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飛鳥🍊 橘寺から岡寺

飛鳥を、壺阪山から橿原神宮へ歩いて抜けるところです。

亀石。動かんといてなー
動いたら大和盆地が沈む。
石というより岩という方が正しいと思います。

古墳をみたあとです。これから寺を見ます。

古墳から寺院建立への変遷と、死生観の変遷、因果はどちらが先でどちらが後か、私はちょっとわかりません。

まずは聖徳太子生誕の地として伝えられる橘寺へ。

橘寺、西門に向かいます。
正門は東門なのですが、亀石からだと西門が近いのです。
ふりむくと、こんな道🦌
こういう道ってほんとにいい。
ところで両側にたってる棒って何ですか?
どなたかご存じですか?


私にとって橘寺の重要点は、ここは元尼寺だったっということです。尼寺にして聖徳太子誕生の寺。厩戸で誕生。キリストと親和性の高い設定、というかパクr・・・


橘寺名物、二面石を見ましょう。

この設定で思い出すのは、飛騨の両面宿儺(りょうめんすくな)です。両面宿儺は二つの顔を持つ異形の怪物。大和朝廷の逆賊、地元の英雄。怪我で顔の半面に大きな傷跡があるとか、そういう人だったのでしょうか。BatmanのTwo Face のような容貌。

右 善面
左 悪面
ぼーっとしてたら顔にも見えない。

このお寺の印象的なお話としては、室町時代の赤沢朝経(あかざわともつね)の寺社勢力平定の際、多武峰攻めに与して多武峰側のの返り討ちにあうというもの。多武峰、要するに談山神社、要するに藤原系に対するファイティングな姿勢がはっきりしています。

本堂。橘紋!


往生院の天井画も必見です。

百花繚乱
260点の奉納。
橘の木は、境内のあちこちに。

橘寺は、11代垂仁天皇の命で不老不死の薬を探しに旅した田道間守(たじまもり)の遺徳をしのぶお寺。田道間守が探し当てたものは、橘だったいうこと。

橘寺正門より、岡寺方面。



橘寺を正門から出て、東へまっすぐ岡寺へ。

岡寺はその名の通り、岡の上なので、坂を上ります。

とりあえず治田神社にご挨拶しましょう。

つまり治田神社が元岡寺ということですか。

素戔嗚が祭神になっているところが重要(な気がする)。

治田神社

岡寺に比べて、治田神社はひっそりと建っています。
いわゆる「元某寺」とかは、ひっそりしているものです。

草壁皇子が住んでいた岡宮の跡地がいまの岡寺。草壁皇子は40代天武天皇と41代持統天皇の皇子です。持統さんは自分ではなくて草壁さんを即位させたかったでしょうが、草壁さんは27歳で夭折。持統さんは60歳近くまで生きたました。そののちの天武系女帝も60過ぎまでサバイブしているので、女系が強靭な血筋なのでしょうか、一般に女性が強靭なのでしょうか。


龍蓋寺が正式名称、岡寺は通称・愛称ということのようです。

「けさみれば 露(つゆ)岡寺の庭のこけ
さながら瑠璃の光なりけり」

標高比較
岡寺  184m
甘樫丘 140m
畝傍山 198m
若草山 342m

龍玉といわれると、多くの日本人は7個揃えないといけない気がしますが、実際の龍玉(如意宝珠)は1個で願いが叶う設定です。

龍蓋の由来は当然に、龍を封じ込めたから。

義淵僧正が飛鳥の地を荒らす龍を大きい石で封じたということですが、大きい石で困りごとを何とかするというのは、鹿島神宮香取神宮要石で鯰(地震)を防ぐとか亀石で大和が沈むのを防ぐとか、類似した話はあちこちにありますね。ということは龍蓋というのは治水工事でもしたんですかね。

五色線が、すき。
そしてあそこに鳥居が~
寺の東、高台に鳥居。
鳥居を抜けると突然温度が下がり、音の聞こえ方も変わりました。
まったく別の場所に入ったようです。

井戸。
・・・底が見えない深さですが柵とかない。
ぽちゃできるくらいの入口の広さ。中に何が・・・
「けさみれば露岡寺の庭のこけ
さながら瑠璃の光なりけり」
ここにも稲荷神社。
右側の祠のようなところがめっさ気になる。
「奥之院石窟」やに
入れる!!
石窟内の弥勒菩薩様
合掌。

しかし、この弥勒菩薩様、大事にされてるのか隠されているのかわからない鎮座のされかたで、とても気になります。(これは鎌倉長谷の弁天堂もそう。)

そして、山。
大和長谷の開山堂のあたりを想起する景観。
というかここ、大和長谷の末寺になってました。
三重塔。そして山!
翻る五色線と三重塔、とか撮りたい気もしたのですが、
風は吹きませんでした。
お地蔵さまと、天竺牡丹。
ダリアより天竺牡丹という言葉を一般的にしたい。
早春です。


岡寺の坂は坂ダッシュするには車幅が狭いので危ないと思いながら坂を下りました。そしてこのあと石舞台に行きました。
つづく。


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