見出し画像

私は私からいよいよもう逃げられないところまできた


なんかすごいタイトルだな…
だけどもそうなのです、もう逃げられないところまできたなと感じた

自分のだめなところとみんなはどう向き合ってるのかな
私は「しっかりしてそう」とか「真面目」とか「ちゃんとしてそう」とか人からよく言われる
見た目はそう見えるらしい

でも私はきっと 自分でそうしてきたんだと思う
家族のほとんどは教育関係者で お茶や花道・書道なども教えていた人たちの中で育った私は小さい時からそれなりの躾もされてきたと思ってる
そういう大人たちが家族、の私

「⚪︎⚪︎先生のご子息ですか!」
「やはり⚪︎⚪︎先生のお子様ですね」
「さすが⚪︎⚪︎先生の、、

私は唯一家族の中で教員免許を取らなかった人間
家族が大事にしてきた道とは違う道を歩んでいる人間
家族が頑張ってきた いわゆる「勉強」に興味がなかった人間

劣等感の塊だったと思う、なんなら多分今も
勉強が好きになれなくて 楽しめなくて 入り込めなくて


過去のことはいいんだけど
多分私はそこで偽ることを覚えたんだろうなと思う


できない自分を そのままできないように見せている状態で
この家族・環境の中で過ごすことはできなかったんだと思う


できない自分を最初から見せて 落胆させるのが怖かったし
見た目や対応の仕方は 躾をしてもらっていたお陰で なんだか好印象を得ることができていたから それをキープできるように、守っていたら大丈夫だと思っていた

そこからこじらせた要素はいくつかあって
とにかく「人から見える私像」が絶対だった

振る舞い方も服装も表情や発言も何もかも みんなが勝手にイメージする
「私像」を崩さないように必死だった

学生時代も終わり 実家も離れ、やっと 自由になって 楽に過ごせると思ってた


けれど、自分で自分を守るために取り繕ってきたこの鎧は
弱いもので だんだんと自分自身に取り込まれていった

蓄積された経験は 人格・性格に影響していくんだな

私はできない私を隠しきれなく、フォローしきれなくなってきていた
できないことがあることは何も悪くはないんだろうけど
何が悪いかって 端的に言うとできないでいることをそのままにしていること

取り繕うことに精一杯になってしまって その後の一歩がとにかく遅い
わかっていながらというやつ、、
とっても恥ずかしいことなんだけど、、

でももう、無理だなと思った
このまま取り繕って過ごしていけるような器用さは持ち合わせていないし
自分に嘘ついて過ごしている感覚は 良いものではない

一つ一つ、1個1個、着実に取り組んで やっていくしかないんだけど
どうしても守りに入ってしまう、それが取り繕うことに繋がる
癖がついてしまってる

そう言う過ごし方をしてきたから 自信もない

そもそもの性格とかもあることだろうから 経験からでもない部分は大いにある気はするけど これまでの自分の細かな選択からの積み重ねられた経験の重みを感じた

社会人ももうすぐ8年?になるのか
こんな私で、私大丈夫なのか?

もう、この自分を見て見ぬふりするのが きつくなってきた
人のこと考えている前に自分のことをってよく聞くけど
まさにその通り、けど自分を変えるのも本当に簡単じゃないな…
考え方の癖や無意識な行動は こびりついてなかなか離れない
どう意識して、どう取り組むのか

「いい大人」という年齢だけど まだまだ中身は子供のまま

今日はこれをここに残して、ちゃんと一歩進みたい
まず、目の前のことから片付けていくことにする





自分のだめだと感じる部分と みなさんはどう向き合っていますか








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?