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Generative AIと新しい民藝社会の到来

Generative AIとこれからの都市空間の関係

最近Generative AI(生成AI)に関する話題が非常に増えていますね。有名なものとしては画像生成AIの「Stable Diffusion」や対話型のテキスト生成AIの「Chat GPT」等でしょうか。これら自体についての解説は、他の方のnote記事等でも多くの分かりやすい記事があろうかと思いますのでそれをご覧頂くとして、私はこのnoteでは、これらGenerative AIとこれからの都市空間の関係について書きたいと思います。

社会実装に向けた過渡期におきる反応

Generative AIは、近年驚くべき進化を遂げており、テキスト生成、画像生成
、動画生成、3Dモデル生成、プログラムコード生成等、その創造の幅は益々広がっています。このような技術の進歩を見た時に、私たち人間の反応は、おそらく二通りあり、「すごい便利なものができた、やった!うれしい!」というポジティブなものと「こんなものが普及したら、自分の仕事が奪われる、けしからん!」というネガティブなものだと思います。それらの対立的な議論は当面は続くのだと思いますが、今後は、そうした議論を経て、著作権の問題や真贋の問題等、様々な課題を解決しながら、社会にあっという間に実装されていくものと考えます。

私の着目する点は、Generative AIは人類がこれまでの研究活動の成果の一つとして生み出した果実であり、マクロで見れば、Generative AIは人類がこういうものを欲しいと願い、何世代にも渡り科学技術を発展させながら、人類の英知を絞り生み出してきたツールなのではないかということです。仮にそうなのであれば、本来私たち人類はこのGenerative AIの誕生を「喜ばしい成果である」と素直に思える状態でなければ、これまでのマクロで見た人類の歩みを健全に肯定できないことになるわけです。
一方で、やや前述したネガティブな感情も残るのは、どこかでまだ、この至極便利で画期的なツールを使いこなしていった先の、これからの「新しい社会のイメージ」を描くことが追い付いていないので、その過渡期における「社会の歪」に対し不安感が残ってしまうのでは無いでしょうか。

次の社会の妄想的な創造のストーリー

そこで私たちはもう少しこうした技術が発展していった先の社会が、ポジティブに思えるライフスタイルを自らイメージしていくことが重要なのではないでしょうか。
私は昔からSF映画が好きですが、いつも、SF映画の脚本を書いている方はすごいなあと思っています。私たちの社会というのは、いつの時代も、誰かが先んじて「妄想的な創造のストーリー」を示し、それに人々が共感しながら無意識的にそのストーリーを踏襲し構築されてきたものではないかと思います。よって現代においても、誰かが次の社会を積極的に妄想し続けた方が良いのだと思っています。
しかし、現代の社会はより複雑になっており、現在の延長線としては単純に描きにくくなっているとも感じます。それでも、誰かが「将来はこんな世の中になるのではないか!?」ということを示していくことで、その源流が支流となり、支流が集まり一つの本流になり、やがて大きな海になっていくのだと思います。私はこのnoteの考察が、人々の色々なアイデアの支流が生まれるような、源流の役割を果たせたらうれしいと考えています。

Generative AIがもたらす労働時間の減少

さて再び、話を「Generative AIとこれからの都市空間の関係」に戻すと、私はGenerative AIによって、以前にnoteで書いた「労働時間の減少による都市の在り方の変化」がさらに加速するのではないかと考えます。その記事は下記をご覧ください。

Generative AIは今後、加速度的に便利になると予想されます。私たちが何か作りたいものがあれば、特にテキストや画像等の情報的なものは、すぐに生成されると思いますし、すでに3Dモデルデータも生成されるようになっているので、今後、3Dモデルデータと、デジタル工作機械が連動すれば、ある程度の立体物の生成まで一気通貫で実行される可能性も見えてきています。
そこから言えるのは、私たちが、現代において実施している様々な「仕事」と思っていることは、かなり簡単にでき、短時間で実行されてしまう可能性が高まっています。よって、もし私たちが仕事でこのような便利なツールを本当に上手く使いこなせば、文字通り生産性は高まり、今と同じ生産量をより短時間で実施できるようになると、理論的には考えられるのではないでしょうか。
以前、リモートワークにより通勤などの移動時間が減らせたことにより生産できる時間が確保され、その分を配慮すると週4日勤務で、かつての週5日勤務と同じ生産量が上げられる可能性があると述べましたが、今回の論点はGenerative AIによって、よりダイレクトに生産性を上げ、時間を短縮するという話です。仮にリモートワークの効果とGenerative AIの効果をダブルで考慮すると、やはり労働時間を減少させられる未来の生活がイメージできます。これからの都市空間を考えるヒントは、我々の生活の時間デザインを考えることに他ならないため、今回のGenerative AIについてはも、労働時間への影響を深堀りしています。

