現代版・徒然草【74】(第75段・孤独の良さ)

作家である五木寛之の『孤独のすすめ』は、知る人ぞ知る名著である。4年前には、『続・孤独のすすめ』も発刊されている。

五木寛之は、主に人生後半の生き方について論じているが、兼好法師は、俗世から離れることの良さについて論じている。

では、原文を読んでみよう。

①つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。
②まぎるゝ方(かた)なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。
③世に従へば、心、外(ほか)の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交じれば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。
④人に戯ぶれ、物に争ひ、一度(ひとたび)は恨み、一度は喜ぶ。
⑤その事、定まれる事なし。
⑥分別みだりに起りて、得失止む時なし。
⑦惑ひの上に酔へり。
⑧酔ひの中(うち)に夢をなす。
⑨走りて急(いそ)がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
⑩未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑(しず)かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。
⑪「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止(や)めよ」とこそ。
⑫摩訶止観(まかしかん)にも侍れ。

以上である。

①②③をまとめると、何もすることがなく一人でいるのが寂しく感じる人は、どんな心持ちでいるのだろうかと問いかけ、関わるものを何も持たずにただ一人でいるのが良いと言っている。

世の中のことをあれこれ見聞きすると、その都度情勢に流されて迷いが生じるし、人と関わると、相手の言葉に左右されて、自分らしさが出せなくなる。

さらに、④から⑨までまとめよう。人や物に執着して恨んだり喜んだり、心が不安定になって思い悩み、損得勘定も起こる。迷いながらも、現実に起きていることに酔わされて、ありもしない夢を見て、毎日忙しく走り回り、なにかに惹かれては忘れるというのは、誰でもそうである。

最後の⑩⑪⑫は、仏教的な考え方になるのだが、仏教でいう真理を悟るところまで行かずとも、俗世を離れて身体を休め、何事にも関わらずに心を落ち着かせることが、人生を煩いなく生きられると言っている。

天台宗の聖典である『摩訶止観』にも「生活・人事・技能・学問等の諸縁をやめよ」と書いてあるとのことである。

学問は大切だし、独学ができる人なら、孤独でもなんの問題もないが、独学が難しい人は、人に頼らざるを得ない。

しかし、ある程度人生を生きてきて、それなりに知識もある人は、老後をこのように過ごすのも必要だろう。

死ぬまで学問を続けるか、あるいは人と関わり続けるかは、個人の自由であるが、俗世から離れてボケたら、今の時代は、悲惨な人生の結末を迎えそうである。


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