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泣くことを恐れるな:サラリーマンが幸せになる方法 その44

これは、サラリーマンが幸せになるために「ありたい自分( being )を軸に持ち、ありたい自分を良好な状態( well-being )にし続けること」について書かれた note です。

「瞳に涙がなければ、魂に虹は見えない」
アメリカインディアン・ミンカス族のことわざ、だそうです。大人になってくると(特に男性は)人前で泣く経験はほとんどなくなると思います。感情に蓋をし、体面をつくろい、空気を読む。でもそんな日々を過ごすうちに、目がどんどん濁り虹が見えなくなっていないでしょうか?

わざわざ泣く

私は当 note で一見意識高いテーマでコラムを書いていますが、そんな高尚な人物ではありません。どちらかというと俗物。

そんな私ですが少しでも自分のありたい姿であろうと、日々学びを求めたり、新しい知識を仕入れたり、オンデマンド型講座を利用して自己成長を意識しています。この成長と well-being についてはこちらをご参考ください。

しかし、本業と家事・子育ての隅間をぬって note の執筆と学習機会を求める時間ばかりを続けていると、何かがガチガチに固まる感覚があります。これはおそらく心が疲弊して凝り固まったストレス状態。自己成長は大好きですが、人は主食だけでは生きていけません。食卓には栄養素以外にも彩りや潤いが必要なんです。

この状態になると、意識せずに Youtube や Netflix などで感動モノのコンテンツをひたすらに夜更かしして観続け、ガンガンに泣き明かしていることに気がつきました。

普段「睡眠体験がカギ」「朝活で勝つる」など偉そうに言っているのに、深夜3時過ぎまで夜更かしして2〜3時間睡眠なんて日もあります。

アラフィフ男が顔をくしゃくしゃに「あ゛〜〜〜!」と涙を流している姿は決して美しくありませんが、この時間を過ごした後の心はスッキリと軽やかになり、ひどい睡眠不足にもかかわらず生きていく活力が湧くのです。

「涙活」なんて言葉がありますが、思えばこれに該当するようです。

交感神経と副交感神経

現代人は交感神経優位になり過ぎていると言われています。
体に信号を伝達する自律神経。自律神経には交感神経と副交感神経があり、アクティブな状態では交感神経が、寝ていたりリラックスしているときには副交感神経の動きが高まるそうです。現代人はアクティブモード過ぎるという訳です。

昼夜を問わずスマートホンなどで色々な情報のシャワーを浴び続け、仕事や家事育児やらでストレスにさらされ、人間関係が24時間インターネット経由でプライベート空間に飛び込んでくる。こんな生活をしていると常に交感神経がフル稼働し、寝ている時も十分にクールダウンできません。

人間の体は使えば使うほど発達し、使わない機能はどんどん衰えます。つまりこんな生活を続けていると交感神経がどんどん機能を高め、リラックスして休もうと思ったときには副交感神経が衰えて機能を果たせない負のスパイラルに陥るという訳です。

そこでヨガやマインドフルネスなど、自力で交感神経・副交感神経を行き来できるメソッドが流行って来たのでしょう。

ヨガもマインドフルネスも私は全くの素人ですが、その優位性は間違いないと思っていて、いずれちゃんと習いたいと思っています。ただ効果があることはわかっているのですが、ちょっと違うんですよね。ヨガもマインドフルネスも、私にとってはアクティブな自己成長のひとつ。「能動的」にリラックスする感じなんです。

ガチガチの私が欲しているのはカタストロフィと解放。
そこで涙の出番です。

泣くという意味

泣くという状態は客観的に見ればアクティブな状態です。しかし交感神経優位ではなく、泣いた後は副交感神経が優位になっていることがわかっています。痛みで泣いたり駄々をこねる泣き方ではダメですが、共感や感動で流す涙には脳をリラックスさせストレスを低減させる作用があるそうです。

人は泣くという能力を手に入れたことで、強制的にストレスから回復し感情をリセットし、深い睡眠と同じようなリラックス効果を得られるように進化したのです。

つまりこういう事だったのです。

私は、ストレスフルになると交感神経優位となり、睡眠で回復させようとしても出来ず、少しずつ疲労が溜まっていたのです。そしてストレスレベルが黄色信号までになると本能が感動飢餓モードにスイッチし、それまでの規則正しい生活リズムを無視して Youtube の感動ドキュメンタリーなどで脳を解放させ魂を回復させていたという事なんです。
おそるべし本能。

同じような解放に笑いがあります。
私には「笑い」と「泣く」の脳や感情に対する効果の違いはあまり区別できていませんが、思うに、日常的なストレスからの回復には「笑い」が適していて、「泣く」まで行くとかえって疲れてしまう。しかし笑えないくらい非日常化したストレスには「泣く」ほどの感情のカタストロフィが必要なように思います。

最後の防衛線として前向きに「泣く」、という訳です。

人前で泣くこと

私はよく泣きます。もうちょろいくらい泣きます。特に子どもが産まれてからひたすらに泣いている気がします。

ただ、泣く行為は自分に正直でいる事だと思うのです。隠せないくらい極まった感情の発露です。この瞬間は他人にも「自分自身にも」嘘偽りのない正直な瞬間だと思うのです。だから人前で泣くことは決して恥ずかしい事ではないんです。気恥ずかしさはありますが、胸を張っていい行為だと思っています。

だから私は子どもの前では涙を我慢しません。
アニメや映画を一緒に観ていると、ボロボロと涙を流します。だからか分かりませんが、うちの子もビックリするくらい簡単に泣きます。泣かされるから、クレヨンしんちゃんやドラえもんの映画は観れなくなったくらい。

でも自分の心に正直でいて欲しい。
だから私は今日も子どもの前でみっともないくらい泣いて見せるのです。

涙と well-being

ボロボロと泣いているうちに気が付いたことがあります。
自分が本当に好きな事、本当に欲している事、自分自身がなによりも大切に思うことが明確になっていきます。価値観を超えた、私の根源的な何かが垣間見えるんです。

これは自分を取り戻すことに等しい。

泣くことで自分に正直になったおかげです。凝り固まった「べき」や「でなければならない」から解き放たれた赤裸々な自分自身です。賢くもなく意識も高くないですが、ゆずれない私自身の誠です。

私は自分自身を取り戻すことは well-being の極限の形だと思っています。そして限りなくありたい姿( being )で居られる瞬間だと思うのです。

まとめ

1.回復できないほどストレスフルになったら泣く
2.泣くことは自分に正直でいること
3.泣くことで自分を取り戻す!


タイトルの言葉はアメリカインディアンのホピ族の言葉です。「泣くことを恐れるな!涙はこころの痛みを流し去ってくれるのだから」と続きます。また「瞳に涙がなければ、魂に虹は見えない」は、私が最初に知ったときは、”涙は瞳の雨だ。雨はくもった瞳を洗い流してくれる。そしてくもった瞳では魂の虹を見ることは出来ない。”という内容だったと記憶していますが、ネット検索では出てこないので引用をやめました。

いずれにしても涙を流しくもりを晴らさなければ魂の虹を見ることは出来ないのだと思います。

頑張ってガチガチになってしまったあなた。
魂の虹を見に行きませんか?

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