テクノロジーの発展が目指してきた「時間の解放」

私たち人類は、道具を生み出し生活を便利にし、エネルギーを生み出し、さらに生産性を高め、コンピューターを発明し、デジタル技術を駆使して、世界中がつながる時代をつくってきました。これらの人類の活動は社会課題を解決し、社会的なペインを解消することを目的に進んできたのだと思います。生活を便利にし物事を効率的にすることは、一義的に見れば「自由な時間の確保」を望んできたことの証ではないでしょうか。逆に、どんなにテクノロジーが発達して効率性が高まっても、いわゆる「自由な時間」というものが増えていかなければ、それは世の中をむやみに高度化し、複雑にし、別の社会課題を生み出しているだけの空虚な徒労にすぎないと思います。
よって現代に生きる私たちは、今起きているテクノロジートレンドを「時間の解放」に結び付けていくことで、何か次の世界が拓けるのではないかと考えるわけです。

私はこの「テクノロジーの進化」と「自由な時間の確保」というキーワードの議論の先には「労働時間の減少」と「収入」という話が出てくると考えています。物事を拙速に考えると「労働時間が減る」=「収入が減る」と考えてしまうかもしれません。しかし、そこをどうデザインしていくかも今後の重要なテーマだと思います。私は、その分野の専門家ではないですが、もし生産量が変わっていなければ、単純に収入が減ると考えなくても良いとも思います。一方で敢えて極論すると、将来も労働時間をさらに減らすことができたとして、例えば週2日だけの労働で社会が回る時代が来ると考えてみることも面白いと思います。そういう社会において、給料とかお金とかの存在は、どのような役割を果たしているのでしょうか。私は、そういう論点に対し、より具体的なイメージを描いていかなければ、次の社会のデザインをすることができないのだと考えています。

AIやロボットが社会の中心を担ってくれるとしたら

例えば、AIやロボットが社会を維持するための中心的な作業の多くを担っている時代が来るとしたら、それは良いことなのでしょうか、良くないことなのでしょうか。少なくとも現代社会において、多くのテクノロジー系産業に従事している人は、良くないとは言いづらいのではないでしょうか。

海辺で拾った流木を小刀で削って彫刻を創る喜び

私は、その問いに対して「それは良いことだ」と素直に言えるとしたら、そのAIやロボットに基幹的な労働を譲った分、人間は何をして日々喜びや幸せを感じて、心身ともに健全に、家族や仲間とともに笑顔で暮らしていけるのかを具体的にイメージできる必要があると考えます。
そのイメージで問題なく割と楽しい生活が過ごせそうだと思えれば、そのような社会も悪くないのではないかと思うのです。
恐らく、森でキャンプしたり、海辺で拾った流木を小刀で削って彫刻をしたり、新しいダンスを振付けして発表したり、丁寧に盆栽を作ったりとか、そういうことに喜びを感じていくのではないかと思うのです。(試しに、私も先日、海辺で流木を拾ってきて、部屋の天井から吊るすモビールを作ってみましたが楽しかったです。)
そのような生活を維持するのに、その時代に私はどのように収入を得て、どのように生活を維持しているのか、そこの経済的な社会システムは、今後、さらに研究しなければなりませんが、おそらく住居とか食料等も、今より比較的に入手しやすくなるのではないかと考えます。最近の3Dプリンティングできるようになった住宅等の進化を見ていると、住居もDIYで、そこそこ心地よい家が手に入るような時代が来るのかもしれませんね。

新しい民藝社会

そのような社会になると、もはや色々なものが、社会の共有財になり、例えば、家を作りたい人がいたら、仲間で趣味のように、AIで家の設計をして、そこから家づくりの加工機材を借りてきて、わいわい言いながら集まって家を創る、というような昔の村や集落で当たり前にやっていたような時代になるのかもしれませんね。食料も、みんなロボットとかを駆使して、色々な珍しい野菜とかを作っていて、それを近所の人と物々交換して、品評会とかして楽しんでいるのかもしれませんね。
みんなが、自分で作ることを楽しみながら生活しているような「新しい民藝社会」のような感じになるのでしょうか。おそらく現代のように、何か労働をして、それでお給料を得て、そのお金で何かをお店で買って、それで生活したり、そのお金で娯楽をしたりするような、「お金を介した社会」ではなく、ダイレクトに物事を生み出し、それ自体を楽しんでいくような社会になるのかもしれません。私は嫌いではありませんし、むしろ楽しそうに思えてきました。

このようにイメージすると、これからの社会の都市空間の在り方は、まったく今とは異なった都市空間が求められるような気がしてきます。いきなり、ここで書いたような世界に移行するかどうかは分かりませんが、Generative AIがもたらす労働時間からの解放による自由時間の確保は、確かに都市空間の在り方に変化を及ぼしそうです。
また今後もこのnoteで書きながら研究を続けていきたいと思います。ここまでお読み頂いた方、ありがとうございました。


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