現代版・徒然草【62】(第195段・認知症)

人間、どんなに身分の高い人でも、ボケてしまったら、(生き生きと活躍していた時期の姿と比較して)そのギャップを見てしまうと、本当に気の毒である。

兼好法師が生きていた鎌倉時代にも、そういう人は実際にいたのである。

では、原文を読んでみよう。

①或る人、久我縄手(こがなわて)を通りけるに、小袖(こそで)に大口(おおくち)着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。
②心得難く見るほどに、狩衣(かりぎぬ)の男二三人出で来て、「こゝにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。
③久我内大臣殿にてぞおはしける。
④尋常におはしましける時は、神妙に、やんごとなき人にておはしけり。

以上である。

①の文の「久我縄手」は、京都市伏見区にある通りの名である。そこで、小袖(=着物の下着)に大口袴を着た人が、木造りのお地蔵さんを田んぼの中の水に浸して丁寧に洗っていたのを、ある人が見かけたという。

②の文のとおり、その人が、理解に苦しんで(=心得難く)眺めていると、2〜3人の狩衣(=当時の貴族の日常着)を着た男たちが、「ここにいらっしゃった」と言って、お地蔵さんを洗っていた人を連れて帰った。

③では、その人物の正体を明かして、久我通基(こがみちもと)内大臣であると言っている。

④の文のとおり、まだまともだったときは、神妙で高貴な方でいらっしゃったという。

この久我通基は、48才で内大臣の地位まで登り詰めたのだが、その後は失脚し、亡くなる68才までの20年間は、これといった功績がないのである。

認知症になったことでそういう処遇を受けたのか、失脚によって人が変わってしまったのかは、よく分からない。

ただ、袴を着た公卿が、田んぼの中でお地蔵さんを洗っている行動自体、庶民から見ても奇異に見えただろう。

また、「ここにいらっしゃった」と言って連れて行かれる様子も、身内の人によって徘徊先から連れ戻される現代と共通している。

しかし、お地蔵さんを洗ってあげるその行為は、その人の優しさの表れとみることもでき、何も咎められることではない。

今では、それを持ち出したら罪に問われるが、どこまで社会は寛容的であればよいのだろうか。

認知症基本法が成立した今、改めて考えさせられる事例ではある。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?