努力の宛先
アフリカでポーカー生活もいよいよ3年目に入って
もうかれこれ3年近く、ケニア・ナイロビをベースに、ダラダラとポーカーで生活費を稼ぎながら、読書をして暮らしている。
ポーカーは趣味として最適な道具であるものの、その活動を生活に基軸に据えると、無視しがたい精神的な矛盾を来たすのもまた事実である。
ポーカーは、テーブル上のプレイヤー間で行われる金のゼロサムゲーム的な奪い合いである。それ以上でも以下でもない。ゲームの基底に運の要素がありつつも、論理や心理を踏まえた戦略とスキルが存在し、それが中長期でプレーした際のプレイヤー毎の期待値を左右する。この絶妙な運と実力のゲームバランスに、世界中の人々が魅了されていると言えるだろう。
ポーカーにおける技術向上部分にモチベーションの源泉を求め、活動継続の拠り所とすることは可能である。一方、その活動そのものが誰かから感謝されることはない。同時に、何かを生産しているわけでもない。簡単に言ってしまえば、投入する膨大な時間に対して、生産性や貢献感が一切発生しないのである。人間が社会的動物であるとするなら、活動時間が伸びる分だけ、精神の根っこが枯れていく感覚を少なからず持つことになる。気づけば、内側に虚無が根を張り巡らし、肥大化していくので注意が必要だ。
自分のケースでいえば、ポーカーをしながらアフリカで暮らしている状況そのものをメタの視点からこうした文章の形でコンテンツとして再生産することで、参与者⇄観察者の視点の行き来でバランスを図ってきた。もちろん、ポーカーをしながら世界中を旅すれば、移動が新たな土地や人との出会いをもたらすので、それなりの刺激は注入され続けるだろう。けれど、自分のように一つの場所に定住してポーカーをし続けることは、自分で決めたことながら囚人のような感覚を覚えることすらある。
もちろん、趣味として今後もポーカーを続けることは間違いない一方で、そろそろポーカーを辞めて、次なる活動を模索したくなってきた。無為に溶けていく時間と、虚無の堆積への処方箋はあるか。moneyよりもtimeが重要である。
じゃあ、何をするかってところのideaやwillはまだ湧いていないけれど、ゆっくりと考えてみたい。そんな折、頭にふと「努力の宛先」という聞いたことのない言葉が降ってきた。
“意思”や“使命”はどうやって生まれるか
「言葉」は情念や概念を練り上げて、編み込んで、表象する束だ。「努力の宛先」というイメージから、自分がパッと想起したのは、下記のような感慨である。
「できないことなんて何一つないと知っているのに、何から手をつけるべきか分からないときが一番辛い」ーー。
人はそれぞれが顔や声を固有に与えられるように、見えない内側にも、無数のパラメーターー知性から始まり、人を慮る優しさまでーーを振り与えられているはずだ。そのパラメーターの一つ一つは必ずしも生得的なものばかりではなく、人・本・旅をはじめとした、自分以外のナニカとの出会いを通じて、揺さぶられ、更新される。
自分を司どるアイデンティティと、外側の経験の絶え間ぬ衝突の繰り返し、その集合体の先に“意思”や“使命”が生まれる。意思と使命は自分の人生を推進する上で、決定的に重要な羅針盤となる。目的地の決まっていないレースに待っているのはバーンアウトだけだから。人間は弱いから、いつだって分かりやすい手がかりが、心の拠り所になる。
結局、見えるものしか見えず、聞こえるものしか聞こえない。すなわち、想像力は初めからカッコ付きなのである。想像を起点に、想像もできない場所へ行くことはできない。そうであるならば、努力の宛先はどうやら、見果てぬ桃源郷ではなく、日常の方にこそあり得そうだ、という気がしてくる。
what(何を)でもwhere(どこで)でもなくwho(誰と)
去年の一年間ケニアを飛び出し、ぶらぶらと世界中を放浪して回り、気づいたことがある。少なくとも今の自分は”what(何をするか)”や”where(どこでするか)”よりも”who(誰といるか)”にこそ価値や意味を見出した。生きる上での安らぎや、仕事をする上でのインスピレーションとエネルギーは、誰と一緒に時間を過ごすかによって大きく変わる。
幸田露伴『努力論』のなかに、他力に関する重要な論考の一節がある。
すでに前項で、人が変わるきっかけには“人・本・旅”があることについては触れたが、個人的にはどこまで行っても人を変える最大の因子は“人”であるように思う。SLAM DUNKのように、ある時代、ある場所に奇跡的なメンバーが揃い、相互に能力を限界値まで上げ続け、チームの視座が上がり、気づけば遠い場所に辿り着いていた、そんなことはスポーツでは珍しくないだろう。
周りで友人らが起業をし始めれば、「あいつにできるなら、自分にもできるのでは?」とそのチャレンジ精神は伝播していくだろう。自分のなかの当たり前や心理的な壁は、案外、身近にいる家族や友人によって形成される。画面の向こうでスポットライトを浴びる誰か、ではなく、自分の日常に存在する顔見知りの存在があくまでも重要なのだ。
“制約”は人生を切り拓く起点になる
ケニアに身を移して以来、現在に至るまでずっと居候させていただいている河野夫妻は“努力の宛先”を考える上で、モーレツなインスピレーションを与えてくれる二人だ。
詳しい経緯の詳細は、奥さんであるリエさんの著書『踏み出す一歩は小さくていい』に譲るとして、考えてもみてほしい。夫の都合で海外へ移住を余儀なくされるケースはまあ、珍しくないのかもしれない。けれど、その場合、犠牲や妥協がつきものだ。
リエさんの場合でいえば、一切の縁のゆかりもないアフリカのケニアにやって来て、当惑するのが当たり前だろう。実際、移住当初の苦労については具体的なエピソード満載で前掲書に詳述されている。
ただ、そうなることを夫であるクニさんは予見していた。日本から遠く離れたアフリカの地で、手持ち無沙汰になり、やることもなく悶々とした日々が待ち受けていることを。そこで、クニさんはリエさんのポテンシャルまで見抜いた天才的な先手を打っていた。
アフリカ移住のその前に、あらかじめリエさん名義の会社を設立させていたのだ。この時点で、リエさんに何かやりたい事業の具体的な案があったわけでは決してない。実際、アフリカへ移住してからしばらくはぼんやりと自宅から出ることなく、漫画だけ読んで暮らしていたという。
ただ、ある日、市場でアフリカ布と電撃的な出会いを果たし、現在では立派にアフリカ布を用いたブランド「RAHA KENYA」を展開されている。
いきなり訪れた人生の急展開。自分の意思が一切介在することのない環境変化。それを嘆くでも言い訳にするでもなく、トレードオフなんてものは軽々と乗り越えて、フラットに自分のコトに挑んでいる。カッコ良すぎる。
「制約からしか創造は生まれない」と言ったのは、元Yahoo! CEOのマリッサ・メイヤーだったか。現状を嘆く前に、置かれた場所で咲こうとすること。その過程で自分を再発見する。可能性があるから行動するんじゃなくて、行動するから可能性が拡がる。
リエさんから毒は一切感じられないけれど、岡本太郎『自分の中に毒を持て』の言葉が生起してくるのを感じる。
ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。