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【インド瞑想記⑨】宇宙にとっての「宇宙」― "Sky's the limit" is the limit.

注釈:本noteは2013年5月に書かれたブログに若干の修正・加筆を加えたものです。

#⑧にひき続いて...。

1週間を越えた。残すところあと3日。

1週間ではなく、10日間というのがこのヴィパッサナーの肝なのかもしれない。

どれほど長い一日も、明けない夜はない。

イェール大医学部で勉強している、というザ・夢を見て目覚める。

朝起き、眠気まなこでふと思う。

今日という自分にとって何気のない日も誰かにとっては"はじまり"の日であり、また誰かにとっては"最期"の日であるということを。

部屋のトイレの便座にヤモリがいる。

仕方なく、公衆トイレへ向かう。そこにもヤモリがいる。

"諦観"というのはこうゆうことを言うのか。笑

毎朝起きて必ず全身に日本から持参した虫除けスプレーをふりかけ、部屋に蚊帳もあるのに蚊に刺され続ける。かといって、蚊でさえ殺傷は禁じられている。

なんだかRADWIMPSの「おしゃかさま」から「DADA」の連なりが頭にイメージとして浮かぶ。

カラスが増えたから殺します。さらに猿が増えたから減らします。でもパンダは減ったから増やします。けど人類は増えても増やします。
僕らはいつでも神様に願って拝んでても、いつしかそうさ僕ら人類が神様になってたの。何様なのさ。 

生きてる間すべて遠回り、すべて大回り、なのにそれなのに。近道探してみて小回り、お巡りに見つからないようにばっかり。
あげくの果ては拝み神頼み、少しでも楽に他人よりも前に。叶わぬと知るや否や嫌みひがみ鬼畜の極み南無阿弥陀仏。 

日本にいた時は、ラッドウインプスなんてほとんど聴いていなかったのになぜかインドに来てからしょっちゅう脳内再生が始まる。どしてだろ。

卒倒事件以来、フルーツを意識的に多く摂るようにして快便になった。

前にも書いたけれども、とにかくここの果物は種が多く、食べにくい。(果物の品種改良がなされているか否かも先進/後進を隔てるものなのかもしれない)

日に日に、口の中で種をより分け、吐き出す技術が向上していく。

それでもまだ、立ちくらみの頻度は思うように減らない。あと数日の辛抱。

日本で毎朝食べていたフルグラが恋しい。

ここを出たら、滋養強壮に良いものを即座に摂ることを決意する。

禁煙からも1週間過ぎる。

ヘビースモーカーであった人であるなら、そうであるほど禁煙は「不労所得」になると思う。そう思ったほうが、お得感がでる。

この瞑想記の初めの方でも触れた、なぜここへ瞑想に来たのか。

蔑んだ様子で「いわゆる自分探しですか?」と尋ねられて、よくこう思った。

「自分なら、今こうしてここにいるじゃないか」

そうじゃなくて、答えや対価を求めず、打算を捨てて、静寂の中で一度、これまでのこと・これからのことを考えてみたかった。

ところが、瞑想を進めていく中で二つの"意識"があることに気がついた。

一つは表層にある「日常的意識」、もうひとつは深層にある「潜在的意識」。

この後者は時間をかけて、自分と真正面から対話しない限り、表出してこない。

腰を据え、二つの意識を向かいあわせる必要がある。

前者の「日常的意識」は他人の通念であったり、社会規範であったり、自分の気持ちとは関係なく日常の生活の中で堆積し、形成されていくことが多い。

そうゆう意味で、「自分探し」という表現はあながち間違っていなかったのだ。

村上春樹はインタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』のなかで、潜在意識を「テラ・インコグニタ(未知の大地)」と表現していた。

