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「嫌なこと」が合う相手

「合う人に会っていく」


オードリーの若林さんがある本で書かれていたこの言葉、その考え方が私は好きだ。だからこれまでにも何回か記事に登場してきた。

これは別に”合わない人は避けていく”ということではないはず。
そりゃ生きていれば合う人合わない人はいて、合わなくても何かしら関係を持つことが求められる状況だってある。そこまで精査して「合う人を探すんだ」という覚悟があるならそれでもいいのかもしれないけど、別にそこまではしたいと思わない。

合わない人がいたとしても、それは人の違いを学ぶ、楽しむいい機会だと思うから。そこでしか得られない学びがあると思うから。

ここでの合う人に会う、っていうのは親友とか仕事の相棒とか家族とか。そういった「ずっと一緒にいたいな~」と思う人は合う人を選んでいくのが大事なんだろうな、ということで。

じゃあ「合う人」ってどんな人なんだろう?と考えた時、2つのベクトルがあるなと思った。

1つはきっと多くの人が思い当たる、「好きなものが一緒の人」「趣味が同じ人」「目指している志が一緒な人」みたいな”プラスの面での合う人”

こういったプラスの面で合う人と一緒にいる時の特徴って何かを考えると「楽しい」とか「盛り上がる」とか「モチベーション上がる」とかそういった前向きな感じのことだと考える。

喜びや楽しみを分かち合える人がいるって特別で、幸せなことだ。


ただ私にはもう1つ「合う人」のベクトルがあると思っていて。
それが「嫌なこと」が合う人である。

さっきがプラスの方向性だとしたら、今度はマイナスの方向性の話。
これだけだとピンとこない部分があるかもしれないので例を出そう。

例えば私は「電話」が苦手だ。親友とか気のしれた相手ならまだいいのだが、基本的に苦手。小さい頃からのちょっとしたトラウマが邪魔している。

しかし中には電話が大好きな人がいる。これってどっちがどうとかじゃなくて、それぞれの好き嫌いの立場があるだけの話で。

両者とも大人だったら何か約束事を決めるだろう。
一方で片方の「好き」を押し通したら、もう一方は我慢をすることになる。または電話が好きな方が良かれと思ってやったことが、実は相手は嫌でした、みたいなズレが起こってしまうことがある。これだとどちらも得をしない。

こんな時、もしどちらも電話が好きな人間だったらそれはもちろんハッピーだし、電話が苦手どうしだったらお互いに電話はせず、別のやり方でコミュニケーションをとる、みたいなこともあるだろう。

つまり「嫌なこと」が合う者同士って、”心理的安全性”が保たれるんじゃないかと思っている。

他にも「プライベートと仕事をしっかり分けたいから、休日の連絡は嫌」というもの同士だったら平和な休日が過ごせる一方で、
片方は「仕事大好き!休日もガンガン動きます!」「プライベートと仕事をしっかり分けたいから、休日の連絡は嫌」が一緒になったら、前者は「何で連絡返ってこないんだ」となるし、後者は「何で連絡してくるんだ」となる。


つまり「好きなこと」が合う相手って一緒に楽しめたり盛り上がれたりする、”自分が元気になる関係”で。
一方で「嫌なこと」が合う相手って一緒にいて居心地がよく安心する”心理的安全性が保たれる関係”で。

めちゃくちゃにどっちも大事だと思うのが私の見解。

そのうちでも「嫌なことが合う」関係というのは、わかりやすく見えてくるものではない。やっぱり相手をよく知らないと見えてこない部分でもある。
でも長続きするというか、長い時間一緒にいることになるであろうは、こっちの方だと思う。

あ、でももっともっと前提の話として、
自分が何が好きで何が嫌なのか、それを理解していないと意味がないよね。
そこの土台が整って初めて「合う」って何なのかが見えてくるから。

自分と向き合うことは忘れずに。


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