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初恋桜 [SS]

 もうじき八十九歳の春が来る。君江は桜が仰げるように置かれた古びたベンチに腰をおろし、薄雲のかかった空を見上げながら、ゆっくりと背筋を伸ばした。足腰はだいぶ弱っているものの、シルバーカーを押しながらであれば、まだ近所のスーパーで買い物もできる。天気が良ければ必ずこうして昔働いていた駅の前を通ることにしていた。この駅前の桜の老木にも小さな蕾がついている。もうじき花を咲かせるはずだ。

 君江がまだ十代の頃に植えられた桜だった。貧しい農家の長女として生まれ、ゆえに仕事がきつい農家には嫁ぎたくないといつも思っていた君江に、その年、村の長が結婚話を持ってきてくれた。相手は鉄道員だという。なかなかない良縁だと勧められたが、どうした経緯で君江に白羽の矢がたったのかは分からない。だから戸惑いもした。親は単純に食い扶持が減るのを喜んでいる。そんな時代だ。
 駅の窓口で切符売りしているから見てこいと促されて何度か近くには行ってみたけれど、そもそも農家の娘が汽車に乗る用事などない。窓口を覗いてみるほどの勇気もないし、植えられたばかりの桜の若木を眺めているふりをしては、忙しく働く駅員たちの様子を伺っていたものだ。
「そんなに桜が気になるんですか」
 ある日、ふいに背後から声をかけられた。驚いて振り向くと、それが縁談の相手だった。鉄道員の制服がまぶしいほどに似合っている。だが正直、外見の良し悪しよりも、その穏やかで低い声に魅かれた。初恋だった。
 やがて植えられた桜が最初の花を咲かせた頃、君江は男のもとに嫁いだ。

 結婚生活は幸せだったと思う。夫の幸次郎は真面目で子煩悩な人だった。いつも家族の事を大事に思い、制服を着て家を出る前には必ず子供たちを抱っこしたものだ。だが、結婚して十年を迎える前に結核で亡くなってしまう。君江が二十九歳の春だった。
 最期を迎えた病床で、幸次郎はずっと桜の花が見たいと言っていたけれど、その願いはとうとう叶わなかった。二人の出会いの場所でもあった駅前の桜が花を咲かせたのは、初七日を迎えた日の朝である。いけないことだとは思いながらも、君江は手折った桜の枝を霊前に供えた。 
 その後、心配して訪ねてきた駅長の奥さんの紹介で、君江は駅の売店で働くようになる。煙草や牛乳を売って、最初にもらった給料は4800円。むろんそれだけでは幼い子供二人を育ててはいけない。内職の縫物や、畑仕事の手伝いと、休むことなく毎日働いた。

 あれからおよそ六十年。毎年、駅前の桜を眺めてきたけれど、今年は特に花の咲くのが待ち遠しく感じる。最近になって、病床で幸次郎が話していたことを思い出したからだ。
 終活として夫の遺品を整理していた際に、生前読んでいた古い文庫本が何冊か出てきた。夏目漱石の『夢十夜』。その第一夜を読みながら、よく幸次郎が言っていた。
「百年も待たせたら、間に合わないじゃないか。どんなに待たせたとしても六十年だろうな」
 第一夜の物語とは、死ぬ間際の女に百年待つよう頼まれた主人公が、女の墓の横で待ち続けるという話だ。その歳月の長さに、騙されたのではないかと疑心暗鬼になったりもする。しかし、一輪の百合が咲いたのを見て、いつの間にか百年が過ぎていたことに気付くのである。

「俺が死んだら、骨のひとつをあの桜の根元に埋めてくれないか」
 幸次郎は亡くなる前日に、指切りまでして君江に頼んだ。
「きっと俺だと分かる花を咲かせて見せるから、待っていてくれ」
 君江にとって、もうとっくに忘れていた約束だった。確かに骨は桜の根元に埋めたけれど、それからの日々はすべて子供を育てるために捧げたのだ。
 信心を貫いて、懸命に働いた。お陰様で子供たちも立派に成長し、今では孫やひ孫もいる。振り返ってみれば、あっという間の六十年だった。
 だから、先日いつものように仏壇に向かってお題目をあげていた時、急に遠い記憶がよみがえってきたのが不思議でならない。指切りをした時の手のぬくもりさえよみがえった。夢にさえも一度も現れなかった夫が、桜の花になって会いに来ることなどあるだろうか。君江はそんなことを思いながら、ぼんやりと桜を見つめるのだった。

 ふと気がつくと、いつの間にか周囲が薄暗くなりはじめている。町役場の方角から夕暮れ時を報せるチャイムが聞こえた。またかと君江は思う。
 最近、記憶力に自信がなくなった。時間がとびとびに過ぎているような感覚になる時が多くなっている。もの忘れといったなまやさしいものではなく、まとまった時間が丸ごと抜け落ちているとしか思えなかった。昨年の暮れから、子どもたちには高齢者施設に入ることを勧められている。
(こうしてこの桜を眺められるのも、今年が最後かもしれないよ)
 声には出さず、君江はそっと心の中でつぶやいた。

 その瞬間、ふいにぽんぽんっと背中を叩かれる。驚いて振り向くと、いつの間にか、小さな子供が立っていた。先日、五歳の誕生日を迎えたばかりのひ孫の幸太だった。
「あら、こうちゃん、どうしたの? 一人なの?」
 そう言って、キョロキョロと周囲に目を向けると、駅のロータリーに車を停めて近づいてくる孫娘の姿が見えた。ほっと胸をなでおろす。
「留守だったから、ここかなと思って」
 この一番末の孫娘は、よく君江の様子を見に来てくれる。家族思いで、醸しだす雰囲気がどことなく幸次郎に似ていた。血が濃いのかもしれない。
「保育園に迎えに行ったら、幸太がどうしても大婆ちゃんに見せるって」
 どうやら見せたいものがあって、こんな時間に訪ねてきたらしい。何を見せたいのかひ孫に訊こうと振り向くと、桜の老木の下に立って両腕を高く掲げている。その小さな手には広げた大きな画用紙が握られていた。
「見て。ほら桜の花が咲いてるよ」
 画用紙には余白が残っていないほど四隅までいっぱいに、クレヨンで無数に五弁の花が描かれている。そしてその中央には、一組の若い男女が寄り添うように立って桜を見上げていた。
 男は鉄道員の帽子を目深に被り、女はもんぺ姿だ。まだ幼く拙い子供の絵ではあったが、それが若き日の幸次郎と自分の姿であると君江にはすぐに分かった。
「このことだったんですね…」
 吐息の様にこぼれ出たつぶやき声とともに君江の瞳に涙があふれてきた。ぼやけていく視界の中で、絵を掲げて得意そうに笑うひ孫の顔が生前の幸次郎の笑顔に重なっていく。
 真面目で家族思いの性分だから、六十年もの歳月を待たせはしなかった。もうとっくに夫は会いに来ていたのだと君江は悟った。
(きっと俺だと分かる花を咲かせて見せるから)
 まだ少し肌寒い夕暮れの風にのって、幸次郎の声が聞こえた気がした。

※今日三月十四日は宝田明さんの一周忌です。今年ももうすぐ桜の季節がやってきますね。ご一緒した映画『世の中にたえて桜のなかりせば』を思いながら、「桜」の物語をアップしていこうと思います。


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