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楕円球の青春 入寮

こんにちは。

一浪の結果、目標の大学に入学することができました。
現役の時の受験結果は散々でした。

東京まで、合格発表は見に来れないから、電報を頼みました。
電報って、紙で来るものだと思っていたら、
近所の郵便局の人が、電報の中身を電話で読み上げる形でした。
(これって、料金安いのかな。騙されたのかな?)
4学部受験していました。

毎日、「サクラチル、ザンネン」を母親は聞かされて、
寝込んでしまいました。

地元で予備校通い。
この年に撮った写真は、受験の願書に貼る写真一枚のみ。
黒の時代でした。

しかしながら、見事目標大学の2学部に合格、体育コースに入学しました。

3月の下旬だったと思います。新幹線で上京。当時は3時間ぐらいかかったと思います。

たまたま隣り合った方と、楽しく話しながら、東京に向かったことを覚えています。今から、楽しい時間が始まる、そんなことを予感していました。
大きく裏切られるのですが。

クラブの寮が、東京の西部にありました。当時としては、立派な寮です。「ラグビーマンション」と呼ばれていました。

部屋は2人部屋が基本。3人部屋も、3部屋ありました。

上級生と、下級生のコンビです。
1年生は、私を含めて、8名でした。

私は、4年生の先輩の店子。

2人部屋の、先輩が「番長」、下級生が「店子」。
番長のN先輩は、おとなしい方でした。
もうおわかりと思いますが、番長によって、店子の運命は大きく変わるのです。

入寮して、その晩、2年生が1年生を集めました。
以下、2年生のお話。

上級生の言うことは絶対。(だったような。)
朝の起床は上級生が出てくる前に、玄関に出ておくこと。
(寮前体操がありました。)
掃除は1年生の担当。消灯30分前に行うこと。
門限、消灯は11時(冬は10時半)厳守。
午前中の電話番は、1年生の担当。(ベルをたくさん鳴らさない。)
食事当番は、下級生と上級生の組み合わせで行う。(練習を早く上がって、準備する。)

そして、最後に、こう言いました。

「4年生は神、3年生は人、2年生は奴隷、1年生は、、、」

「ゴミ」と言われました。

ひえーっ!人ですら無い、、

「粗相をするなよ。」2年生は言いました。
「絞られるから。まあ、1年と2年は一緒だから。」
ん?「絞る?シボリ?」
なんとなくわかる、ニュアンス。あー、やられるのね。
一緒に。(一緒だけど、一緒じゃ無い。)

でも、このチームは、鉄拳⚪︎⚪︎が無い、って。
これ、大きいです。ゲンコツは嫌です。
その通り、ゲンコツもらったことはありません。

その代わり、肉体は、相当鍛錬されましたね。練習や、その他で。

翌朝、起床は6時、だったと思います。
「ピリピリピリーッ、起床ー。」
笛を吹いて、マネージャさんが起床を告げます。
笛がなるかならないかで、飛び起きて、玄関に走ります。
必死です。朝から。

寮前体操。両前の玄関先で、体操。
1年生が、前に出て、リードします。H君だったと思います。
彼は、九州の名門校出身。ラグビーもうまかった。
天パー、なんですよね、髪の毛が。
そう、先輩に可愛がられるタイプだったのです。

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