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「サイレントラブ」古臭いラブストーリーなのは確かなのだが、そんな恋物語に郷愁を感じる私だったりしたわけで・・。

セリフの少ない映画だ。だから、主演の二人は演技を作るのがなかなか大変だっただろうと思う。そんな中でよくまとまってる感じもしたし、後味も悪くない。その辺りは、原案、脚本、監督の内田英治のやりたいことはやった的な空気感にも思える。

ただ、古典的なラブストーリーなわけで、その辺りが今の時代に合うのか?という点がすごく気になった。目が見えない女の夢を叶える話というのは、チャップリンの「街の灯」の模倣であり、幾度となくいろんな作品が作られてきた。まあ、手術なしで目が見えるようになる話は初めてだったかもしれない。そんな、女を助ける男が誰よりも強い男というのは、横浜流星と吉高由里子主演の「きみの瞳が問いかけている」にも似たところがある。男が自己犠牲の中で女を護る的なところも同じだ。

これ以降、ネタバレありです。

ただ、ここでは、男は声を失っているというのは新しいのかもしれない。ということで、主役の山田涼介には、セリフがない。そして、彼が今までなかったくらいに男の顔で演技してるのが印象的であった。特に、ファーストシーン、浜辺美波が自殺しようと飛び降りるのを止める時、彼が一瞬、山田?と思えるほど、年齢も綺麗な顔も捨てたような雰囲気で印象的であった。その彼の行動、彼の手の感触が浜辺の心に残るようにこのシーンにはこだわったのだろう。うまく、ラストに繋げていると思う。

そして、古い音楽堂での再会。鈴の音と、指先のタッチだけで会話する二人。自分の人生に何も望みがなくなった山田にとって、浜辺のピアノが夢になるという流れはあまりにも古典的な思いだが、観客の心には沁みていく。なぜなのだろうか?そう、暴力的な正義の時代から、音楽が奏でるような優しい時代に今があるからかもしれない。私は、中東やウクライナで行われいる戦争が、昨今、他人事というより、異世界のこととしか思えなくなっている。そこに同情や怒りを感じることの必要性をあまり認めないのだ。そんな遠くの世界の話よりも自分の周囲の世界が大事であり、愛した人の成功を祈ることのほうが大事であることが当たり前だし、それでいいのだと思う。そこが幸せであれば・・。

とはいえ、ここでは、そんな幸せの願いを壊しにくるものがいる。それは、ピアノの演奏を頼むことになる野村周平が連鎖を持ち込むわけだが、その辺りの話の流れも、60年代くらいの日本映画にもあったような話。そして、ギャンブルの金の精算のために、山田の申し出を受けるところから、浜辺への愛情が湧くようになる微妙な変化みたいなものも説明くさくなく描こうとしているのは好感は持てたが、いまいちかな・・?古臭い話なのに、野村を完全なヒールにできなかったのが、今風な映画なのだ。彼は、浜辺に頭を殴られ傷つけられながらも、山田と共に彼女を護る。優しさが先に立つこの結末は美しいが、色々無理がある。警察が現場に来て、浜辺に事情聴取していないのは絶対におかしいし、こんなに綺麗に物語は進まないはず。ここは、ファンタジーにしすぎな気はする。

そして、ラスト。野村のおかげで浜辺はピアニストとしての道を歩み始め、野村から山田の居場所を教えられる。そして、ここが、浜辺が山田を目で認識できる最初だということを強調するように、その名前だけで一人探そうとする浜辺。山田がここでやっているのは、波止場の雑役係のようだ。船が海に出ていくのが印象的・・。このラストを見て、日活アクション的なもの、ムードアクション的なものを作りたかったのかもしれないなと思った。そして、二人は結ばれたという表現をキスで終わらせたいがために、また、浜辺が車に轢かれそうになる。この展開は無理がある感じ(そして、10年後なら、自動運転車のため使えない展開)。でも、そういう紋切的な古典的展開でも成立する、大人のおとぎ話というところなのだろう。

ある意味、現代の日常の中で、おかしな気遣いが増える中、こういう真正面な他人のへの愛情のために紡がれる恋物語は色んな人の心に沁みるのかもしれない。映画好きを語る人は、こういう映画を簡単にワーストだというのかもしれないが、そんな穿った考えで見てほしい映画でないことは確かであり、私的には、浜辺美波の映画として、また一つ印象的なものができたなと思った。

朝ドラ「らんまん」や「ゴジラー1.0」で見せた女の強さ、気高さとはまた違った形の強い心の演技が見られた気がした。彼女の身体が華奢なだけに、そういう演技が映えるということもあるが、今年も彼女の成長を見守りたいと思う。この映画の山田涼介のように・・。



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