『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んで

なぜ示唆的な文章はおもしろいのだろうか。

文が自分の言動に多かれ少なかれ枠を設けてくれるからだろう。それを土台に考えを巡らすこともできれば、いずれ理解できるまで蓄えておくこともできる。

「私のことを題材にしてるみたい」と思えるその時は、思考が体系化していく一方で、回顧の始まりとなる。

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