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世界を形づくる3つのUltimate Question -古典50冊の感想文(2/4)

前回は古典50冊からの学びの結論として、世界を形づくる3つのUltimate Question の紹介をした。

人類にとっての最も重要な普遍的問い UQ(Ultimate Question)は以下のとおりであった。
UQ1:人間とはなにか・どのように生きるべきか
UQ2:人はどのような共同体を築くべきか
UQ3:世界/宇宙はどのように成り立っているか

ここからは、UQをフレームワークに使って古典50冊をジャンルごとに整理していきたい。今回は古典哲学と近代哲学

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(1) 古典哲学:UQのルールメイキング

ギリシャ哲学においてUQが出揃い、構造化されている。ギリシャ時代においてUQ1-3はひと続きだった。そして、UQは極めてプラクティカルな質問であった。法律や政体、日々の行いがUQへの答えから導きだされていた。この時期にUQが提示され、体系化された。UQへアプローチする学問というゲームのルールが決まったと言ってもよい。

プラトンの『国家』では、個人(UQ1)と国家(UQ2)のスケールにおける知恵・勇気・節制・正義が相似形で語られる。ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」と言ったが『国家』においてUQのあらゆる問いと構造は出尽くしていると思う。哲学はあらゆる学問の未分化な素形でありプラトンはその源流である。

アリストテレスは『ニコマコス倫理学』において、幸福/徳/正義/愛を定義し、個としていかに生きるかということと、国家をいかに治めるかという2つのスケールを行き来する形で対話を進めている。その中で、肉体の欲求に如何に折り合いを付けて魂の欲求に応えるのか、人柄の構成要素とその表出の仕方(蛮勇↔臆病など)といったUQ1への洞察が提示される。

ギリシャ時代におけるUQへのアプローチは問答法による対話である(今で言う対談・座談会) 。最も有名なのはソクラテスで、プラトンによって著された師ソクラテスの法廷における弁明『ソクラテスの弁明』にその一端が見える。ギリシャ哲学の大半の古典はこの手法で語られている。これだけ複雑で長いテーマを複数名の議論で秩序立てて語ったとは考えにくいので一種の表現技法だとも思えるのだが、この手法はプラトンにもアリストテレスにも踏襲されている。

興味深いことに続くローマ時代の思想的著作はギリシャ時代に比べると少ない(ギリシア哲学をローマに紹介したキケローや、為政者でありながら個人的な思索を綴ったアウレリウス『自省録』などが有名)。 ローマは思想よりも実用を重んじた。結果としてローマはギリシャよりもはるかに広い領土を収めた。今風に言えばギリシャで生まれたUQの思索を通したビジョンをローマがスケールさせたとも言えるかもしれない。

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(2) 近代哲学:UQへのアプローチの多様化

近代哲学においては古典哲学のUQが引き継がれつつ、問の分化とアプローチの多様化がみられる。(古典哲学と近代哲学の間にキリスト教という決定的な事件があったが今回のポストではここは扱わない。)

<問いの分化>
近代になるとUQは徐々に分化し、UQ2にフォーカスした社会学/政治学的著作が多く生まれている。

ホッブスの『リヴァイアサン』は「万人の万人に対する闘争状態」が有名だが、実は第1部が「人間について」、第2部が「コモンウェルスについて」となっておりプラトン同様、共同体統治のモデルを提示する前に徹底的に個としての人間を論じ尽くしている。"気前のよさ"、"うぬぼれ"、"あわれみ"などさながら百科事典のように人間の性質・感情が分析され、その上でコモンウェルスが語られる。UQ1とUQ2が最もわかりやすく示されている例の一つである。

ルソーは『社会契約論』においてUQ2に応える形で個人の幸福と共同体の幸福を織り合わせるモデルとしての社会契約を提唱し、さらに主権・人民・一般意志など民主主義の基礎となるコンセプトを提示した。ここで示された国家や政体のコンセプトは現在の民主国家の選挙や憲法の素形となっている。

<アプローチの多様化>
考えるべき問いとそのフィールドがすでに設定されている場合、イノベーションはアプローチ(手法)にしか見いだせない。近代哲学においては様々な手法がこらされた。

デカルトの『方法序説』はそのタイトルのとおり、哲学的思考のアプローチ法について書かれた本である。有名な「我思う、ゆえに我あり」はあらゆる外的権威、先入観を排していったときに疑い得ぬものとしてたどり着くのは考えているこの自分自身だ、というシンプルな発見とそこからスタートする哲学的思考への態度を示している。

スピノザの『エチカ』神について、そして感情/精神/知性の本性および起源について、幾何学的証明を用いて論じている。ギリシャ時代において幾何学は問答法と対をなす知的論理展開のアプローチであった。スピノザは幾何学のアプローチを、より広い問題系(=UQ)に適応することで新しい地平を切り拓こうとした。("故に神は存在する Q.E.D. “のような調子。かなりわかりにくいし個人的にはアプローチに凝りすぎた感はある。)

