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過去を変えることもできるらしい 「借境調心」 とnoteで思う。


(タイトル画像は「みんなのフォトギャラリー」より写真を使わせていただきました。ありがとうございます!)



私には「持久性」「耐久性」という性格的特徴があるようで、好きなものは小さい時からずーーっと好きで、これからも好きです。嫌いなものも同じ。現世の恩義や恨みは、たぶん来世も忘れません。

しかし、noteを一年くらいしてようやく気づいたのですが、記憶の比重を変えることで、過去を変えることもできるようです。noteで記憶や過去の出来事の、嬉しい楽しい感動した、を綴って晒してレスをいただくことで、どうやら良いメモリーが強化され、記憶や感情のポートフォリオがプラス方向にリバランスされるのです。もともと旅先やイベントごとの「楽しい」は、その時間だけではなくて、あとから他人に話をしたり、写真を見返すその時間も「楽しい」なので、実は持続時間はかなり長いですね。それをnoteで、ひとさまに晒すということを前提とした客観的文章にすることで、より一層過去の組み立てなおしがうまい具合にできているように思うのです。選択的忘却とか、選択的記憶という表現が近いかもしれません。

そう思えるのも、noteの住民は経験とか知識とか良識とか敬意とか、そういったものがしっかりある人の割合が高いからかなと思います。「借境調心」ということばが菜根譚(←明代末期に執筆された人生訓的な書物)にありますが、「境ヲ借リテ心ヲ整ウ」外的環境をお借りしながら自分を再構築させていただいてる面も大きいと思います。

SNSで陥りがちな罠として、自分の体験の良し悪しを他人の評価(スキ数とかコメントとか)に委ねてしまって自分を見失う、というのがあるようですが、私もともと自分軸ですからあんまりそういうのはないです。(評価ってそもそも他人の影響を受けやすくて感情的だから、あんまり信用してない。)

全ての興味対象が合致するとか、どの考え方にも同意できるとかいうかたはいないとは思いますが、共感や興味をもっていただけるところがあれば、時々でも読みにきていただけると嬉しいです。よろしくお願いします🦌




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