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掌編小説【薔薇喪失】39.星の配置図、薔薇の支配図

 星明かりが、不思議と弱くなっている。貧民窟で芥を漁りながら歩いていた夜鴉は、残飯を突くことをやめていた。見上げた夜には、月明かりがある。しかし、雲がないにも拘らず、星の煌めきが減っているように思えて、小首を傾げていた……

 明るかった夜は、星明かりが異変を見せていた。ランプの灯をぽつりぽつりと消していくように、星が一つ、また一つ、誰かが夜を見上げるたびに、姿を消していたのだった。無論、星が姿を消しただなんて、誰も信じられる話ではない。確かめることも、また不可能だった。

「まだ星が、あんなにある……」

 麗人は涯(はて)しない夜の、その先を見上げていた。風の弱い、雲のない夜。麗人は、夜の真上に佇んでいた。夜空の梯子を登りながら、時折顧みる『魔都』花の都は遠く夜気に霞んでいる。随分と上にまで登ってきたものだと感慨深くなるほどに、麗人が最初に踏みしめた梯子の一段目は目視できない地面にある。麗人は夜風に黒の長外套の端を遊ばれながら、夜に手を伸ばしていた。梯子から落ちないようにして、手が届く範囲で光っている星を摘んでいた。手近な星を、まるで林檎でも詰むみたいにして拾っていく。肩に下げた黒い袋の中に、採った星をしまうと、星は袋の中できらきらしていた。
 麗人は星を取り去った場所に、星の代わりに薔薇を置いた。位置を微調整しながら、夜空の画布に薔薇を載せる。生きて輝く星を隠して、死んで匂い立つ薔薇を飾り付ける。麗人の黒緑色の長い髪には、麗人そのものが薔薇の樹でもあるかのように、白い薔薇が咲き続けていた。増えていく薔薇をとって、麗人はそれを星があった場所や、星を取って空いた空間に戯れに二つ並べたりしていた。麗人は夜を思うがままの庭に変えていた。

「此処にも飾ろう、きっと素敵だ」

 麗人は気ままに星を終わらせては、薔薇にすげ替えることを続けた。夜にしかできない仕事だった。麗人が星の配置を変えていたのは、星の位置が気に入らなかったと言う、それだけの理由だった。
 星めぐりの、変化。巡り合わせの全て。
 数百年もの間、続いてきた配置図があった。それが、星の位置が数百年ぶりに変わることに伴って変化をしていく兆しがあった。麗人は巡るものに興味はなかったが、星の配置が気に入らなかった。
 夜空に薔薇を飾るのは、星の指図を受けるつもりがないからだった。だから世界が眠っている間に、夜な夜な星を拾う。昼間は、星の姿が見えないから。麗人は素敵な星を見つけると、それは袋に入れずに外套のポケットにしまった。いらない星は、気紛れに地上に投げた。
 梯子に掴まったまま、麗人は星が詰まった袋を担ぎ直した。拾った星は、明日の朝が来たら白湯に溶かして飲むと美味しい。麗人が地上に投げた戯れは、悪いことをしようと企んでいた者の頭に、天啓みたいに命中した。勿論、それは麗人が知ったことではなかった。
 麗人は先の見えない梯子の上を、見上げた。途方もないくらい、足をかけて登っていく道は続いている。麗人はため息をついた。長い睫毛が、恍惚にも似た瞬きをする。とても長い距離を走った後のような瞳の色は、いつも悲しみより青い。崇高が過ぎる疲労だった。憂うことの規模が大き過ぎていることに、麗人は何も思わない。

「まだ、あんなにたくさん、星が残ってる……」

 気が遠くなるような仕事だったが、気が遠くなることよりも、麗人は誰かに何かに指図されるのが嫌だった。命令されるなんてたまったものではない。自分に命令をしようとするものがあるのなら、それの代わりに好きなもので支配図を飾る。
 星はいらない。薔薇の定めがあればいい。

「いつ終わるかな」

 麗人はまだまだ長い夜に呟いた。
 髪から一つ、薔薇を摘むと、また一つ、星を奪う。

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