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さようなら、全てのエイガヒヒョウ。

映画(に限らないようだが)批評が、嫌がられるそうだ。
とりわけ、辛口な批評は嫌われる。絶賛以外の批評は目にしたくない人が増えているんだとか。

ぼくは他人の批評を読むことが好きだ。
「なるほど、そういう視点があるのか」とか「この人は分かってないなぁ」とか思いながら読む。その批評が、賞賛であるか批判であるかは関係がない。

でも、自分の好きな作品が貶されるのが嫌だ、という気持ちも分からなくもない。そういう人はおそらく、観た映画の数が少ないのだ。100本、200本と観るにつれ、1つの作品に拘泥することはなくなるのだから。
と思っていたのだが、どうもそういうことではないようだ。

スポーツ観戦をする若者が減っているらしい。
理由は、自分の応援するチーム(選手)が負けるのを見たくないから。
だから、勝利を確認してから、その試合のダイジェストを見る。または、応援する対象など最初から持たず、好プレイ集のようなものを見るらしい。

ちょっと信じられない。
傷つくことを恐れるあまり、感動という感情を手放してはいないだろうか。
しかし、ぼくが信じようが信じまいが、いずれにしろ、批評は求められていない。
わかった。映画批評を書くことは、これで最後にするよ。最、そして終。

今回は「シン・エヴァンゲリオン」の批評を書く。
長々といいわけを連ねたことからすでにおわかりだろう。辛口になる。酷評と言って差し支えない。
というワケで、
読むなら我慢しろ。でなければ帰れ。

封切り前に、冒頭の10分が公開された。
これ観てぼくの期待はMAX。他にも、「特報」だの「予告」だのと、次々と公開される映像は、どれも素晴らしいものばかり。公式に公開された「予告」などを映画の順番通りにつなぎ直した(おそらく公式も知っていて見逃している)動画を何度も観てしまうが、何度観ても素晴らしい。
冒頭の10分に加え、残り145分のどこを切り取っても、素晴らしい出来映えなのだ。
にもかかわらず、酷評せねばならない。

とにかく、話がつまらない。

アスカがウザい。
アスカはあのウザいところが良いんじゃん、というのは「シン・エヴァ」以前までなら同意する。でも今回のアスカのウザさは、ちょっと勘弁だ。
「なんでだか分かる?」
「好きだったんだと思う」
とか、うわーってカンジ。
ただまあ、これは許容範囲だ。

レイ→アスカ→マリというのがシンジの恋愛遍歴。
母、ないしは母を投影した存在が、男にとっての初恋の相手。そんな相手と結ばれるはずもなく、そして知らないうちにいなくなっているのが初恋の相手。それがレイ。
アスカは初めて付き合った相手だ。すったもんだの挙げ句、別れることになる。別れてしまうとそれまでは魅力的だったウザさが、単なるウザさとなる。そういう意味では、本作のアスカはうまいこと描写できているとも言える。
そして、マリ。それまでの文脈の一切を無視して唐突に現れた女と、男は結婚する。
そういう意味で、マリもうまいこと描かれている。また、巷間で言われるように「マリはモヨコ」というのは正しい分析なのだろう。

というワケで、アスカのウザさは感覚的にはマイナスだけれど、ストーリー全体を通して考えれば、むしろプラスだったかもしれない。
以上だ。
ここまでに述べたことの他に「シン・エヴァ」を褒める点はない。

「激ヤバですぅ」の女。名前も知らない。彼女は何のために登場したのだろう。
もちろん、その他大勢の一人として登場したってかまわない。しかし、あんなにしゃべらせる必要はなかった。
これまたウザいトウジの妹とタッグを組んで、シンジに絡む。マイナス宇宙ではウザさもダブルエントリーなのか。仮にミサトの怪我が演出上必要なものであったとしても、あれはいらないと思うなあ。
トウジの妹のアンビバレントな思い。いらないでしょ、そんなシーン。

でもまあ、「シン・エヴァ」において、ウザさは大したネガティブポイントではない。
とてもじゃないけど許せないことがある。

許せないことのひとつは、レイのぽかぽかシーン。なんだあれは。
ユイの映し鏡(クローン)であるレイ。レイのぽかぽかシーンは、ユイの人間性の回復を意味する。
マッドサイエンティストの人間性を回復させてどうする。
母は狂っていた。たとえ狂っていても、いや、狂っていたからこそ、母がピュアでイノセンスであったと思いたい。その気持ちは分かる。しかし、母とはピュアでもイノセンスでもあり得ない存在のはずだ。聖母マリアじゃあるまいし。

この映画で一番許せなかったのが、ゲンドウ。
以前から明らかなように、エヴァンゲリオンはシンジの成長の物語だ。そうである以上、最後はシンジがゲンドウを倒して終わる以外にあり得ない。
「父に、ありがとう。母に、さようなら。」
で二人まとめてシンジに串刺しにされて終わるのは、既定路線。
それをまあ、ベラベラベラベラしゃべり続け、いいわけにいいわけを重ね、引っ張るだけ引っ張る。ただひたすら見苦しい。気持ち悪い。

