だれかをかばう理由

どれだけ世間で非難されている人であっても、不思議なことに、かばってくれる人はいる。

当然のことながら、かばう人も、非難されている人と同類とみなされ、苦境に陥る。

世間といえば広くなるが、これが職場となると、狭い世界である。

部下の不祥事があったときに、上司が部下をかばうというのは変な話だが、正しく言い直すと、責任を取ることである。

「私が部下の監督をしっかりできていなかった」ということになる。

同じように、自分の子どもが誰かに迷惑をかけたり、傷害を負わせたりしたら、親も監督責任を取ることになる。

というと、それは違うと反論する人が多くなっているのが、今の時代である。

昔は、相手方のお宅に出向き、「うちの子がどうもすみませんでした。」と親が子を連れて謝りに行くのが当たり前のようにあった。

もちろん、今の時代でも、そうする人はいる。

だが、我が子に加害者のレッテルを貼られることは、親にとって、すなわち自分を否定されたような気分になる。それが受け入れがたいから、親は、別のところへ責任転嫁するのである。

「うちの子がこういうことをしてしまったのは、元はと言えば、こんなことがあったからだ。」というふうに、理由をこじつけて責任逃れをする。

そして、我が子を守るためだとも言う。我が子を守るためだと言っておきながら、自分を守っているのである。

こうした憂慮すべき事態が、学校現場で起こっている。矛先は、学校の先生に向かうのである。

もちろん、学校の先生に問題がないとは言い切れない。問題教師もたくさんいる。

ただ、重要なことは、客観的事実なのだ。

「こんなことになったのは○○のせいだ」とかいって御託を並べるのは見苦しいし、聞くに堪えない。

結局のところ、最後の周りの反応は、世間でも職場でも家庭でも同じである。

「なぜ、素直になれんかね?」

この一言に尽きるのである。

そして、上司にしても親にしても、過ちや非を認める潔さが必要である。

「申し訳なかった」の一言だけで、その潔さに部下も子どもも心を打たれるのだ。

そこからの信頼回復が早いのは、言うまでもないことである。



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