Syrup 16gの'Reborn'を脳内再生。

昨日より今日が素晴らしい日なんて分かってる、そんな事当たり前のことさ。
時間は流れて、僕らは歳をとり、汚れて傷ついて、生まれ変わっていくのさ。 

海底奥深くに潜っていって、はじめて自分の内奥にしっかりと根付いた「潜在意識」の存在に気づく。

遥々インドまで足を運び、辺鄙なこの田舎町で瞑想を続け、7日過ぎるまで気付かなかった自分の新しい「意識層」。

プラトンのかの有名な「洞窟の比喩」を思い出さずにはいられない。

一方に光があるのにも関わらず、私たち人間が現実・実体と思い込んでいるものは、一面的な"影"に過ぎないということ。

「その場所から離れてみて、はじめてその場所がみえる」

これまでの人生を振り返ってみると、躊躇したり、億劫だった事の方が、のちのちの対価はその分莫大だったと思う。たとえば、高校時代にアメリカへ留学したこと。

(先日あったクリーブランドでの監禁事件、オハイオ州のそう遠くない場所に住んでいた自分としてはかなりショッキングでした)

迷ったら、やる。自分はこれまで環境を変えることで成長してこれたのだと思う。

フロリダ大に留学したときもそう、こんな奴らがいるのか。しかも同世代で。世界は広い。とつくづく思った。(たとえばコレを参照)

比較を繰り返していくことで自分のスケールを拡張していく。AR(拡張現実)

英語の表現で"Sky's the limit"(限界はない)というものがある。

限界を考える時に「空(sky)」や「宇宙(space)」などのイメージを置換する必要さえないと思う。"Sky's the limit" is the limitだと思う。

限界はないはずなのに"sky"や"space"を仮想限界地点と暗黙で仮定している。

無限なようでいて、無限でない「想像力」について」というエントリーで以前この点を考察したことがある。

宇宙にとっての「宇宙」、その外側をイメージし続けること。

いずれにせよ、誰かの指摘を待つまでもなく、「瞑想」と「思索」はまったく別個のものである。性質が根底で異なる。離れることと、掴み取ること。

まあ、これが同時にできたら盤石だとは思うけど。バランスの取れた均衡な意識を持って、最大出力の集中力を要する。断想の捕囚にならぬように。

卒論を執筆していたときに、ノージックの『考えることを考える』を積読したまま、結局読まずじまいだった。

博報堂でインターンをしていたとき、ある夜、須田さんと夜ご飯をご一緒させていただいたときに須田さんが「薄く考えること=フック」の重要性について語ってくれたことがあった。自分の中に全方位のアンテナを張り巡らせ、常に多くのフックを持っていれば、ふと気を抜いた瞬間でもアイディアが浮かぶ。

「哲学を哲学する」という意識=フックは常に腹蔵していたい。

この瞑想に来る1ヶ月程前にYouTubeで何年か振りに観ていた「電波少年」。

電波少年は当時のバックパッカーの走りだったのだろうか。

(「「電波少年」でヒッチハイクをした人達は今どうしてる?」というまとめがありました)

でも考えてみれば、電波少年の中で「ヒッチハイクの旅」の企画第一弾(猿岩石のユーラシア大陸横断)が始まったのが1996年で沢木耕太郎さんの『深夜特急』は1990年以前に出版されているから、そんなに目新しいものでもなかったのかとも思う。

ようはスタイルの問題かと。ヒッチハイクの旅のハイライトはそれこそ「ヒッチハイク」だし、深夜特急のハイライトは陸路で移動すること、とりわけバス。

一番の違いはヒッチハイクの場合、何日も足止めを食らって進めないこともザラにあるということ。

あれを見て、実際にヒッチハイクの旅に出かけた若者も多くいたのではないかと思う。

疑似体験や耐性を提供したのは間違いないと思う。

自分をあれをみて、擬似的な場面に遭遇した場合は、見ていなかった場合よりも上手く対処できたのではないかと思う。

この俗世からは隔絶された施設での平穏な瞑想生活を終えた途端、インドの混沌の中にいきなり投げ込まれて果たして自分は適応できるのだろうか。

そんな不安を抱えつつ、「インドが一番壮絶だった」という有吉さんの言葉を思い返しつつ、今日も眠りにつく。

#⑩へつづきます...。

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。