結局、「シン・エヴァンゲリオン」とはなんだったのか?
「卒業式だ」と言う人がいて、なるほど、それはそれで納得である。
ぼくは、(同じ庵野秀明監督の)「シン・ゴジラ」と対になって意味をなしているように思う。
すなわち、祭。
ぼくの地元の神社を例にすれば
「シン・ゴジラ」は派手な花火の宵祭。
「シン・エヴァ」が宵祭の翌日に行われる例祭。いわゆる、神事。

神事はその一挙手一投足に意味があるように、「シン・エヴァ」もすべてのシーンに意味がある。
ぼくにはほとんど分からなかったけれど、あのシーンはあの作品のオマージュ、このシーンはこの作品のオマージュ、というのが満載だったらしい。

オマージュ(『ゴジラ』(1954)と『エヴァ』)

そして、延々と続く説明セリフ。
一般人にとって、神事は退屈である。しかし、研究者にとっては神事こそが興味の対象なのだろう。研究者のことを、マニアとかオタクと呼んでも良いのかもしれない。そんな「研究者」達が絶賛し、大ヒットに至った。
考えてみれば、主人公の名前がシンジだ。

かつて「意味から強度へ」というキャッチコピーが(一部界隈で)流行った。
そのキャッチコピーに毒されすぎたのかもしれないが、ぼくは映画には意味よりも強度を求めたい。
しかし、「シン・エヴァ」は強度を捨てて、意味を取った。「エヴァンゲリオン」とは、意味を説明しない代表のような作品だったのに。
庵野秀明の堕落だろう。
いや、堕落ではない。彼は確信犯だ。BS-1スペシャル「庵野秀明特集」で彼は言っていた。
「謎に包まれているものを、人は面白いと感じなくなってきている」

時代が変わった。正確には、世代が変わった。
エヴァを観るとき、当然のことながら、シンジの視点でセカイを眺める。
しかし、時の流れとともに視点は乖離し、いつしか自らがゲンドウであることを認めざるを得なくなってしまった。

「さようなら、全てのエヴァンゲリオン。」
別れを告げられたのは、エヴァオタになりきれない、にもかかわらずこれだけ語ってしまう、ぼくのような中途半端なオヤジ。

この度の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を絶賛できた諸君が羨ましい。シンジ視点を貫徹できたのだろう。
「全てのチルドレンにおめでとう。」
楽しめなかったぼくは、名実ともにキモいオヤジに成り果ててしまったに違いない。
であれば、ぼくからも、別れを告げなければならない。
「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」
冬月を誘って物見遊山に出かけるのが、残されたせめてもの楽しみか。
オレたちに「なんちゃらインパクト」が訪れることは、おそらくもう、ないのだろうから。

2021年7月7日

シンジの人物像は現代日本の象徴
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」のレビュー

完結編である「:||」が公開延期に。かわりに「序」「破」「Q」がYoutubeで無料公開。というわけで、続けて視聴。

本作は「破」のラストから、唐突に14年経過した世界。それまでの設定のほとんどが捨て去られている。テレビ版から熱心に追いかけてきたエヴァファンの皆さんが怒るのもわかる。
ただ、旧(テレビ版から劇場版)にしろ新(新劇場版)にしろ、エヴァはユダヤ教とキリスト教の違いを背景とし、それっぽく思わせぶりな設定がちりばめられてはいるけれど、背景や設定は装飾でしかなく本筋ではない。
本筋は、シンジという少年の物語。シンプルなハナシだ。

旧と新では、シンジが少し違って見える。
旧では一貫してオロオロしており、物語の最後に来てやっと、一歩を踏み出す。
それに対して新では、自信がなくウジウジしており、たまに拗ねたり暴走したり、というのは変わらないが、比較的簡単に一歩を踏み出す。決断をする。
ただ、その決断は、熟慮の上のものではない。たまたまその時に提示された選択肢のひとつに、何も考えずに飛びつく。あるときはミサトの命令に、あるときは命令に背くというカタチで、またあるときはカヲルの解釈に。状況の変化にカヲルが迷い始めても、「この道しかない」とばかりに突き進む。
突き進んだ結果は、当然のように、求めていた結果ではなく、ふてくされる。
シンジの呼び名をアスカが「バカシンジ」から「ガキシンジ」に変えたのが象徴的。まさにガキそのもの。

実に現代的な人物像だ、と思ったら、もう8年も前の作品なのか。
この間、日本人の代表的な人物像は変わっていないのだろう。
アスカの姓が旧では惣流だったのが、式波に変わった。いっそ、シンジも改名すれば良かったのではないかと思う。シンゾウと。

セカンドインパクト真っ只中を生きなければいけない我々が、いままさに観るべき映画。
全力でオススメしたい。

2020年4月22日

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