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若者のすべて

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海と山に囲まれた日本という国で生まれた歌たち


BEGIN / 「島人ぬ宝」20周年MV 字幕あり

老若男女に知られ、それぞれの思い描く沖縄の原風景を蘇らせてくれる名曲「島人ぬ宝」は、2002年にBEGINの23枚目のシングルとしてリリースされました。この歌はメンバーの故郷・石垣島で、当時の中学生たちから“島への思い”を聞き取り、作詞されたと言います

Q「島人ぬ宝」制作のときの思い出は――
BEGIN/Vo.比嘉栄昇さん
「子供の頃に聞いて覚えて、飲み会の席に懐かしく思い返しては一緒に歌うみたいな。そういう歌が島の子供たちと一緒に作れないかということで当時の中学生に聞いたんですよ。そうしたら『島が宝』とか『自分のじーじー、ばーばー(祖父、祖母)は宝です』みたいな、そんな答えがいっぱい返ってきて。そんな事って僕らの世代では言えなかったと思うんですよね。たとえ思っていたとしても。でも孫、曾孫の世代になってそういう事が言える時代になったんだという事がとても嬉しかった。」

https://www.otv.co.jp/okitive/article/22749/

荒井由実 - 瞳を閉じて - 1974

かなり有名な話だが、この曲は、五島列島の長崎県立奈留高校(当時は五島高校奈留分校)の生徒から某ラジオ番組に来た、「校歌を作ってほしい」という依頼に応えて作ったもの。1974年のアルバム『MISSLIM』A面。《生まれた街で》《瞳を閉じて》《やさしさに包まれたなら》と続く怒濤の3曲のど真ん中。

https://note.com/suziegroove/n/n20a96fad52d3

スピッツ / 空も飛べるはず

この曲は、当時私が見ていたドラマ「白線流し」の主題歌になっていました。
1996年に放送されたドラマで、長野県松本市の架空の高校の生徒を中心とした男女7人の青春ドラマです。
友情や恋愛が、松本市の美しい風景の中描かれていました。

https://www.mikeusagi.com/entry/spitz-soramotoberuhazu-hakusennagashi-matsumoto

「空も飛べるはず」も、今回ご紹介する曲として予定していたところ、「荒井由実《瞳を閉じて》はなぜ校歌にならなかったのか(2013年記)」の中でも、「空も飛べるはず」に触れてありました。

スピッツの《空も飛べるはず》を卒業式で歌う学校があるという。ドラマの影響なのだろうが、素晴らしいことだと思う。

https://note.com/suziegroove/n/n20a96fad52d3

私は、当時ドラマを見ておらず、今回こうして記事を書こうとしたときに、「空も飛べるはず」がドラマの主題歌だったことを知りました。実際に白線流しが行われているのは、岐阜県高山市の斐太高校です。そこで歌われているのは、「巴城ケ丘別離の歌」だそうです。

昭和17、8年頃から「巴城ケ丘別離の歌」が歌われるようになりました。この曲は旧制岐阜県斐太中学校第57回卒業生の河内敏明氏(名古屋市在住)の作詞・作曲によるもので、当時は楽譜もなく、口伝で歌い継がれてきました。

https://school.gifu-net.ed.jp/wordpress/hida-hs/school_info/hakusen-nagashi/

『友よ 試みに合崎橋畔に立ちて母校斐高を顧みよ・・・』 という惜別の辞に続き 『巴城 ケ丘に登り得て 春秋ここに三星霜・・・』と切々と吟ずる名曲です。作者不詳だったこともあり、長い間、 巣立ちの思いを託した歌と見られていました。(「巴ヶ丘別離の歌」を聴く)
ところが最近になって作者が明らかになり、戦に赴く友を送る歌であ ることが分かりました。作詞作曲し た名古屋市東区の会社役員河内敏明さん(71)は、敗戦の昭和20年旧制斐太中学の卒業です。『3年生のころから、友の何人もが予科練などに志願していきました。4年のとき、彼らは特別帰郷し、軍服姿で学校を訪ねてきました。そして去る際に、校門そばの合崎橋のたもとで直立不動の姿勢をとり、巴城(学舎)に敬礼するのです。その姿を教室の窓から眺め、強い感情に揺さぶられてこの詩を書き上げ、ギターで曲を付けました』
『私は、それを昔からの白線流しの歌だと偽って級友らに教え、卒業の日、橋 の上でうたわせました。 一部の友は私が作ったことを知っていましたが、黙ってました。その後もうたい継がれたのは、詩に戦争を思わせるものがなく、また、読み人知らずというロマンのせいでしょう』

https://school.gifu-net.ed.jp/wordpress/hida-hs/school_info/hakusen-nagashi/

◆ 巴城ケ丘別離の歌 斐太高等学校

フジファブリック (Fujifabric) - 若者のすべて(Wakamono No Subete)

志村さんは、ライブで『山梨県の富士吉田市から来ました』ってよく言っていたので、ずっと気になっていた地域だったんです」と和真さんは言う。
同級生である雅人さんにしてみてもそれは同じで、志村さんの地元愛を知ったのは上記のようなライブMCによるところが大きい。
「ふつうだったら山梨とか富士吉田とか言わないですよね(笑)。田舎だしさ、山梨恥ずかしいみたいな。だけどあえて、ちゃんと言ってたから、この町を愛してたんだなって、あとになってわかりました」と語ってくれた。

https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/quishin03/2

まとめ

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの

室生犀星のこの有名な詩は、ふるさと金沢を遠く離れた東京で金沢を思って作られたものではなく、金沢に帰郷した折に作られたものなのだということです。

岡庭昇氏は「あたかも都市に流出した民によるふるさとへの追慕というようにうけとられ、感情移入されている」として、それを「誤伝」であると言いきっている。そして「犀星の作品で、ふるさとが遠くからしみじみと想い出されたりしているわけではない。(とてもじやないが)ふるさと(なんてもの)は、遠くにあって(こそ)想い得るもので、そうでなければまっぴらだ……という以外に、ほんらい解釈のしようがない作品なのである。つまり歌われているモチーフは、なによりもふるさとへの憎悪だということだ。」(1)とつづける。

https://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/papers/furusatohadokoniaruka.html

しかしそれも、帰ることのできる故郷があればこそでしょう。故郷がなくなってしまえば、帰ることもできなくなってしまいます。今、日本人は、それを肝に銘じる必要のある状況に置かれていると私は思います。

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