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さよなら、パーカー

何かある事にとても重宝していたグレーのパーカーがあります。私が20代前半に海外へ留学する際にパーカーが1枚あったら便利だろう、と思い、2000円ほどで手に入れたものです。その海外での約1年間の生活でかなり着倒し、海外生活のお供として乱暴な洗濯機と乾燥機に耐えてくれました。そして、帰国してからも汚れても惜しくない服という立ち位置で私のクローゼットに居座っていました。とても気に入っていたつもりはありませんが、1枚あるととても便利で海外での思い出が詰まっていたこともあり、捨てられいでいたのです。

最近になって簡単に脱ぎ着をするのに軽く羽織れる物を持っていなかったかな?と考えていたところ、あのパーカーを思い出し、「そういえば、あのパーカーあったな。」とクローゼットの奥から取り出してきました。たくさんお世話になった自覚はあったのですが、そんなにヨレヨレになっているとは想像していませんでした。いざ手に取ると袖は小さな穴が開きそうで、裾は伸びてしまってだらしなくなっていました。それでもなお、私はまだ着れるのではないかと思い、羽織ってみることにしました。生地にはパリッとした張り感は無く、緊張感も無し。これではもう引退というところでした。でも、やっぱりなぜか着ると安心するのは、自分の身体に馴染んでいるからでしょう。

そろそろあのパーカーもお別れの時がきていました。「そんなに気に入っていない。」なんて言いながら、手放さなかったのは、やっぱり好きだったからです。思い出がたくさん詰まっているからです。
私は、捨てる前に一日だけ着ることにしました。母には、そんなヨレヨレなのもうダメね、なんて言われましたが、着てからお別れしようと思ったのです。(実際には、捨てる代わりにリメイクして何とかならないかと調べていますが、難しいかもしれませんね。)

最近では、何でも買った後に気に入らなければフリマサイトで簡単に手放すことが出来ます。捨てる訳ではないので、罪悪感は無いけれど、それってどこか寂しい気分になります。私もフリマサイトを利用することはあります。捨てるくらいなら、誰かに使って貰えたら嬉しいからです。
ただ、一つだけ決めたことはあります。これから何を買う時も「手元に来てくれて、ありがとう。最後まで大事にするよ。」と物を自分で最後まで愛せるようになろうということです。
そして、むやみやたらに買うことは辞めようと。何を買うにもこれから私のそばにいて欲しいかどうか、で選んでいきたい、最後まで好きでいられるかどうか、で買いたいということです。

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