古典100選(19)和泉式部日記

今日は、先週の『紫式部日記』の中で触れられていた和泉式部の『和泉式部日記』を紹介しよう。

ただ、この『和泉式部日記』は、和泉式部本人の手によるものかは疑わしいとされている。

だが、恋多き女性といわれていた和泉式部らしい一節が、7月の日記に見受けられる。

そう、七夕である。

では、7月の日記の原文を読んでみよう。現代でいう濁点は、当時は付いていなかったので、例えば「たなはたひこほしなと」という箇所も、「七夕彦星など」と読んでもらえれば分かるだろう。

さいふほとに七月にもなりぬ。 
七日に。 
すき事ともする人々のもとより。 
たなはたひこほしなといふことゝもあまたみゆれとめもたゝす。 
かゝるおりなと。 
宮のすくさすの給はせし物を。 
むけにわすれさせ給にけるかなとおもふほとにそ御文ある。 
みれはたゝ。
 
思ひきや    七夕つめ(=津女)に    みをなして
天の河原を    なかむへしとは 
とあれは。 

さはいへと。 
なをえすくし給はさめりとおもふもおかしうて。

なかむらん    空をたにみす    棚機(たなばた)に
いまるはかりの    我みと思へは

とあるを御覧しても。 
なをえおほしすつましとおほすへし。

以上である。

濁点が付いていないと読みづらいと思うが、だいたいの意味は分かっただろうか。

軽く訳してみると、次のようになる。

そうこうしているうちに7月になった。七日の七夕に、好意を寄せる男たちから彦星などいう和歌がたくさん贈られてくるが、目もくれない。(私が慕っている)宮(みや)様から何のお便りもなく、私のことをお忘れになったのかと思っていたら、お手紙が届いた。

「思いがけないことよ。この私が織姫(=棚機津女)になって天の川を眺めることになろうとは。」

「(あなたの)眺めている空など見ておりません。棚機津女(=織姫)に嫌われる(=忌まる)だけの我が身ですから。」

この返歌を読んで、宮は(和泉式部に対して)いよいよ忘れがたい女性だとお感じになった。

以上である。

この和歌のやり取りがロマンチックだと思うのだが、和泉式部が慕っている宮様が、なぜ自分自身を織姫に例えたか分かっただろうか。

天の川の対岸に、たくさんの男たちから好かれている和泉式部がいるのを想像して、女性の嫉妬に重ねて詠んだのである。

それに対して、和泉式部は、「私はあなたが想像しているような天の川は見ていません(=誰が男たちに見向きなどするものですか)。そんなことをしたら、あなたに嫌われるだけではないですか。」と返したのだが、この返しが秀逸である。

紫式部が、『紫式部日記』の中で、和泉式部の和歌の才能について一定の評価をしているのもうなずけるだろう。

和泉式部自身がこの日記を書いたのかどうかはともかく、ここに書かれていることが事実であれば、和泉式部は男たちからモテたということである。

1000年前の七夕も、現代と同様に恋人たちの記念日だったのだ。


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