなソファに、サチがマルに寄り添うように寝ている。マルの右手がそれを抱いている。そこから離れたところに、トシ、ヒロシ、ナガト、そしてシンイチが寝ている。

空には、ちょっとだけ朝日が低く差してきているが、上から迫りくる黒雲が重く不気味に垂れ下がってきている。

ダニーは、やばいな、と咄嗟に思い、「(ヘェーイ!マル!みんな!朝だぞ、もう起きよう)」と声をあげる。アネッサも、「(大雨が来そうよ!はやく起きて)」と急(せ)かすが、遅かった。
 
ジャパニーズたちが起きあがる前に、階段をあがって、果物の皿を持ったロシェルが上がってきた。

そして、マルがサチと寝ているソファの前で止まる。マルが起きる。
 
ロシェルの左手にはオレンジの乗った大皿、右手には果物ナイフ。


「(ハーイ、マル。起きた?)」
ロシェルはゆっくりと言う。

「(あなた、ほんとに考えないで行動してしまう人ね)」

「(考えてから行動したこと、これまであった?)」

「(どうにかなるとおもってたんでしょう?)」

トシは息を呑んだ。これ、いつかの修羅場の再現。ロシェルが落ち着いていればいるほど、事態は深刻で、まずい。真剣にまずい。

「(わかっていないと思っていた?)」

「。。。。。」

「(病院なんておかしいなと思ったの。なんとなくナガトにも聞いたのよ。ナガトはなにも言わなかったけれど、隠してるみたいで、それで気が付いた)」ちらっとナガトのほうを見る。ナガトは目をそらす。

その時、遠くで鋭い雷の稲光がして、数秒してゴロゴロと落雷の音が届く。

すると、ロシェルの顔がアネッサの顔に重なって、アレサ・フランクリンの顔にもなる。

すべてが重なってくる。



どこかからイントロが聞こえる。と、急にここからなぜかミュージカル仕立てになる。ダニーもギターをとり、寝ぼけまなこのジャパニーズたちも、それぞれの楽器をもって演奏を始める。
 
「(考えて。よく考えて。あなたがしていること。そしてそれがもたらす結果について)」歌姫アネッサが唄いだす。

「(初めてじゃないでしょ。もう何度もあったでしょ」ソウルの大御所アレサがマルを指差して唄う。

「(いつも、あなたはまわりを不幸にしてそれを終えるの。もう病気ね。いっそ終わりにしてしまったほうがいいかもしれない)」ナイフを持った奥さんのロシェルが詰め寄る。

ジャパニーズの男を、黒人の、ユーレイジアンの、白人の女たちが責め立てる。

オリジナルとは違う歌詞が続く。と思ったら、演奏は今度は、オリジナルのアレサ・フランクリンのシンクの歌詞になって展開していく。

トシは思った。あれ?、このアレサのシンクは、歌詞をよく聞いてみると、無責任に仕事をほっぽってバンド再結成へと出ていこうとする旦那を咎めるだけの唄じゃなかったんだ。何度も聞いて演奏してきたが、気づかなかった。

「よく考えて、本当になにがしたいのか。心を解き放って、自由になって、もっと自由になっていい」と唄っている。

「私だって変わろうと思ったけれど、もうやめたの」とも唄っている。

でも、「あなたにはわたしが必要。わたしもあなたが必要。お互いいないとなにもできないんだから」と続いていく。

実はとても矛盾した歌詞。よく考えて行動してと詰め寄りながら、自由になって!と言って、そして、でも、お互いがいないとだめなんだからと唄う。

アレサはどうして欲しいと言ってるんだ?よく考えろといっても、なにを考えればいいんだ?
 

「フリードム、フリードム」と、声高らかに唄うアネッサでありロシェルの周りで、演奏しているバンドの皆が楽器をかかげながらラインダンスを踊りだす。

マルは呆然としてそれを見ている。サチも座って茫然としている。

ドローン仕立てのカメラはペントハウス屋上の上空へと旋回しながら上がって、上からのその修羅場ミュージカルの映像を映し出す。

突然、辺りが真っ白になる巨大な閃光が走る。

同時に真上から轟音の落雷の音。

少し離れたあたりにある公園の大きな木に雷が落ちる。頭の真上に雷を落とされたような衝撃。間髪なく強烈なたたきつけるような雨が降りはじめる。
ロシェルは、茫然とするマルの前で、果物ナイフを皿に戻すと、ツカツカと立て掛けてあったマルのベースへと歩みよる。

ビンテージの、赤と白のフェンダーのベース。マルの自慢のベース。

ロシェルは、アンプにつないであったシールドを引きちぎって、ベースを抱えて、屋上の手すりまで進む。

「俺のフェンダー」、弱々しくマルが言う。
 
ロシェルは柵から下を見下ろしてプールサイドに人がいないことを確認する。そして、抱えていたフェンダーを、頭の上にあげると、思いっきり30階下のプールサイドへ向けて投げ放つ。
 
ペントハウスを離れた赤いベースは、くるくる、くるくると、ゆっくり弧を描きながら、雨の中、落下していく。

熱帯のスコールの豪雨で、よく見えない。

鈍い、どさっという音が、聞こえる。

木と金属でできたベースがプールサイドのコンクリを叩く無機質な乾いた音ではなく、水分を含んだ生身の人間の体が地面に落ちたような、気味の悪いウェットな鈍い音。

皆が、手すり越しに目をこらして見下ろす。

赤いボディのベースが、首を折られて変な格好に曲がった、無様な動物の死体のように落ちているのが、かろうじて見える。

激しい雨。雷鳴。

フェンダーの赤い色は、鮮血のような色で死体を覆う。

無残にちぎれて1本の紐のようにつながっているストラップのせいで、絞首台から体の重みで下に落下してしまった死体にも見える。

首に縄のついたぶざまな死体。

荒れ狂う熱帯のスコールの大粒の雨は、その落下死体に容赦なく降り続ける。
 

(第4章へ続く)

(注) スモール・アワーズ・オブ・モーニング(英語):夜明け前、明け方。 

この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとはこれっぽっちも関係ありません

(タイトル写真はリアルのBrothers in Bluesのかつてのバンド犬の故しょうゆ君 )


全5章 at : 


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