歴史をたどるー小国の宿命(57)

源義仲は、木曽義仲とも呼ばれている。北陸地方の戦いでは、倶利伽羅峠の戦いが有名であり、義仲の軍は平氏の大軍を見事に討ち破った。

これが、1183年の出来事である。義仲は、北陸道からそのまま京都に入り、平氏を追い込んだ。

追い込まれた平氏は、幼い安徳天皇を連れて、西国へと逃れる。後白河法皇は一緒に逃げずに、比叡山に身を隠した。

その後、後白河法皇は京に無事に戻り、都落ちした平氏に神器の返還を求める交渉を行う。しかし、これが不調に終わり、後白河法皇は、後継の天皇を立てることにする。

ところが、この皇位継承に義仲が口を出したのである。また、すでに京都入りしていた義仲の大軍が居座っていたことにより、食糧難となり、治安回復も遅れた。

このことに後白河法皇は不満を示し、義仲に平氏追討のために西国へ赴くよう命じる。

義仲は、なんとか後白河法皇に取り入ろうとして命令に従うが、後白河法皇は、義仲が西国に行っている間に、頼朝に上洛を要請する。

結果的には頼朝は上洛を断ったのだが、朝廷は、頼朝に東国の支配権を与えたのである。

義仲はこれを聞いて猛反発し、京都に戻るのだが、内心は頼朝の上洛を恐れていた。

そして、とうとう頼朝と義仲は戦うことになるのである。

悲劇の武将である義経が、頼朝の命を受けて動き出したのも、このときである。




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