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女子の陸上競技 はじめに配られた手札をどう使って生きるのかって思う。

中学生の通信とか総体(いわゆる都道府県大会)を見ていて、ほんとうにしみじみと思ってしまうのが男女差。

例えば中学生男子1500メートルは走れば走るほどタイムはどんどん更新されていきます。全国標準(←全国大会に行くための参加条件タイム。中学男子1500の場合4’08’50で全国大会に行ける。上位何人とかそういう決まり方ではない)に届かないまでも、中1初めの記録が5分後半くらいだった子達が、大会ごとに3~5秒とか更新して3年時には4分前半とかになったりということはあります。仮に全体の中での順位はふるわずとも、自己新(じこしん。PB)が更新されればそれなりにやった甲斐はあるというもの。もとより中長距離は他人との比較より自分自身の軸で考える人も多い。(当然、100メートルとかの種目で大会ごとに秒単位で縮むわけはない。)

しかし女子は一般的な学校でのスポーツテストも12~13歳がピークの種目が少なくありません。50メートルとか1000メートルとかがそう。小学校時に足の速かった子が、中学以降も同じ立ち位置とは限らないです。まあ、それは男子だってそうなんですが、ともあれ男子はタイムは良くはなります。男子は成長期にどんどん身体能力が強化されていくわけですが、女子は逆になってしまうことが多いですね。体重も体脂肪率もあがってしまって、いくつかの種目はそれでもいいんでしょうけれども、走力系種目はやはり辛いことになってます。

と、7月の総体で号泣していた中3女子を知っているのでしみじみ思ってしまいました。800メートル全国標準に1秒ちょっと届かない。1年次とくらべて削れたタイムは2~3秒くらい。一緒に練習してた男子は何人も全国決めていく中、陸上最優先の中学校生活最後の夏で。

私自身はそこまでの高い能力も目標もなく、漫然と楽しく走ってきたから、プレッシャーだのプライドだのを感じることなく、今もってそこらの大会ふらっと走ってられるというのがあります。あほの幸せみたいなのがある。体つきもあんまり変わらず、未だに私の身長体重は小学五年生女子の平均値と同じやし(笑)。

しかし、標準値よりずいぶん運動能力は低かったけれども持久走能力だけがあるという話、オリンピック級の女子長距離ランナーで時々聞きます。「あんなに運動できない子が、まさかオリンピックなんて」ってゆうの。
私なりに考えるこの理由、ひとつは陸上競技って一芸(いちげい)にすぎず、一つの種目に特化してるだけであって、そもそも総合運動能力が高いとは言えない場合も多いこと(もちろん十種とかやってる人は総合運動能力が高い)。そして、ほぼ全てのスポーツで不利にしかならない身体の小ささが有利に働くのが長距離系種目だということ(長距離やると背が伸びない説は、因果が逆転していると思う)。あと、この二つの複合で、これしかできなくて選択肢がないから、気合でやってきたこと(笑)。

パンプアップの極みの屈強な投擲系選手と、体脂肪が枯渇してそうな長距離選手がおなじ「陸上」にいるのを見ると、結局ははじめ(生まれたとき)に配られている手札をどう使うかだと思えます。努力が足りないから叶わないのではなく、まじめさの欠落で成功しない訳ではない。自分も、悩みも考えも願望も努力もなくクリアできたこともいくつもあるけれど、どんなに切実な願いと持てる限りのちからを出し切っても遂げられなかったことも、いくつもありますね。

変わらずにいることも変わり続けることも難しいよね、はじめに配られた手札をこの先どうきるかね、と中3の女の子をみて思うのでした。


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