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原書のすゝめ:#17 SHIBUMI

私は、読書において道草食子くうこである。

本を読んでいる時、ちょっとした言葉や表現に遭遇すると、それが引き金となって本筋から逸れて他のことを考えてしまう。

そうなると、本の続きを中断して頭の中では別の旅に出ずにはいられなくなるのだ。そしておそらく、私のような道草食子さんや横道逸男それおくんは案外おられるのではないか、と密かに思っている。

そんなわけで、本を読んでいてもなかなか先に読み進まないということがよくあるのだが、それはその本が雑学に満ちているという証である。


今回の作品は、雑学の宝庫、というよりスパイ小説であることを忘れるほど脇の話が充実しているTrevanian作の『SHIBUMI』(『渋み』)。

これは、Don Winslowの『SATORI』(サトリ)の原案になった小説である。『SHIBUMI』は、フリーの暗殺者ニコライ・ヘルの引退後の物語で、1951年巣鴨拘置所で服役していたニコライの元を訪れたCIA局員から釈放と引き換えに暗殺を依頼されるという前日譚として描かれたのが『SATORI』である。


『SHIBUMI』では、幼少時代からのニコライの半生についても描かれているのだが、これが本筋であるスパイストーリーを凌ぐほどに面白い。

上海のフランス租界で岸川将軍の庇護下に入ったニコライは、やがて将軍を父のように慕うようになる。ロシア貴族であった母の死後、ニコライの身を案じた将軍は戦時下の日本にいる友人の大竹氏にニコライを預けることにした。そしてニコライは少年期を日本で過ごすことになるのだが、作者が展開する「日本文化論」がなかなか面白い。本書が刊行されたのが1979年であることを思えば、アメリカ人による当時の日本文化への認識と比べて、トレヴェニアンの日本文化への造詣の深さが並々ならぬことがわかる。

『SATORI』は書き出しこそ、その後の展開を期待させる作品だったが、中盤からハリウッド版『水滸伝』の体をなし、最終的にはただのエンターテイメントに終わってしまった。その点、『SHIBUMI』は上記の日本文化論やケイビング(洞窟探検)など、本筋とは直接関係がないと思われる話にかなりのページが割かれており、むしろそれゆえに、ニコライ・ヘルの人物像に深みをもたせ、ストーリーにも奥行きを出す効果を与えている。

さらに、本作にはもう1つ非常に興味深い話題がある。それが今回のテーマである。

読みやすさを考えて菊池光氏の邦訳を添えるが、時代性を反映してか、日本語が、テイブル、会議スペイス、会長のメッセジ、などと表記されているのが少し奇妙である。現在は「ロワール川」と表記される河川名も「ロワレ川」のように表記されている。これらは米語の発音に近い表記だと思われるので、ひょっとすると菊池光氏は翻訳家ではなく、もともとは通訳者であるのかもしれない。

また、表記方法とは別に、いくつか翻訳で違和感を感じた点があった。
たとえば、

Flight 414 from Tel Aviv is a through flight to London with stops at Rome and Paris.
テル・アビブ発の414便はローマとパリへ寄るロンドン直行便だったのだ。

日本語はハヤカワ文庫・菊池光訳(以下すべて本書より抜粋)

という翻訳は少し変である。なぜなら、直行便が途中でローマやパリに寄港するはずがないからだ。ここは直行便ではなく直通便とするのが正しいのではないかと思う。原文では、「経由」を意味するthroughが使われているから、やはりnon-stop flight 直行便であるとは思えない。

もう一つ挙げると、ニコライの愛人である30代半ばのハナが、女子大生のハンナに初めて会った時に言った、

And would you be so good as to pour, while I arrange these flowers?
すまないけど、わたしが花を生けてる間にお茶を注いでおいてくれない

という台詞もなんとなく不自然である。時代を考慮しても、「すまないけど」という表現を30代の女性が使うだろうかと首を傾げてしまった。「よければ、わたしが花を生けている間にお茶を淹れてくださらない」としたほうが自然な気がする。

なにもここで翻訳論を語ろうという話ではなく、結局こんな具合に私の思考はいつもあちこちに飛んでしまうのだ、という余談である。


さて、それではいよいよ本題である。
まずは、大竹家を訪れた岸川将軍が青年期のニコライに語る場面を抜粋する。



SHIBUMI

JAPAN

(…) ‘Tell me, Nikko, are you keeping your languages fresh?’ Nicholai had to confess that, when he had glanced at a few of the books the General had brought, he discovered that his German and English were rusting. ‘You must not let that happen. Particularly your English. I shall not be in a position to help you much when this war is over, and you have nothing to rely upon but your gift for language.’

(中略)「どうだね、ニッコ、語学の勉強は続けているのか?」
 将軍からもらった本に目を通したとき、ドイツ語と英語の力が以前より衰えているのに気がついたことを、ニコライは告白しなければならなかった。
「そんなことではいけない。とくに英語は。この戦争が終わったとき、わたしはさしておまえの力になってやれる立場にはないはずだし、おまえは自分の語学の才能以外に頼れるものはないのだ」

ニコライは母語のロシア語のほかに、ドイツ語とフランス語、そして英語が話せる。岸川将軍に日本語を習い、合計5カ国語が理解できるという語学の達人である。もちろん読み書きや会話のレベルは同じではないので、ここではそのことを将軍がニコライに指摘している。

この岸川将軍の訓示に奮起したニコライは、再び語学の勉強を始める。そしてその後、ニコライはこの語学力を生かして戦後の日本で翻訳と暗号解読という極東スフィンクスでの仕事を得ることができたのである。

