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『生命式』

『生命式』(短編集『生命式』より、表題タイトル)
村田沙耶香著


身内が、亡くなったら、お通夜や告別式をするのではなく、"生命式"を開いて、集まってきた人たちに死者の肉を食べてもらう。そして、新たな生命を誕生させるため、"受精"という名の神聖なセックスを行うという世界観を紹介するという物語。


人間が人間の肉を食べる行為や慣習のことをカニバリズムというらしい。現実的に、カニバリズムはいろいろなところで行われていて、例えば、チベットでは死者を鳥に食べさせるとか、パプアニューギニアのフォレ族では敵を食べて強くなるみたいな。一方で、カニバリズムによって感染症や神経疾患のリスクが高まるらしい。クールー病というのが、人間を食べる種族の間で多発して、感情コントロールが不可能や歩行障害のような症状の末、死んでしまう。そんなわけで、現在ではほとんど行われていないはず。

死者をみんなで食べようという"生命式"が当たり前のように行われる世界は、肉の塊となった死者を弔いの意味を込めて食し、そこは、新しい出逢いの場であり、新しい生命を誕生させる神聖な場なのだという。

村田沙耶香ワールドがなかなか、強烈で、気分も悪くなりそうだけどね。

村田沙耶香さんが、よく扱う、常識って何だ?ってことなのだろうなあ。本書の世界観の中でも、30年前では、"生命式"は、非常識だったらしいというのが、面白い。

みんなの(自分の周辺の)常識は、世界の非常識だったりすることは、よくあるわけで、私の常識が、たとえ、世界の常識だとしても、みんなにとっては、非常識だったりすると、私は、なかなか辛い立場に立たされたりする。そして、常識は、変化する。

私が、幼少期、アメリカで過ごしていて、中学から、日本の公立の学校に入ったとき、よく言われたのが、牛乳のことをmilkと言ってしまって、そうすると、カッコつけてるって言われたり、実習生の大学生の女の子が、きた時は、実習生よりも、上手く英語を話すと、実習生が、先生になれなくなるじやないか!とか、訳のわからない責めにあって困ったことを思い出した。その頃は、それなりに尖っていたので、英語が喋れないのに英語の先生になろうとすることが、間違っているんだ!とか不毛な議論をしたなあ。狭い社会ならではの"常識"というのは、だいたい厄介なことが多い。今の時代は、海外帰国組は、社会的に優遇されるようになっているけど、出たがる人が減っているみたいで、何となく、残念な気はする。

なるべく、訳のわからない常識に惑わされないためには、揺るがない自信とか、信仰心みたいな、ベースを持つことが大事だなあと思う。あとは、やり過ごすしかないのかなあ。

宗教もおかしなところはあるのだろうけどね。

二人だけのバカンス

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