古典哲学から近代へのブレークスルーともいえるイノベーションを起こしたのはヘーゲルである。
『精神現象学』におけるヘーゲルのイノベーションは2つ:
①二項対立の融合という弁証法を取り込んだこと
②知(認識)の生成過程の結論だけでなくプロセスを記述したこと

である。
これによってそれまでスタティック(静的)であった哲学の議論がぐっとダイナミックになった。そして、ヘーゲルは知の発展段階を記述することで社会の発展すなわち歴史も同時に記述するという野心的なことをやってのけた。プラトン以降の哲学はプラトンの論理構造を変える”焼き直し”を出ることが困難であったがヘーゲルはその枠を超えたように思える。
『精神現象学』は、「共同体から切り離された自由な個人となったときに、人は、他者・社会・自己に対してどのような態度をとっていけばよいか」をテーマにかかれている。テーマ自体はUQ1,UQ2に属するもので目新しさはない。
そこで登場するのが①の弁証法である。ヘーゲルは、知の生成プロセスを、知(概念)が真(対象)を捉える中で知(概念)自体が再編成されるという経験を通した"弁証法的運動”と定義した。弁証法的運動は”運動"であるがゆえにそれ自体にプロセスを内在し、発展する。つまり、ある二項対立がアップデートされると次の二項対立が生じるのである。それが②である。
本書のあらゆる論理展開が弁証法で語られる。その証拠に章立て自体もほぼすべて箇所が3章のツリー構造になっている。(これによってダイナミックな構造になってはいるがかなり難解になっている)
例えば、一番大きい章立てはA. 意識(対象に向かう) / B. 自己意識 (自己に向かう) / C. 理性 (外なる対象のうちに自己を求める) となっていて、A,B,Cの中身も3節ずつ、その中も3項ずつ、になっている。そしてその論理展開を追っているといつの間にか”ギリシャ・ローマ時代の精神 -> キリスト教時代の精神 -> 近代精神” のように歴史を追うことになっている。それまでスタティックな世界であったUQへのアプローチに発展段階を持ち込んだインパクトは非常に大きく、これが近代的精神をもたらす要因の一つとなった。

<批判>
学問が成熟するにつれ、当然批判が生まれてくる。UQへの典型的なアプローチやそれがもたらす答えに対しての批判は近代において特に盛り上がった。

ニーチェは『道徳の系譜』において道徳的価値観の発生を歴史的に見ることで、西洋哲学が寄って立つ道徳的価値を批判している。
まず、"善・悪"という価値観が"貴族・奴隷"という階級に対応する形で発生したことことを示している。すなわち自己肯定的になれる貴族は善人で反動的にならざるを得ない奴隷は悪人として、実は道徳的価値判断が階級差を引き継ぐ形で行われてきた歴史を示している。次に、理性とは刑罰への恐怖や”負い目・良心の疚しさ”への反動として生じてきたことが示される。さらに彼はプラトン、デカルト、カントらが結婚しなかったことを引き合いに、哲学者であるには禁欲的でなければならないとして冗談半分で風刺する。

カントは『純粋理性批判』においてUQにアプローチすること自体が無謀な試みであることを示した。
カントは人間の認識には"感性/悟性/理性"という3つのレイヤーがあると言った。
"感性"は単純な現象の情報を受け取る能力(五感とも言える)
"悟性"はそれらの情報を解釈する12のカテゴリーからなる能力(単一性、数多性、総体性、制限性、否定性、実在性、相互性、因果性、実体性、必然性、存在性、可能性)。
"理性"は原理から出発して、完全なものを見いだそうとする認識能力。この完全なものとは主観(=私)の完全性、世界の完全性、「神」の完全性の3つである。
カントが言っているのは、「理性が見出そうとする完全性は感性/悟性に基づくものでない限り"純粋理性"的な問いであり人間の認識の限界を超えているため解くことができない」つまり「経験に基づかない高次の問いを考えても意味がない」という話である。
カントはその例として”肯定も否定も両方証明できてしまう命題 = アンチノミー”を4つあげ、実際に証明を行っている。
①世界は時間的・空間的に有限か無限か
②世界の物質に最小の構成要素は存在するか
③世界に自由意志は存在するかあるいは因果関係しかないか
④世界に絶対者(神)はいるか

これはまさにUQそのものである。カントはUQの高次すぎる問いを解くこと自体を不可能だといったのである。それは哲学自体の歴史への批判であった。

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以上、UQをフレームワークに使って古典哲学と近代哲学の古典を整理した。次回は物語(ギリシャ神話・悲劇・叙事詩)について。

全体の目次は以下の通り。
世界を形づくる3つのUltimate Question -古典50冊の感想文
(0) 人類普遍の問い - 3つのUQ
(1) 古典哲学:UQのルールメイキング
(2) 近代哲学:UQへのアプローチの多様化

(3) 物語(ギリシャ神話・悲劇・叙事詩):予言の実行/忠告の無視
(4) 科学:UQからの価値概念の分離

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