現代版・徒然草【87】(第190段・結婚の是非)

昔は結婚が当たり前だったが、今は結婚願望がほとんどないという人も増えてきた。

兼好法師は独身だったが、独身の気楽さや、結婚という形にこだわる必要がないことについて触れている。

では、原文を読んでみよう。

①妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。
②「いつも独り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ、「誰がしが婿に成りぬ」とも、また、「如何なる女を取り据ゑて、相(あい)住む」など聞きつれば、無下に心劣りせらるゝわざなり。
③殊(こと)なる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひゐたらめと、苟(いや)しくも推し測られ、よき女ならば、らうたくしてぞ、あが仏と守りゐたらむ。
④たとへば、さばかりにこそと覚えぬべし。
⑤まして、家の内を行なひ治めたる女、いと口惜し。
⑥子など出で来て、かしづき愛したる、心憂し。⑦男なくなりて後、尼になりて年寄りたるありさま、亡き跡まであさまし。 
⑧いかなる女なりとも、明暮添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。
⑨女のためも、半空(なかぞら)にこそならめ。
⑩よそながら時々通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬ仲らひともならめ。
⑪あからさまに来て、泊まり居などせんは、珍らしかりぬべし。

以上である。

①の文では、男は(結婚して)妻を持つべきでないと言っている。

②のように、「いつも一人住まいなので」と言っているほうが奥ゆかしいが、「誰々さんの婿になった」とか「これこれの女性を迎え入れて一緒に住んでいる」と言ったら、周りは(場合によっては)がっかりするという。

③④⑤の文でも、女性に言及しているが、要は、周りから妻についてあれこれ言われそうなのが嫌なのである。「たいしたことのない女をいい女と思っている」とか、(周りから見て)良い女性だったとしても、夫の立場としては、忠誠を尽くし守らなければならなくなる(=周りは妻の味方なので勝ち目はない)ことを暗黙の了解として受け止める必要があり、ましてや、家事がきちんとできる女性だと男は頭が上がらないし、しんどくなる。

⑥⑦では、子どもが生まれて(自分より)子どもに愛情を注ぐようになる姿や、自分が亡くなったら尼になって年老いていく姿も見ていられないと言っている。(あえてツッコミを入れると、お前は死んどるから関係ないがな?)

⑧から最後の⑪までは、妙に説得力がある。

どんなに美しい女性でも、一緒に長く住んでいたら憎らしくなる。女性のためにも、中途半端が良い。結婚せずに、半同棲という形でお互いが行き交いして暮らすほうが、末永く良好な関係を保てる。思いがけずに同棲相手が来て泊まってくれるほうが、新鮮な気持ちで付き合い続けられる。

こんなふうにまとめている。

独身の方は、試してみる価値はありそうだ。





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