ところが、戦後の消息がつかめなかった岸川将軍が戦犯としてソ連の捕虜となっていた情報を掴んだニコライは、捕虜の憂き目から解放するために面会中に殺害する。ニコライはソ連からアメリカ側のスパイであると疑いをかけられ、アメリカ人へ引き渡される。アメリカからはソ連のスパイであるという容疑がかけられ、激しい拷問の末に薬物による自白を強要されて最終的には巣鴨拘置所に収監されてしまう。

ある日、囚人への心理的・物理的援助をする福祉活動の一環としてミスタ・平田という役人がニコライのもとを訪れる。ミスタ・平田はニコライの要求に応じて、どうにか手に入れることのできた本を三冊、ニコライへ手渡す。政府が戦争中に押収した宣教師の本の山から安価に手に入れたきたもので、1冊目はバスクの生活を写真やエッチング付きで子供向けにフランス語で紹介した本、2冊目はページの両側にそれぞれバスク語とフランス語でバスクの格言や寓話などが書かれた薄い本、3冊目はオート・スールの僧が1898年に編纂したフランス語-バスク語の辞書だった。
何の役にも立たない本にニコライは失望するが、独房で何もやることがないよりはましだというので、なんとバスク語の勉強を始めるのである。



The first dicton in the book of adages was ‘Zahar hitzak, zuhur hitzak,’ which was translated as ‘Old sayings are wise sayings.’ His inadequate dictionary provided him only with the word zahar meaning old. And the first notes of his amateur little grammar were: Zuhur = wise. Basque plural either ‘ak’ or ‘zak.’ Radical for ‘adages/sayings’ is either ‘hit’ or ‘hitz.’ Note: verb ‘to say/to speak’ probably built on this radical. Note: is possible that parallel structures do not require verb of simple being. And from this meager beginning Nicholai constructed a grammar of the Basque language word by word, concept by concept, structure by structure.

 諺の本の最初の格言は「Zahar hitzakサハル・ヒツアク, zuhur hitzakスフル・ヒツアク.」で、「昔のことばは賢いことば」と訳してあった。彼の簡単な辞書には、古い、という意味の<zahar>しか載っていなかった。そこで、彼の素人文法の最初のノートは次のようになった——

 Zuhur=聡明
 バスク語の複数形は<ak>か<zak>。
 <ことば-言い習わし>の基本形は、<hit>か<hitz>。
 註-動詞の<いう、話す>は多分この基本形が基になっているのであろう。
 註-並列構文の場合には、である、という動詞は不要なのかもしれない。

このようなわずかばかりの手がかりから、ニコライは、バスク語の文法を、語、概念、構造と逐次組み立てていった。

こうして一つずつ単語を覚えていくニコライだが、面白いのは発音の勉強の仕方である。今でこそ動画などで手軽にネイティブの発音を手に入れることはできるが、書物だけで発音を身につけるのは至難の業である。

* * *

From the first, he forced himself to pronounce the language he was learning, to keep it alive and vital in his mind. Without guidance, he made several errors that were to haunt his spoken Basque forever, much to the amusement of his Basque friends. For instance, he decided that the h would be mute, as in French. Also, he had to choose how he would pronounce the Basque x from a range of possibilities. It might have been a z, or a sh, or a tch, or a guttural Germanic ch. He arbitrarily chose the latter. Wrongly, to his subsequent embarrassment.

最初から、血の通った力強いものとして頭にとどめるために、自分が学んでいる言葉を発音する癖をつけた。指導者がいないので、生涯彼のバスク語の発音について離れない誤りを犯し、その点をバスク人の友人たちは大変面白がった。例えば、彼は、hはフランス語と同じように黙字であるにちがいない、と考えた。また、バスク語のxをどのように発音するかを、いろいろな可能性から考えた。ズか、シュか、チか、あるいは、ドイツ語のchと同じ軟口蓋音であるかもしれない。彼は勝手に最後のドイツ語風の発音をとることにした。それがまちがっていて、後年大いに恥ずかしい思いをすることになった。


ニコライがドイツ語の発音を採用したのはとても興味深い。バスクがどこにあるのか、彼は知らなかったのではないだろうか。もし知っていれば、きっと国境をまたぐフランス語かスペイン語かという選択で迷うはずだからである。

理由はともかくとして、全く未知の言語を既知の言語から学んでいくニコライの向学心は本当に素晴らしい。そして、この発音に関するニコライの態度は実に本質をついていると思う。言葉を学ぶにあたり、さしあたっては文法書と辞書が必要になる。しかし、両者といくら睨みあったところで、発音がわからないと単語一つ覚えるにも苦労する。正しい発音を身につけることは、語学上達のコツの一つである。
実に身に沁みる教訓である。


さて、こうして学んだバスク語のおかげで、ニコライはフランス・バスクのエチェバーという村で隠遁生活を送っていたのだが、引退後のニコライに元に飛び込んできた<黒い九月>に絡むハンナの事件に巻き込まれていく。


バスクでのケイビングの描写を含め、いろいろと読みごたえのある本書だが、岸川将軍が東京大空襲を目の当たりにしてアメリカに敵意を抱くニコライに対して言った台詞が印象的であった。


Each culture has its strengths and weaknesses; they cannot be evaluated against one another.
それぞれの文化には長所もあれば短所もある。個々の文化を比較評価することはできない。


本書からは単なるスパイ小説や冒険小説に終わらない問いと教訓を得るというオマケもついた。



<原書のすゝめ>シリーズ(17)


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